5-3
「大丈夫か?」
リズロウはソフィを背負いながら城下町を歩いていた。ソフィはぐったりとしながらも気丈に堪える。
「だ……大丈夫です……それよりあそこにいるのが恥ずかし……うっぷ」
あの後、ソフィは周囲の目線に耐え切れずリズロウに次の目的地へ向かうように要求した。しかし結局ソフィは足腰が立たず、リズロウに背負ってもらう形になっていた。――リズロウに背負われている姿を町中にさらしながら。
「恥ずかしいって……この恰好で町を練り歩く方がよっぽどな気がすっけどなあ……」
リズロウは呆れながら答えた。
「こういうとこは可愛いもんだがな。普段はいくつだか分からんくらいに人が掴めんのに」
ソフィは赤面しながらリズロウの背中に顔を預ける。大きく、そして暖かい背中だった。いつかこんな風景を見たような気がすると思いながら、ソフィはそれは無いとも思う。父にはこのようなことをしてもらったことは無かったのだから。
そんな中、先の道で何やら騒ぎの音が聞こえてきた。
「なんだ?」
リズロウは先を覗き込むが人だかりができておりなかなか見えない。
「……どうやら無銭飲食が……」
「ケンカだってよケンカ!」
「2対1だって! それに人間が!」
野次馬たちの会話が聞こえ、内容を把握するにつれ何やら尋常でない事態が起きているとリズロウ達は理解する。
「なんだ……人間が来ているのか!?」
リズロウは驚きの声を上げるが、ソフィもまるで心当たりがなく疑問を口にした。
「どうやってここまで来ると言うの……?」
リズロウは背負っているソフィを一度背負いなおし、しっかりを掴む。その行動にソフィは嫌な予感がしてリズロウに尋ねた。
「リ……リズロウ様……? 何をする気で……」
「少し揺れるけど、しっかりつかまってろよ!」
膝に力を入れ始めたリズロウにソフィはタップしてその動きを止めようとする。
「ちょっとまっ……! 降ろし……!」
だが遅かった。リズロウはその場で踏ん張ると一気に跳躍し、5メートルは上の建物の屋根へと飛び乗る。そして屋根の上から人だかりの先を確認し、前方にある宿屋の前でマントを羽織った人間が狼型の魔人とオークの魔人の二人を相手にしているのが見えた。
「あれか……!」
そしてリズロウは屋根伝いに跳躍して進んでいくが、その衝撃に背負われているソフィは耐え切れず、口から魂を出しながら呆気なく気絶していた――。
× × ×
投げ出された青年を追って、宿屋から出たアレクが見たものは、青年にのされて地面に突っ伏している狼型とオーク型の男二人と、傷一つなくピンピンしている青年だった。しかも武器と思われる荷物などは先ほどアレクが預かっていたため、青年は素手でこの二人を倒したことになる。それも、アレクが追って店を出るまでのわずかな間に。
周りには野次馬が集まってきており、人だかりができていた。青年は宿屋から出てきたアレクを見かけると声をかける。
「あ、おーい! 終わり……」
「危ない!」
呑気に手を振る青年の後ろから巨大な木材が振り下ろされ、アレクは青年を庇おうと駆け寄って、飛びついて辛うじて避ける。だがアレクはその木材を振り下ろした腕につかまってしまう。
「うあっ……!」
アレクは捕まえられて呻き、脱出しようとするがその腕は強靭な力でアレクの腕を離さなかった。そしてアレクを捕まえた巨体が人込みの中から姿を現す。
「俺の子分たちを痛めつけてくれたのはお前か……!」
木材を振るったのは身長が2m近くはあるオーガだった。青年はアレクを抱えているオーガに声を震わせながら言った。
「おい……その子は離してやれ……! こいつらを叩きのめしたのは俺だけだ! むしろその子は無銭飲食の被害者だぞ!」
「俺の子分たちが受けた痛みは、こんなものじゃないだろう……!?」
「ぐあああっ……!」
オーガはアレクの腕を強く締め上げ、アレクは苦しそうなうめき声を上げる。
「アレクさん!」
青年はアレクを心配するように叫び、悔しそうな表情をオーガに向ける。その顔を見てオーガは満足げな笑みを浮かべる。
「あ~いい!その顔だ! 最近人間の女にも商売が潰されてよお~! 人間のくせに我が物顔で歩き回る連中には反吐が出るんだよ! おめえはどうやら金を持ってるようだからよお~……有り金全部慰謝料で出してもらおうか! じゃなきゃあ、こいつにに子分たちと同じ痛みを味わってもらうがなぁ!」
オーガはアレクの頬に顔を寄せながら言うが、青年は軽くため息をついて肩をすくめた。そして財布を取り出すと、それをオーガの足元に投げ出す。
「ほら、受け取れよ」
金貨ではちきれんばかりの財布を見て、オーガは顔をにやけさせる。
「おっほほ! 素直でいいじゃねえか」
「……一つだけ言っといてやる」
青年はオーガに指を向ける。
「……我が家の家訓で“品性を持たぬ者、畜生と変わらず”って言葉があるんだ。残念ながら獣じゃ人間様には敵わない、そして品性の無いカスなんざ獣と変わらないって意味だ。お前は……あー……オーガって動物で何に例えればいいんだ?」
「なっ……!? てめえ何言ってやがる!?」
青年は自分より背丈が遥かに大きいオーガをあくまで見下す視線は変えずに言う。
「ほら、地面に金おいてるから、獣のように這いつくばって取れって言ってんだよ。オメエは魔人様じゃなくて、単なる獣だってことだよ」
「……フ……フフ……」
オーガは額に血管を浮かべ、怒りのあまり静かに笑い出した。
「オメエ……自分が状況がわかってんのか……!?」
「ああ、わかってるよ。お前が手加減する必要のない、クソ野郎ってことがな!」
青年は言い終わると一気に跳躍しオーガへ近づく。オーガはアレクを盾にして青年の動きを止めようとするが、青年はオーガの目の前に着いた途端、姿が消えた。
「何!? 何が起き……!?」
オーガは反応できずに周囲を見渡そうとするが、その瞬間に目の前に火花が散り、意識が遥か上空に持ってかれる。アレクを掴んでいた手の力が失われ、アレクは体勢を崩して地面に落ちそうになるが、その身体をオーガの背後から現れた青年が優しく抱きかかえた。
「大丈夫ですか?」
青年は抱えているアレクを見つめながら言うが、ちょっとして慌てて言いなおす。
「じゃ……なかった! 大丈夫か!? 怪我はない!?」
「は……はい……」
アレクは水色の肌に見てわかるくらいに赤みを差しながら頷いた。青年はそんなアレクの顔を見て、非常に可愛いと思いつつ、内心カッコつけが決まったというにやけ顔が微妙に隠しきれていなかった。――しかし彼はとても大事なことに気づいていなかったが。
× × ×
リズロウが屋根伝いに走っていき、騒ぎの中心に着地すると、そこには3人の倒れている魔人と、スライム型の魔人を抱き寄せている青髪の人間の青年がいた。青年はアレクを降ろすと、突然上からやってきた、しかも何故か金髪の女性を背負っている目の前の魔人の男に質問をする。
「あんたもこいつらの仲間か……? というか何で女の人を背負ってるんだ?」
「彼女は私の従者でな。今は体調を崩しているからここまで背負ってきた。私はこの国の魔人達の王、魔王リズロウだ。……お前は人間のようだが、この国に一体何の用だ?」
魔王と自己紹介したリズロウに青年は面食らって、態度を改めて答えた。
「ま……魔王様です……じゃない! 魔王なのか!? わた……じゃなかった俺はこいつらに襲われただけで、正当防衛……ってこの国に法律あります……いやあるだろ?」
どうも言葉の使い方がたどたどしい……というより変な詰まり方をしている青年に、リズロウが逆に調子が崩れされていた。
「あ……ああ。確かに正当防衛にはなるが……しかし……」
確かに現場の状況から3対1の状態かつ、一人は武器まで所有している。間違いなく正当防衛は適用されるだろう。だが、余りにもこの状況はデタラメだった。
「この魔人たち3人を、お前一人が素手で倒したのか……? 人間であるはずのお前が……」
リズロウは倒れているオーガたちを見た。ならず者のようだが、なればこそ貧弱な者たちではないだろう。魔人は人間との身体の作りの違いから、まず圧倒的に魔人が有利ではあるのだが――。そして青年の姿も恐らく10代後半くらいのまだ子供といっていい若さだった。
「……君の名前を聞かせてもらおうか」
「あ、え~と……俺の名前は……その……」
リズロウは青年に名前を尋ねる。しかし青年はなぜか挙動不審になり、答えに詰まっていた。
「どうした? 名前くらい……」
「その声……もしかして……」
意識を取り戻したソフィが顔を上げ、リズロウの背中越しから青年の顔を見る。ソフィの顔を見た青年は、途端に顔を輝かせ、ソフィを呼んだ。
「あ……あね……! ね……姉さん!!!???」
「ケ……! なんでアンタがここにいんのよ!?」
青年と顔を合わせたソフィは驚きの声を上げて、互いに指をさしあう。そして青年はソフィがリズロウに背負われているのを見て、次第に表情が変わっていった。
「……あんた! 姉さんに一体何してるんだ!」
「……は!?」
いきなり敵意をむき出しにし始めた青年に、リズロウは訳もわからず対応に困るが、ソフィは慌ててリズロウに言う。
「やばっ……! あの子、私に危害を加えられるとブチギレるんです! ……というかこの状況! 多分色々勘違いしてる!」
「ちょ……ちょっと待て!」
リズロウは青年を止めようとするが、青年は完全にキレてリズロウに向かっていった。
「問答無用!」
青年が跳躍すると、姿が消える。周囲の野次馬たちは青年のあまりのスピードに姿を見失うが、リズロウは余裕で対応ができていた。――しかし。
「くそっ! ソフィが邪魔だ!」
青年の攻撃に対応しようとするが、背負っているソフィが邪魔で受けきることができない。そしてすでに懐まで近づいていた青年の蹴りが顔面に迫ってきていた。
「……仕方ない。町長には後で補償金を支払うとしよう」
リズロウは足元を思いっきり踏むと、街路のレンガが巻きあげられ、青年に向かって石つぶてとなって飛んでいく。防ぐことができなかった青年は体勢を崩し、地面に受け身なく倒れてしまう。そして顔を上げると、リズロウは笑みを浮かべて青年を見ていた。
「身体能力は大したものだ。恐らく高度な訓練を積んだのか、身のこなしもその年にしては素晴らしい。……だが、まだ経験が足りないな。本当に私を倒したかったなら、ソフィを庇わせる前提で背後から攻撃すべきだったな」
リズロウは青年の頭を蹴っ飛ばし、意識を失わせる。そして力なく項垂れた青年を背負い、大きくため息をついた。
「ソフィ……多分お前の弟だと思うが、お前は弟まで“アレ”なのか?」
ソフィは厄介ごとを抱えたのかのように、顔を押さえながら言った。
「“アレ”ってなんですか……。とはいえ、弟がとんでもなく厄介なのはハイ、認めます……」