3-2
――ソフィがアスクランに来てから1月が経った。ソフィが提案した街の名前は土地の名前から『セベドナ』と名付けられ、各方面への配慮からソフィの意思は一切含まない事になった。各種資材等の準備が進められる中、一つ大きな問題が発生していた。
「何!? オークが街の建設のための労役に従いたがらない!?」
リズロウは自分の執務室でソフィと共にミスティからの報告を受けていた。
「ええ、どうもオークたちは土木工事の類を受けたくないとの事で」
エルフとオークは同じく森を生息域とするが、それゆえにあまり仲は良くはない。ミスティの口調もオークへの若干の軽蔑心を隠せないでいた。
「きちんと賃金や待遇の話も伝えているか?」
リズロウはミスティに尋ねるが、ミスティはまとめた書類を持ちながら頷いた。
「ええ。オークたちに限り賃金や雇用条件に優遇処置をし、街ができた後も優先的に職を斡旋する旨もお話ししました」
「だとしたら何故……!?」
「さあ? どうせオークたちはやば……ムグッ!?」
ミスティが言い切る前にリズロウはミスティの口を手で塞いだ。リズロウの手が口に当たる形になったミスティは赤面しながら、自分が発言しようとしていた失言の反省をした。
「……申し訳ございません。軽率でした」
「ああ、気を付けてくれ」
リズロウはミスティの唇から手を離し、ミスティから受け取った報告書に目を通す。10年以上の付き合いという事もあり、特に気を置く必要もない関係だった。ソフィはそれを何の気もないといった具合で目も合わせないようにする。
「で……報告をまとめるとこれか。“オークたちは現状の待遇に不満を抱いている”と」
リズロウが言うとミスティは頷いて答えた。魔人の中で魔物の性質が強く出ているオークは、見た目もほとんど魔物であり、他種族との交流も得る機会は余りなく、好戦的な性質を持ちがちであった。野蛮であるとして同じく森に住む傾向があるエルフとも仲が悪く、ミスティがオークたちに対し軽視している理由もそこにあった。
全体の人口でオークが多いのもあるが、その犯罪率も種族単位で割るとオークがトップであり(そもそも人口が多い理由が他種族の女を攫っていたという歴史もある)、リズロウも人間との和平を結ぶにあたり苦労したのがオークの扱いだった。どうしても意見に従わせるために“実力行使”すら用いたこともあった。
「せっかく平和になったと思ったら、か。全くままならんものだ」
リズロウは弱って書類を机の上に放り投げて椅子に寄りかかる。その様子をミスティが呆然とした表情で見て、リズロウは慌てて姿勢を元に戻す。いくら気を置かない関係とはいえ、ここまで自然体な姿勢を魔王が部下に見せていいわけではない。リズロウは心の中でソフィに毒づいた。最近アイツが来てから素の性格を出しがちになってしまう。気をつけなければ――。
「あ、そうだ」
リズロウはソフィを見て意地の悪い笑みを浮かべる。その笑顔を見たソフィは嫌な予感がし、恐る恐る表情の理由を尋ねた。
「な……何を思いつかれたのですか……?」
「お前、オークの里行ってこい」
「…………はい?」
× × ×
そして1週間後、朝早くからアスクラン城下町を出発する国境補給部隊の中に、不機嫌そうな顔をしたソフィが、兵たちと共に歩いていた。
「なんで私がこんなことに……」
ソフィは歩きながらぶつくさと文句を言う。荷物は荷馬車に預けてもらっている為手ぶらではあるが、運動がさして得意ではないソフィにとって、国境付近にあるオークの里までの道のりは非常に堪えるものがあった。本来は馬に乗ればいいのだが、ソフィは乗馬が得意ではなく、馬車に関しては乗ると酔ってしまうために他の移動手段が取れず、結局歩くしかなかったのだった。
「しっかりしてください。ソフィ様。オークの里まではここから2泊3日で着く予定ですから」
横にいる犬型獣人の少年の言葉を聞き、ソフィは更にゲンナリする。
「そうやってこの先の具体的な道のりを言ってくれないでくれる? トシン……」
「僕も本来の任務がありますから、ソフィ様の横にずっといれる訳じゃないですからね。頑張ってくださいよ」
ソフィがアスクランに来た際に初めて会ったトシン少年だった。あれ以来仕事が忙しい事もあり全く会えていなかったが、どうやら国境補給部隊に配属されたようであった。ソフィはオークの里に向かう際に国境補給部隊に相乗りさせてもらう形になり、そこで偶然再会したのだった。
「あ~~う~~。こういう体力勝負は苦手なの~~。お願い私を背負って~~」
ソフィはトシンに寄りかかるが、トシンは赤面しながらソフィを引きはがした。
「ちょっと! そんなん無理ですって! 僕だって体力ある方じゃないんだから……!」
「トシン! 何やってる! さっさと来い!」
遠くからトシンを呼びつける声が聞こえ、トシンはソフィを避けるとその声に返事をした。
「はい! 隊長! 今行きます!」
支えが無くなる形になってしまったソフィは地面に倒れ、走って隊長の下に向かっていくトシンを見ていた。隊長の下についたトシンは隊長に引っぱたかれると、何とかそれを耐えて踏みとどまる。そして頭を下げて謝り、隊の荷物持ちをしていた。
「な・る・ほ・ど・ね……」
ソフィは先ほど触ったトシンの身体の感触を思い出していた。そして指を唇に当て、その部隊の様子を鋭い眼光で見ていた――。
× × ×
結局その日は一日中歩き通し、夜になって行軍が終了したころにはソフィは足がパンパンになり立ち上がれないほどだった。設営してもらった天幕の中で、仮設ベッドに寝っ転がりながら、ソフィは持ってきていた書類に目を通していた。
今回のこの任務、ソフィが一人で行くのはソフィとしても理解できない訳ではなかった。ソフィがアスクランに来てから1月余りが経ち、ソフィが各部署に指導してきたことも浸透し始めていたが、その反面ソフィへの依存度が加速度的に上がってきてしまっていた。そのため、一度ソフィがいない状態を作り、ソフィ抜きで執務を回せるようにしておく必要があった。
だがそれはそれとして、ソフィは足を揉みながらこの命令を出したリズロウを恨んだ。これがあともう一日あると考えると明日は乗り切れるのか――。その不安が胸の中で大きくなる。大事故が起きる覚悟で馬に乗るか、もしくは――。そう考えていると、天幕の入り口から幕を揺らす音が聞こえてきた。
「ソフィ様よろしいでしょうか?」
トシンの声だった。ソフィは膝をガクガク震わせながら近くの机につかまり立ち上がる。
「いいわよ。入ってちょうだい」
「失礼します……」
トシンは天幕の中に入ると、生まれたての小鹿見たいな状態のソフィを見て呆れた表情を浮かべた。
「だ……大丈夫ですかソフィ様……」
「……正直ダメだから、お茶の用意とか君がやってくれない……?」
トシンはソフィの指示を聞きながらお茶を淹れており、その間ソフィは机の上で突っ伏していた。疲労困憊もいいところなソフィの様子を見ながら、トシンは心配しながらお茶を出す。
「割とまずいよなぁと思ってはいましたが、そこまでですか……」
トシンはまずはソフィの分のお茶を出すと、自分の分のお茶を机の上に置き、椅子に座った。ソフィは気合いを入れて身体を起こすと、お茶を有難そうにすする。
「ズズズ…………っっっっああああ~~……。自分でお茶入れるのももう一苦労だったから、ほんっっっとうに助かったわ……。誰もそこまで手伝ってくれないし……」
「まぁ……あまり人間に好意的な人は少ないですね。自分も軍隊に入ってそこは初めて知りました」
トシンもお茶を飲むが、ソフィはその様子を抜け目なく見ていた。袖から覗いて見える腕には擦過傷があり、その動き一つ一つを観察していた。
「……どう、仕事の方は。君とはあれ以来あまり話す機会がなかったけど」
「え? ……あ、え~と……。まあ順調ですよ。隊の皆さんも良くしてくれますし」
トシンは目を合わせずに答える。
「ふ~~ん……」
「あ、そうだ! 僕がここに来たのには理由がありましてですね」
トシンは慌てて話題を変え、持ってきた棒状のモノを机の上に置く。
「なにそれ?」
「杖ですよ杖。こちらをソフィ様に渡しに来たんです」
ソフィは杖を手に取った。片方に包帯が巻かれており、どうやらそっち側が持ち手部分らしい。地面につける部分が尖っており、地面を捉えやすいようにしてるようだった。
「見てた感じ歩く際にそういった補助具とか何にも用意してなさそうだったので。騙されたと思って使ってみてください。大分変わりますから」
「え……ええ。ありがとう……」
ソフィから礼を言われてトシンは本当に嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「よかった……! ではそろそろ戻らなければならないので、また明日頑張ってくださいね!」
そう言うとトシンは一礼して天幕から出ていき、駆けて隊の方へ戻っていく。ソフィはトシンから貰った杖を数回投げて弄ぶと、ため息をついて呟いた。
「まったく…。“お人好し”な性分なのねあの子は」