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この世界の名前は”エルミナ・ルナ”。東西南北4つの大陸からなる、魔力によって構成される世界。そしてその西大陸において、アスクランは同じ大陸内にある人間の国である“ストーイン”と長い間戦争が続いており、つい3か月前にようやく終戦に至っていた。
まだ人間と魔人、それぞれの敵対感情が完全にぬぐい切れていないこの時代。アスクランもようやく平和の雰囲気が根ざしてきたとはいえ、まだ国内に”人間”はほぼいない状態であった。そのような時流の中で、人間が魔王の秘書を務める――まるで突拍子のない話であった。
魔王の秘書の面接会場として使われている応接室で、魔王であるリズロウとソフィは向かい合っていた。ソフィの立ち振る舞いは堂々としており、むしろ面接する側であるリズロウがソフィに圧倒されているようにも見えた。そしてその様子をソフィの荷物持ちをしていたトシンは横から眺めており、とんでもない場違い感があるぞと思いながらも、動き出せずにいた。そしてトシンの存在に気づいたリズロウが、トシンを指さしながら言う。
「……彼は?」
「ああ。彼はここに来るまでに仲良くなった“友人”でして……。ちょっと事故があって遅れてしまったこともあり、荷物運びを手伝っていただいていたのです」
ソフィはあっけらかんと遅れたことを話しながら、トシンに目配せをした。“頼むから時計の事は言わないでくれ”と察したトシンは話を反らすために別の話題を出した。
「魔王様! 僕は1週間前にアスクラン軍に入隊した、トシン・トラバールと申します!ソフィ氏とは先ほど知り合い、この王城への案内を買って出ました!」
「……え? 兵隊さんだったの君!?」
トシンの素性を知り驚くソフィにトシンは涙目になりながら答える。
「そんなにあからさまに驚かないでください……。今日は非番だったんで街を歩いてただけなんですから……」
「はっはーん……じゃあこれから私の部下になるんだ……。じゃあトシン君って言い方は不適切かな?トシンでいい?」
「も……もう合格する気なのか……」
リズロウはソフィの無根拠な自信に辟易しながらも、書類にチラリと目を通す。先ほども目を通した際に、この国で唯一といっていい“人間”であるという点のインパクトでかき消されていたが、それ以上に気にするべき点があることに気づいた。
「よし……では面接を開始しようか。トシン君、ここまで案内ご苦労だった。荷物を置いて外してくれるか」
「は!」
トシンは敬礼すると荷物を置いて部屋から出ていく。部屋から出るトシンにソフィは笑顔を浮かべて手を振った。
「じゃあね。また今度会おうか」
そのソフィの屈託のない笑顔に、トシンは顔を赤らめながら頷いて去っていった。そしてソフィはドアを閉めて、来客用の椅子に座る。リズロウが気になったのはその所作一つ一つがやけに“こなれている”ことだった。
「随分……“いいとこ”の動きだな。書類に目を通す限り秘書としての教育を受けてきたとはあるが……」
「ええ。私の家は代々秘書や執事として仕える家系でして……」
「それがどうして“魔人”の国のアスクランに? 私が知る限りではこの王城から半径数十キロに人間は君だけしかいないと思うぞ。大使館も無ければ、貿易も別の港町で行っているからな」
3ヶ月に人間との戦争が終わり、平和な世の中が訪れ始めていたが、やはり人間同士の戦争と違い、見た目や文化がまるで異なる魔人の国に余り来たがる人間はいなかった。新しい商売のチャンスと商人が活発に来てはいたものの、やはり城下町に直接来る者は少なく、ここから数十キロ離れた港町での交易が主な場であった。ソフィはリズロウの質問に対し、事前に考えていたであろう言葉で流暢に答える。
「“チャンス”だと思ったからです。まだ戦争が終わって間もなく、魔人の国に行こうという人間は余りおりません。であるならばこの機を狙い、私が秘書として需要を新規開拓できる、そう思い志望いたしました」
ソフィの説明を聞き、リズロウは右手で顎を擦って考える。確かに無くはない理由ではある。このプロフィールが本当だとして秘書としての家系で育ってきているなら、勤め先を考える上でここが上がってもオカシくはない。そして何よりリズロウには目の前のこの女性を手放したくても手放せない理由があった。
「なるほど……。そうか。ではも次の質問に移らせてほしい。……筆記試験の手ごたえはどうだった?」
秘書志望の人間に事前に受けさせていた筆記試験。試験会場で行うようなものでなく、事前に論文のような形で提出するよう設けていたものだが、その分難易度を非常に高くしており、今まで面接を受けた者たちは見るに値しないものばかりだった。しかし、ソフィの解答内容は採点を行わせた複数人の者たち曰く満点――どころか自分たちもよくわからないと書類の記載があった。
「えー……そうですね。北大陸一の大国フラーリアにおける周辺隣国との連合政策の是非についてでしたが……これはリズロウ様が用意した問題でございますか?」
「あ、ああそうだが」
「……ということはあえて解答には記載しませんでしたが、リズロウ様は戦争が終わり疲弊したアスクランだけでなく、ストーインにもフラーリアの手が伸びるとお考えになった上でこの設問を用意されたのでしょうか」
――畜生満点だ。問題外の意図まできちっと読んだうえでの解答だった。そしてリズロウは尚更頭を抱えた。確かに今一番欲しい人材には違いないのだが――。
「う~ん……しかしなあ……」
――結局のところ“人間”であるという一点が大問題すぎた。確かに応募要項には種族の限定はしておらず、リズロウ自身は人間にどうこうといった感情はない。だが彼女を抱える上での問題は少し考えるだけでも無限にあった。
「……では私を雇う気は無い。そういうことでしょうか」
悩んでいるリズロウにソフィはきっぱりと言い放つ。あまりにきっぱりとした言葉に、雇うかどうか決める側の立場にも関わらず、返答に詰まってしまった。
「我が家の家訓では“悩むくらいならまずやってみる。どうせ後でなんとかすればいいし”という言葉があります。まずは私を雇ってみて、ダメでしたら別の案を、というのはどうでしょうか」
「か……家訓にしては随分軽い言葉だな……」
「それにですね……」
「それに?」
ソフィは若干涙目になりながらリズロウに縋るように言う。
「身一つで来たのでもう帰り方がわからないんです……! 仮に雇ってもらえなかったら私とりあえずその辺で浮浪者になるしか……!」
リズロウは顔を合わせづらくなり、ソフィから顔を反らして窓の方を見る。だがリズロウがソフィから目線を切った瞬間、ソフィの表情が歪む。――泣き落としは効くなこの魔王、と。
その時だった。遠くの方で何か割れた音が聞こえ、それと同時に叫び声が聞こえてきた。
「た……大変だぁぁぁ!!!」
ソフィが動き出すよりも早く、リズロウは部屋から飛び出していた。
「何事だ!?」