5-1
――馬車が揺れている。綺麗なドレスを着た少女が猿轡を噛まされ、両手両足を拘束されて隅で蹲っていた。馬車の外からは数人の男たちの声が聞こえてくる。
「……って売っ……」
「だ……身代……」
「そ……犯……」
それらの断片的な声が聞こえてくるたび、少女は恐怖で目を瞑って聞こえないようにする。暗闇の中にいれば自分がここにいる現実を忘れさせてくれる。ここにいる自分は自分でなくなるからだ。だが、その利発さが皮肉にも彼女に現実を認識させていた。
馬車が急に止まり身動きが取れない少女は床に投げ出される。そしてしばらく経って馬車の天幕が開けられ光が差し込んだ。少女は来るべき時が来たのだと怯え竦んだ。――しかし聞こえてきた声は少女が想像したものとは全く違う、優しく暖かいものだった。
「大丈夫。もう大丈夫だよ」
少女は恐る恐る目を開けるが、逆光となり自分に手を伸ばしている人間の姿が良く見えない。――いやそれは“人間”の姿をしていなかった。
「い……いや! 近寄らないで!い……!」
× × ×
「嫌っ!!!」
ソフィは夢の中と同じように手を伸ばし、そして目が覚めた。目が覚めてもまだ現実を把握できず、辺りを見回して確認する。ここは自分の部屋であり、時間は深夜で月の光が刺している。そして自分以外の寝息が2つ床から聞こえてきた。
「そうか……私は戻って……」
床で寝ていたのはトシンとダグだった。城に戻ったあと、リズロウに報告を行い(その際にリズロウはやりすぎだと頭を抱えていたが)、トシンとダグを自分の直属の部下にする旨を話した。
だが急な報告であったためトシンとダグ用の宿舎などは用意されておらず(逆にトシンの兵舎の部屋はあっという間に片付けられていた)、近くの宿を借りようとはしたが明日からの準備もあるため、今日だけはソフィの部屋で寝泊まりすることになったのだった。そして作戦の成功の祝賀会を行っており、部屋には飲みかけのジュースやお菓子が散乱していた。
「また……あの夢を見るように……」
ソフィはようやく自分の身体やベッドのシーツが汗でびっちょりと濡れてしまっていることに気づく。その感覚が気持ち悪くなり、ソフィは着ていたローブを全部脱ぎ、ベッドから出た。寝息から察するにトシンとダグの二人は熟睡してるだろうから問題ないだろう。
「はぁ……。寝床が違うとはいえ、男と同じ部屋で寝たからかしら……」
身体の不快感が治まり、今度は喉が渇いていることに気づく。甘いものも飲みたくないため、部屋の隅に置いてある水瓶までトシン達を起こさないように慎重に歩いていく。そしてその最中、トシン達の布団が乱れているのを見て、通るついでに布団をかけなおしてやった。何もしていないとは言え、光景だけ見れば非常に“ヤバい”ものだろう。ソフィは自嘲するように鼻で笑い、差し込んでいる月の光を見る。
「“あいつ”が見たら、どういう反応するからこの光景。怒り狂うかな? それとも……」
水を飲んだソフィはやっと落ち着きを取り戻し、ベッドに戻っていく。そしてソフィが寝息を立てると、トシンの鼻から鼻血が垂れだしていた。
(セ~~~~~ッッッフ!!! バレずに済んだああああ!!!)
トシンは実は起きており、ソフィが服を脱ぐところもバッチリ見てしまっていた。そしてソフィがこちらに近づいてきてしまったこともあり、バレないように寝たふりを維持するのに興奮しすぎて鼻血を吹き出してしまったのだった。
(無防備すぎるって本当に! そのくせ男性の裸は見慣れてないようだし……何だろうな変にちぐはぐな気はするけど……。それに)
――“あいつ”とは誰なんだろうか? この光景を見て怒るということは――男? なのだろうか。それを考えるとトシンは胸が締め付けられるような感覚があった。
× × ×
――同じころ、草原のど真ん中で焚火をして野宿をする青髪の青年がいた。焚火の日にあたりながら、絵の入ったペンダントを眺めていた。その絵には金髪の少女と青髪の少年仲睦まじい姿が描かれていた。
「2か月ぶり、か……」
× × ×
翌日、ソフィはトシンとダグを事務関係の作業する部署に預けていた。しばらくは二人に引き継ぎをさせるために色々な作業を覚えてもらうためだった。それにソフィ自身もリズロウに付き従って町に出る予定となっており、別の用事で先に城から出ていたリズロウと合流するために、町のカフェで待機していた。
「う~ん! やっぱり城の外のが食べ物は美味しいなぁ!」
ソフィはカフェのテラス席でパンケーキとアイスを山盛りで食べていた。城の中ではどうしても決められたメニューしかなく、それに魔人の味付けに合わせた料理ばっか出るので、自分で食べるものが決められる外の食事のがソフィにはありがたかった。
「すみませーんおかわりー!」
3皿目のパンケーキを平らげ、4皿目のお替りに移っていく。アイスもこれで5個目であり、ホットケーキに乗せるのと並行しておかずとして食べていた。砂糖もタップリいれたホットコーヒーを一口飲み、ソフィは幸せな表情を浮かべる。
「あ~~ゲェェップ! 甘いものおいちい……」
だがその時、足元で衝撃が起こり、テーブルの上にあったコーヒーが落ちそうになる。そしてその下には――。
「危ない!」
ソフィは咄嗟だった。コーヒーに――ではなく、その下の衝撃の発生源であるエルフ型の少女に手を伸ばす。そして少女にコーヒーがかからないように庇い、ソフィの腕にコーヒーが大量にかかってしまった。
「フ~危なかった。……大丈夫?」
「ア……! ……イック……エック……!」
ソフィは少女に優しく声をかけるが、少女は怯えて泣き出してしまう。ソフィは直接見てはいなかったが、恐らくこの女の子がはしゃいで走り回っていて、テーブルにぶつかってしまったのだろう。騒ぎを聞きつけて少女の母親が慌てて向かってきていた。
「す……すみません! この子が不注意で……!」
「あ~……大丈夫ですよお母さん。私は怪我はしてませんから」
確かにソフィは火傷も傷も負っていなかった――その代わり服の袖がコーヒーで茶色いシミになってしまっていたが。
「その服……! 王城の……!」
少女の母親はソフィの姿を見て顔を真っ青にする。恐らくソフィの素性に気づいたのかもしれない。そしてこの服がどれだけの価値があるものかも。
「べ……弁償を……」
「あー……すみません店員さん。アイスコーヒーお願いできます?」
ソフィは事態を横から見ていた店員に声をかける。
「え……? しかし……」
急に声をかけられた店員は面食らうが、ソフィは明るい笑顔を崩さずに言った。
「いや、喉渇いちゃって。できれば氷無しのぬるめのコーヒーが欲しいんですけど」
「は……はあ。かしこまりました」
そして店員は急いでコーヒーをソフィに持ってきた。
「こちらになります」
「ありがと」
ソフィはコーヒーを受け取って飲もうとするが、手を滑らせてコーヒーを落としてしまった。
「あっ! やばっ! コーヒーが!」
そして先ほど少女を庇って濡れてしまった部分に改めてコーヒーがかかる。
「あっちゃ~~やっちゃったよ私が。しょうがないな~……ま、経費で落ちるからいっか。……ってわけでこのシミ、“私が”つけちゃったので」
目の前で起きたことにエルフの母娘は言葉を失っていた。
「だからこれでおしまい! あ、そうだ」
ソフィは小銭を少女に渡す。
「頭ぶつけて痛かったでしょ? これでアイスでも買っておいで」
少女は咄嗟に頭を触る。――たしかに頭をぶつけていたが、自分を庇ってコーヒーに濡れたソフィの手前、痛い事を示すのは悪いことだと思って触らないようにしていたのだった。そしてソフィは頭をぶつけた所を見ていないはずだった。
「……髪の毛がちょっと乱れてるのと、他に目立った汚れが見当たらないからね。それに痛いのを我慢してたのか目元が少し揺れてたから」
少女はソフィから小銭を受け取ったが、言葉の出しようが無かった。だが少し時間が経ってようやく落ち着いて、母親の方がソフィに謝る。
「も……申し訳ございませんでした! 娘にもきちんと言っておきますので!」
母親が謝ったことでようやく少女も正気を取り戻し、頭を下げた。
「ご……ごめんなさい……」
ソフィは照れながら鼻をかいた。
「大げさよそんな……じゃあ私もそろそろ時間ですから。気を付けてくださいね」
ソフィはテーブルの上に会計のお金を置く。だが、ソフィの食事代だけでなく、多めにお金が含まれていた。
「これ。テーブルシーツ汚しちゃった迷惑料で」
呆気にとられる店員たちにソフィは手を振りながらその場を離れていった。――そしてその光景をリズロウは陰から見ていた。
「ったくあいつは……」
× × ×
ソフィはリズロウとの待ち合わせ場所に着き、リズロウの到着を待つ。そして数分した後、リズロウが待ち合わせ場所にやってきた。片手にはコーヒーが握られている。
「リズロウ様。お待ちしておりました」
「うむ」
そしてリズロウはソフィの右腕を見た。
「……それはどうした」
右腕についたコーヒーのシミを指摘され、ソフィは申し訳なさそうに言う。
「申し訳ございません。コーヒーこぼしてしまいまして……」
「何をしているんだ。これから町の代表者たちと会議があるんだぞ!」
「返す言葉もございません……」
「ハァ~……」
リズロウはため息をつく。そして少し意を決するとコーヒーを自分の腕にこぼした。いきなりリズロウが腕にコーヒーをかけ始めたのを見て、ゾフィは驚愕する。
「な……何をされているのですか!」
「いやあ俺も腕にコーヒーをこぼしてしまってな。まあしょうがないだろう」
どう言葉をかけていいかわからないソフィにリズロウはその背中を叩いた。
「ほら、次の目的地に向かう馬車が来るんだから、さっさと行くぞ」
歩いていくリズロウだが、ソフィは足が止まったままだった。
「……どうした? もうコーヒーの事はいいだろう。さっさと……」
「え……ば……馬車ですか……?」
「どうした?」
ソフィの顔は引きつっており、手は強く握られていた。
「あ……その……!」
「もう時間がないんだから早く行くぞ」
先を行くリズロウにソフィは躊躇しながらついて行く。だがその足取りは明らかに重いものだった。