7-2
午後2時。アスクラン競馬場では第7レースが終わったところであり、ここまで各レースの馬券の売り上げは過去最高を更新しつづけていた。なぜここまで客が集まったのか。リズロウが来賓として来て演説をしたのは理由の一つではあるが、それは本命の理由ではない。
第10レース――最終レースにて、現在7連勝中でありアスクラン競馬場では未だ記録のない8連勝に王手をかけている“エナジーソーダ”が出走するからだった。
そして今までにない多額の金が動き続けた結果、アスクラン競馬場ではある問題が発生していた。――ただしそれは予想可能な問題であり、競馬場の者たちも、まだ誰も問題にはしていなかった。
だが、リズロウがノミ屋の排除のために近隣の兵士を動かしてしまったことにより、その問題は大きく、しかし闇の中で顕在化することになる。“追加分の現金輸送”という問題が――。
× × ×
「スギクマの奴が捕まっちまったが、ここまでが“あのお方”の想定内ってわけだ。……全く恐れ入るぜ」
アスクラン競馬場と、アスクラン中央銀行の間の路地裏で、オルキスとその他のチンピラたちは現金輸送の御者たちにナイフを向けて脅していた。彼らはミスティに踏み込まれた廃屋にいたチンピラたちであり、ミスティにスギクマが捕まっている間に無事逃げおおせ、そして合流をしていたのだった。
「でも……スギクマの兄貴は大丈夫か……?」
スギクマの手下だったシグルは、御者たちを縄で縛りながらオルキスに尋ねる。
「なに、心配ないだろう。“あのお方”が言うには、あとでしっかりと出してくれると言っていたしな」
「で……でも、そんな言葉信じられるのか?」
シグルの弟分であり、同じくケイナンに叩きのめされたオークのデーツがオルキスに言った。スギクマの言う通り、彼らは今回の依頼の雇い主の情報をまるで聞かされていなかった。実際に会っているのはスギクマとオルキスの二人だけであり、その他のチンピラたちは何も聞かされていなかったからだ。しかしオルキスはデーツの質問に余裕そうな笑みを浮かべて答える。
「ククク……心配ない。奴らも“この金”は欲しいからな。スギクマが解放されなきゃ、俺っちたちでこの金を回収しちまうだけだ」
“現金輸送馬車強襲”。これが一連のアスクラン競馬場における企みの本命だった。まず第一に外れ馬券を介した洗浄を行い、調査を行っている諜報員を釣る。そして第二にノミ屋を介した資金洗浄を行い、近隣の兵士を動かさせる。そして最終的に兵士の空白地帯になったこの競馬場周辺で、現金輸送車を襲うことで、ここまで温存してきた本命の裏金と、アスクラン競馬場で運ぶ現金を交換するだけだった。
オルキスは首尾よく動く手下たちを見ながら思う。――本当によくできた計画だ。一人のクソバカがいたせいでスギクマが捕まるハプニングがあったが、結局ここまで計画は順調に進んでいたからだ。所詮町のチンピラを集めただけの烏合の衆である自分たちがここまでやれたのも、“あのお方”の建てた計画が完ぺきだったからだろう。
「オルキスの兄ぃ! カネの回収は終わりやした!」
現金を積んでいる馬車を襲撃しおえた手下たちがオルキスに報告する。オルキスは縛り上げた御者たちをその辺の地面に投げ捨てると、手下たちに命じた。
「よし! 撤退だ! 全員俺っちに続け!」
「待ってもらおうか!」
突如上から声が聞こえ、オルキス達は動きを止める。声の方向を見るが、付近の建物の屋上の奥にいるのか、その姿は見えない。
「誰だ!」
シグルは上にいると思われる曲者に向かって叫ぶが、そこから返ってきた言葉はなんとも仰々しい言葉だった。
「この天下の往来、人の悪がはびこる世の中。誰だと名前を聞かれたら、聞かせてあげるが男の花道」
「……あん?」
下にいたチンピラたちはやけに傾奇がかった口調に対し反応に困り、全員クエスチョンマークが浮かんでいた。――しかもそっから先の言葉がいっこうに続いてこない。
「…………おい! 次はトシンのセリフだろうが!?」
「……僕これやんなきゃいけないの……?」
「恥ずかしがったら余計に恥ずかしいだろ! 俺がもう啖呵切っちゃったのがアホ丸出しになっちゃうじゃないか!」
「トシン~……僕もやってみたいから早くセリフ言ってくれよー」
何やら上で揉めている――というより何か連携をとれていないだけのような――。
「あー! もううるさいからさっさと行け!」
「おわっ!? ……ぎゃああああああ!!!???」
叫び声と共に屋上から人影が一つ落ちてくる。
「だあっ!? ちくしょう!」
そしてその何かは壁を蹴ると回転しながら地面に落ちていき、そして綺麗に着地した。
「……あーもう! 格好よく決めたかったのに!」
「な……て……てめえは……!」
その落ちてきた人物を見て、オルキスは苦々しい顔をして指をさす。青い髪をたなびかせ、マントを羽織った服を着た――人間だったからだ。
「なんだ? あんた俺の知り合いか?」
ケイナンは自分を見てやけに驚いているオルキスに尋ねる。
「……少し前に人間に痛い目を見せられたことがあったからな……」
ケイナンは少し考え、そして納得して表情を崩す。
「あー……姉さんか。あの人なら何かやってそうだな……あんたらみたいなチンピラ大っ嫌いだろうし」
ケイナンは周囲を見回すと、シグルとデーツを見つけて指をさした。
「あ、あんたらあの時の」
ケイナンに呼ばれたシグルとデーツはドキッとして身を震わせる。その様子を見たオルキスはシグルに尋ねる。
「お前……あいつのこと知ってるのか!?」
「あ……あいつはヤバイですオルキスの兄ぃ……!」
シグルの態度に不穏なものを感じ取ったオルキスはすぐに部下にハンドシグナルで指示を行う。そしてそれを察せられないようにオルキスはケイナンに話しかけた。
「あの……確かソフィだったか?あいつがお前の姉ということだが……あの女といい、お前らはいったい何をしにここに来たんだ?」
「何をしに……って、戦争終わったんだから働き口を探しにここまで来たっていいだろう。お前らみたいな社会不適合者と違って、マトモな職が欲しいんだよ俺は」
「社会不適合者とはお厳しいこと言うじゃねえか……俺っちだって金が……」
だがオルキスが言い終わる前に、ケイナンは目の前から姿を消した。そして風が吹いたかと思うと、後ろから呻き声が聞こえ、オルキスが振り返るとハンドサインを出して逃がそうとした手下二人が青髪の人間に倒されていた。
「……無駄口で注意をそらすなら、もっと気になること話さないと」
仲間が倒されたことで周囲のチンピラたちもナイフなどの武器を取り出す。ケイナンの周りに10名ほどの魔人が囲んでいたが、ケイナンは一切の動揺を見せずに不敵に笑った。
「全員武器をあっさり取り出してくれてありがとう。おかげで“魔力”の類を使うやつはいないってことだ。……じゃあ俺一人で余裕で倒しきれるな」
× × ×
「す……すごい」
屋上からトシンとダグはケイナンの暴れっぷりを見ていた。10人の武器を持った魔人に囲まれているにも関わらず、ケイナンは素手で彼らを次々と倒していく。
「本当に人間なのか……!?」
トシンはそう言葉を出すしかできなかった。まだ出会って数日も経っていないどころかなかなか話す機会もなかったので、まだケイナンの人となりについて知らないことのが多い。強いという話は聞いていたが、トシン自身はまだケイナンが戦っているところを直接見たわけではなかった。しかしこれはトシンが思う人間の域をはるかに超えていた。
「すごいや……」
ダグもトシンと同様の感想を抱いていた。ダグの言葉で気を取り直したトシンは意を決し立ち上がる。
「こうしてる場合じゃないぞダグ! 僕たちもいかなきゃ!」
トシンは少しでもケイナンを援護しようと屋上から飛び降りるが、ダグはその行動に疑問を抱いてトシンに尋ねた。
「ねえトシン……。君、こっから飛び降りて無事でいられるほど、身体能力あったっけ……?」
ダグの指摘にトシンは顔を真っ青にしながら、屋上から落ちていった。
「わ……忘れてたぁぁぁ!!! ぎゃあああああ!!!」
トシンは情けない叫び声をあげながら落ちていく。そしてかろうじて下にあった軒に身体をぶつけ、クッションになって直接地面に激突することは防ぐことができた。しかししこたま身体をぶつけたため、悶えながらなんとか立ち上がる。
「い……いたた……!」
いきなり上から落ちてきたトシンにケイナンから呆れながら声をかける。
「む……無茶なことするな君は……」
「……最近無茶なことばかりする人に、よりひどい無茶を押し付けられてるから麻痺してたよ……」
「ああ……姉さん相変わらず人使い荒いんだな……ご愁傷様……」
トシンの姿を見て、オルキスは驚いて声を上げた。
「あ! あの時の坊主!」
「……あ! あの時のインチキ宝石店主!」
オルキスの姿を見つけて、トシンも同様に驚いて声を上げた。
「せ……世間は狭いな……お前らも知り合いなのね……」
ケイナンは最後の一人をノールックの裏拳で意識を飛ばしながら、驚きあっているトシン達に呆れていた。
「僕がこの人に騙されているところを、ソフィ様が助けてくれたんだ」
「へえ……姉さんがわざわざ?」
「……? ああ、ただその前にソフィ様が人混みにぶつかって倒れているところを、僕が助けたのもあったけど……それがどうかしたの?」
「……いや」
ケイナンは姿を消してオルキスの懐に飛び込むと、腹に思いっきり拳をめり込ませた。防御反応すらできず、キツイのを入れられたオルキスはそのまま呆気なく地面に吸い込まれていった。
「……トシン、あとで時間くれないか。少し、お前に興味がわいた」
「あ……ああいいけど……」
オルキスが倒れ、トシンは周囲を見渡す。こうやって話している間にケイナンは周りにいたチンピラを全員倒してしまっていた――しかも無傷で。ケイナンは一仕事終えたように両手をはたくと、トシンとちょうど上から降りてきたダグに言う。
「さて、そこらへんで縛られている御者の手枷を切ってやったらさっさとこの場から離れよう。あとは戻ってくるであろう兵士たちに任せてな」
トシンとダグは頷くと、近くに転がされていた御者たちの手枷を切ってやり、その場から離れていく。――ここまでがソフィの指示だった。そして彼らが去って行ったあと、ミスティが到着し、すべてが終わった現場を見た。
「あいつ……ここまで……!」
――解決した現場だけを残されて、ミスティも認めざるを得なかった。ソフィという人間の"ヤバさ"を。