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地方・国――そして種族問わず城の朝は早い。早朝から軍務・執務に就くものたちのために炊事などの準備をする者がおり、それが何百人単位の準備をする必要があるなら、それに従事する者の数も比例して増えるからだ。それは城の多くの者が休みの休息日でも変わらない。いや、休息日とはいえ城の機能を完全に停止させるわけにはいかないので、だからこそ他の施設よりも休息日でも多くの者が動いていた。
日がうっすらと昇り始め、ようやく動き始める人の姿が見えるようになってきた中、アスクラン城訓練場で3の影が訓練をしていた。一人は犬型の獣人、一人はオーク、そして一人は――魔人の国に似つかわしくない姿をした“人間”だった。
「ほらほら! 腰の捻りが甘くなってる! それじゃあ当たっても剣が負けるだけだぞ!」
ケイナンはへばって剣の振り方が雑になってきているトシンとダグに檄を飛ばす。
「そ……そんなこと言ったって……」
トシンはケイナンに文句を言おうとするが、ケイナンのシバキの木刀がトシンのケツに思いっきり叩き込まれた。
「いってえええええ!!!」
「文句言う前に形を整えて振れ! 疲れて形が崩れるってことは余計な力が入ってるってことだ!正しい振り方をすれば、力無く振れるんだからな!」
ケイナンは二人の前に立つと、剣を上段から振る。あまり剣が得意ではないトシンとダグから見てもその剣筋は美しいものだった。
「我が家の剣は形の綺麗さこそが真髄だからな。お前らに特別に教えてやるんだから、必ずこれは習得しろ」
「形の綺麗さ……形の綺麗さ……」
ダグはぶつぶつと呟きながらケイナンの振り方を思い出すように剣を振る。
「ダグ……! そうだな、僕も……負けてられないな!」
トシンは剣の握り方を変え、できる限りケイナンの振り方に近い形で剣を振った。
食客――つまりアスクランお抱えの剣士となったケイナンは、リズロウの雑務を手伝いながら(不思議と文句を言わず、そしてソフィと同じく仕事を上手くこなしていた)は、トシンとダグの指導係をリズロウに志願し、リズロウはそれを認めていた。
トシンとダグの二人はまだ子供であり、ソフィの口添えで今の立場に就いたにすぎないため、実力が全く伴っていなかった。それはリズロウからしても問題であり、せめて自分の身を守りながら逃げるくらいの力くらいはつけてもらう必要があった。
そういった背景もあり、トシンとダグは嫌というくらいにケイナンからシゴかれていた。だがケイナンから見ても二人のモチベーションは非常に高く、軽い愚痴はあれど文句を言うことは一切なかった――そしてその背景はケイナンもよく把握していた。
「よし!素振りはこれで終わり! 次は2対1の組手方式だ!」
ケイナンは着ていた上着を脱いで二人の前に立った。素人の二人が見てもわかる鍛えぬかれた身体だった。
× × ×
「朝から元気だな、全く」
最上階にある魔王の寝室から、早朝から訓練場で汗を流している若者3人を見て、リズロウは小さく呟いた。本来朝に非常に弱く、まだ5時くらいのこの時間に起きているのは非常に珍しいことだった。
「起きていらっしゃったんですか?」
リズロウは後ろから聞こえた女性の声に振り向く。
「お前もな、ソフィ。……せめてノックくらいしろ」
ソフィと呼ばれた長い金髪の女性――外にいるケイナンと同じく“人間”である彼女は――微笑みながら頷いた。
「ええ。ですが普段ノックしても起きないじゃないですか。それどころか不機嫌になって物壊したりしますし」
それを言われると非常に弱い。そうではなくともリズロウにとってソフィの存在は色々と急所になっていた。魔人の国の唯一の人間であることとは別に、彼女の有能さがアスクランに欠かせなくなってしまっていること、彼女の突飛な行動が色々とメチャクチャな事態を引き起こすこと。――そしてその見た目も問題だった。。黙っていれば相当――いや絶世の美人といっていいソフィは、リズロウの視線に入るだけで時折集中力をかき乱すことがある。
「ああ、そうですかい。……で、何しにきたんだよ」
リズロウは魔王としての威厳も何もない、素の態度でソフィに接した。長年の付き合いがある10年前の革命からの部下たちにすらこのような態度は滅多に見せない。魔王としての責務があるからだ。――だがどうしてもソフィの前ではそれを見せることすら馬鹿らしくなってしまい、結果として“リズロウ”としてソフィに接してしまっていた。
「まだあの二人は私の部屋で寝てますからね。どうしても二人が起きた時の音で起こされてしまって……。いい加減部屋を用意しないといけないのですが」
結局トシンとダグは今もソフィの部屋で寝泊まりをしていた。ソフィの仕事で夜まで付き合うことが多く、そしてソフィが一人でいるとやはり危険も多いということでトシンとダグという頼りない二人でも一人よりはマシだろうと護衛のような形で付けられていた。
「あの二人がお前の部屋で寝泊まりしていると知ったときのケイナンは凄まじかったな……。男って嫉妬であんなに怒り狂えるんだな……」
リズロウは笑いながら言った。ソフィはリズロウの冗談に小さくため息をついて答えた。
「小さい頃からずっと後ろにくっついてましたから……。あねさま、あねさまってね。まさかここまで来るとは思いませんでしたけど。……でもあの様子を見れば、上手くやれてるようで何よりです」
ソフィは改めて訓練場を見る。どうやら実戦形式の訓練を行っているようで、トシンとダグは二人がかりでケイナンに攻撃をしかけていたが、全部いなされており逆にケイナンに滅多打ちにされていた。
「それよりリズロウ様、私がこの部屋に来た理由ですが」
「ん?ああ、なんだ?」
「本日のご予定はいかがされますか?」
「今日の予定?……ってあーー……そういうことか……」
リズロウは今日の予定を思い出そうとして、ソフィの言葉に納得した。―今日は久しぶりに何の予定もない日、休息日だった。
「何日ぶりの休みだ……?もう随分そんなこと考える暇もなかったからな……」
「少なくとも私は初めてのお休みです……こちらに来て2か月近く経つんですけどね……」
ここのところ忙しい日がずっと続いており、休むということを完全に忘れてしまっていた。ソフィのおかげで死ぬほど忙しいということもなくなり、またその適度な忙しさに充実感を覚えてしまっていたため、全く気にしていなかったのだった。それはソフィも同様だった。
「休みか……そりゃあ昔は色々遊んでたけど……」
だがいざ休みとなると何をしていいかわからなくなってしまう。リズロウも昔は色々と遊んでいた。特にデート相手には困ったことはなかったこともあり、よく女の子と遊んでいたが――。
「……あ、そうだ」
リズロウはソフィを見て何かを閃く。
「お前、今日の予定は空いているか?」
「え、ええ。空いておりますが……」
ソフィの回答にリズロウは笑みを浮かべながらソフィの肩に手を置いた。
「よし。じゃあ今日はデートでもするか」
「……はい?」