国外追放された悪役令嬢を拾って、国を滅ぼした話
「あなたを傷つけたかったの」
残酷なことを言い放った彼女はとても落ち着いていたけれど、目だけは野生の獣のように光っていた。
シアとはじめて出会ったのは国境の都市に近い街道の外れで、わたしは脚にケガをして難儀をしているシアにヒールを施してあげた。
そのときのシアの身なりは垢じみてボロボロで、武器もなく、とても一人旅ができるようには見えなかった。せっかくの豊かな黒い髪が砂と脂でぼさぼさで、哀れさを誘った。
けれど、こちらを見上げる金の瞳がオオカミのように光って決して腕力のようなものに現れない彼女の強さを想像させ、きれいだと思った。きりりと釣り上がった眉、ツンと尖った顎、キュッとしまった口、どれをとっても私好みだった。
ケガを治してやっても礼のひとつも言わず当然といった態度の彼女に、わたしは「せめて名乗れ」と言い放った。
彼女は少しのあいだ逡巡した素振りを見せたけれど、一言だけ「シア」と名乗った。
手を取り立ち上がらせると、今度は意外なほどに大人しく彼女はわたしに従い歩き出した。
当時、わたしはかなり腕の立つ冒険者として鳴らしていて、ちまたでは有名人だった。いい意味でも悪い意味でも。
女の冒険者はなにかと面倒だ。
本当は男のいるパーティーでうまくやっていくほうがいろいろと穏便に済むとわかっていたけれど、わたしは頑固で不器用なので一人でやっていけるように強くなった。
そんなときに、どう見ても戦えないシアを定宿に連れ帰ったものだから、ギルドでは散々からかわれ、ちょっかいを出されたものだった。
それをわたしは剣の冴えと、鍛えた魔法で黙らせた。
馴染みの宿の部屋に帰って、とにかく湯を使わせてやろうとわたしは当然のようにシアを裸にひん剥いた。下心があったことは否定しない。
わたしの乱暴で無造作な手つきに、シアは恥じることなく誇り高い女王のように応じた。
そのとき、「おや?」と思ったものだった。もしかしたら、シアは人に世話されることに慣れている身分のレディーではないかと。
それはシアの背中を目にしたときに確信に変わった。湯で洗い流したシアのなめらかな背中には醜い焼き印があり、それは魔法を封じるものだった。傷跡はまだ赤く、新しいものだと思えた。
冒険者とは、世情に敏いものだ。そうでなくては生きては行けない。
数週間前、隣国の王城で大きなスキャンダルがあった。
皇太子とその取り巻きの青年たちがこぞって一人平民の女に夢中になったと。皇太子と未来の重臣たちがそのようなくだらない理由で合い争うことは本来あってはならないことで、王はその状況を深く憂いた。
彼は一人息子で、代わりの王子はいない。馬鹿な痴話騒動に巻き込まれる前までは聡明な皇太子だったのだ。未来の王が理由なく平民に惑わされるなどあってはならないことだった。
だから、王は理由と悪者を必要とした。
そして、ハズレくじを引いたのが、幼いころから皇太子の婚約者だった公爵令嬢だった。曰く、その責任があったのに未来の王を支え諌めることができなかった罪があると。むしろ、愚かにも婚約を厭った公爵令嬢が破談を企み平民の女を差し向け、王子を陥れたのだろうと。
そして、一人の罪のないレディーが裁かれた。刑は罪人に押される魔封じの焼き印と国外追放と決まった。
騒動の中心にいた平民の女がどうなったのかはとんと聞かなかった。もしかしたら秘密裏に始末されたのかもしれないし、適当な身分を与えられて公妾のような立場になったのかもしれない。
理不尽な裁きの裏に、王家と公爵家の密約があったともっぱらの噂だった。公爵家は娘を差し出すかわりに王家への大きな貸しを作り、王家は体面を保った。その証拠に直後に公爵家は直轄領を下賜されて領地を広げている。罪人の家にする対応としては不可解だった。
まあ、とにかく馬鹿な青年たちの罪が、すべて一人の少女になすりつけられ、彼女は国を追われた。
ちょうど隣国で刑が執行されたと思しき時期にわたしはシアを拾ったのだ。
これでシアが何者か気がつかなかったらそいつは馬鹿だ。
わたしももちろん気づいたけれど、あえてそれを口に出すことはしなかった。シア自身、わたしが悟ったことを察したのか、ふんっと鼻で笑ってそれでおしまいだった。
シアは本名こそ名乗りはしないものの、そのふるまいの優雅さもダイヤモンドのような気高さもまるで隠そうともしなかった。
わたしはそれでいいと思った。
それでこそ面白いと。
誇り高き高嶺の花を手折れるはずもないと思い夜にベッドに押し倒したら、彼女はわたしをやんわり抱くようにして受け入れた。
なにをしても、彼女は怒りも抵抗も見せなかった。眉を寄せ額に汗をかきながらうっすら微笑むようなことすらして、わたしを煽った。
けれど、彼女の本心はわからなかった。たいして興味もなかった。
わたしには隠された人の心の傷を勘繰る趣味はない。
そうして、わたしは昼はギルドの依頼をこなし、夜には彼女と寝た。
ときには数日間留守にすることもままあり、万が一を考えわたしがどこかで野垂れ死んでも彼女が困らないくらいの金銭を渡して宿に一人残すことにした。けれど、わたしは彼女の昼の行動に干渉しなかった。シアもまたわたしに一切の干渉をしなかった。予定を尋ねることもなく、頼みごとひとつすることなく、いつもツンとすまして「行ってらっしゃい」の一言だけ。
だから、わたしは気づかなかった。
彼女が徐々にこの国の高位貴族に接触していたことに。
未来の皇妃は、社交にも熱心で国外で評判も高かった。隣国内では王の権威のもと暗黙の了解というものがあったが、あいにくこちらは他国である。
彼女は自分に持てる最大限のものを利用し、己を外交材料にして、この国の権力者たちに自分を売り込んだのだ。
わたしがのんきにドラゴン退治などにいそしんでいたころ、彼女はなにを思っていたのだろうか。
ねばり強く戦い見事ドラゴンを打ち倒し数週間ぶりに帰り、ドラゴンスレイヤーとして名を馳せたわたしは、王城に呼ばれた。
よく磨かれた寄木細工の床に金箔装飾の柱、天井まで届く大きな硝子窓……キラキラしく広々とした謁見室で膝をつき、顔をあげることを許されたときわたしは目を疑った。
そこには彼女がいて王の隣の隣くらいの位置でほほえんでいたのだ。
この国の王がグダグダと何かを言っていたが「光栄です」の一言を絞り出すので精いっぱいだった。
王の話を要約するとこうだ。
「おまえは強いらしいがこの国のために戦えるか? ちなみにおまえに拒否権はない」
彼女の生まれた国と戦争がはじまるらしかった。
そしてわたしは徴兵された。
なにがどうなってそうなったのかはわからないが、とにかく彼女が仕掛けたことだけはわかった。
わたしはもう、いつもの宿に帰ることは叶わなかった。
宣戦布告の日、王城でパーティーが開かれた。わたしも出席を命ぜられて、軍服を着て参加した。
そこに着飾った彼女が現れた。
彼女はそこでは「レティシア」と呼ばれていた。美しく着飾った彼女は毅然と背筋を伸ばしとても場に馴染んでいて、こういった場所こそが本来彼女の生きる所なのだろうと思わせられた。
わたしは彼女をダンスに誘った。
彼女はほほえみ、わたしの差し出した手の上に優雅にそのたおやかな手を乗せた。
ダンスの最中、わたしたちはいくらか言葉をかわした。なんだかはじめて彼女と話すような心地だった。実際、まともにしゃべったのはその日がはじめてだったかもしれない。
「てっきりわたしの誘いを断るかと思いました」
「あら、わたくしがあなたの誘いを断ったことなどありましたかしら」
彼女は不敵にほほえみ、わたしは赤面した。
「それにしても、あなたが踊れるなんて思いませんでしたわ。しかも男性パートを」
「これでもわたしは女性を満足させるための教養をひと通り身につけているのですよ」
「まあ、わたくしには全く思いもよらないことでした。自己評価が高くていらっしゃるのですね」
彼女の皮肉は効いた。
夜のことをなじっているのかとも思えたし、彼女のやっていることにまったく気づきもせずまんまと嵌められた鈍感さを指摘されているのかとも思えた。
握った彼女の絹の手袋の感触も、手を回した背中の布地越しに感じるコルセットの感触も慣れなくて、よそよそしく感じた。
けれど、思えばずっとわたしたちはよそよそしかったのだ。
その後、わたしは最前線へ送られた。
レティシアもまた軍を見送りに来て「行ってらっしゃいませ」と言った。
正式な戦争の名目はなんだったのだろうか。
どうも、もともとこの国は密かに侵略戦争を企んでいたらしい。
そこに祖母の代に王家の血を引く公女が転がり込み、機密情報と共に亡命を申し出た。
隣国の現王家の直系は多くない。殺してしまえば、傍系の彼女を玉座に据え傀儡の王にすることができる。
実質的な植民地だ。
こんな国に彼女を捨てた隣国の考えの浅さを笑うしかない。
ドラゴンスレイヤーの英雄といえば聞こえはいいが、実際は捨て石の大砲のような役回りだった。
わたしができるだけ敵兵をなぎ倒したあとに、味方騎兵がゆうゆうと行進していくのだった。
前線にいるのは、無理やり徴兵されたろくな装備も持たない平民だった。彼らは人の壁で、その背後に本物の軍隊が控えている。少し前までは戦場に立つことなんて考えてもいなかった戦い方も知らない人たちをわたしはなぎ倒して、貴族の軍人を殺すべく積極的に切り込み進んだ。
権力ってなんて汚いんだろうと思った。
敵国の城に一番に攻め込んだのもわたしだった。
わたしが真っ先にしたことは、バカ皇子とその腰巾着を探して首をはねることだった。騎士団長の息子と魔術師長の息子はこれまでの道行きで倒していたが、宰相の息子と皇子はまだだった。
皇子の次は王を狙った。
本当は王族は生け捕りにせよ、と命令がくだっていたけれどわたしはあえて無視した。
どうせ処刑するんだ。関係ない。
首をはねる前に、皇子にも王にも「なにか言い遺すことは?」と尋ねてやった。
少しだけ彼女への謝罪を期待していたのかもしれない。あるいは、無駄に死なせてしまった民への贖罪のかけらでもあるのかと知りたかった。
けれど、やつらはみっともなく命乞いするか命令するかしかできなくて、こんなやつらのせいで……となんとも言えず悔しく虚しい気持ちになってあっさり殺してしまった。
血のついた王冠が転がり、わたしはそれを拾い上げて玉座の背にもたれかかるように立って友軍が揃うのを待った。
玉座の間を見渡すとそこかしこに死体が転がり、血が飛び散り生臭くさんさんたるありさまだった。
そう遠くない未来、彼女がここに座るのだろう。
そのときのわたしの立ち位置はどこになるのだろうか。
国に帰ったわたしはまた表彰された。今度は、戦争の英雄として。
彼女はまた王の隣の隣くらいの位置に立っていた。
我が国の王が言う。
「なにか褒美を取らせよう」と。
わたしはひとつだけ王に願った。
わたしが望みを口にしたとき、レティシアの眉がきりりと釣り上がるのを見た。
それがほんのり愉快だった。
わたしは爵位を賜わり、隣国の新王の親衛隊長になった。
彼女の隣に立ってわたしは彼女に問うた。
「満足されましたか?」
「いいえ、わたくしは満足するということがないの」
彼女はまっすぐ前を向いたまま振り向きもせず答えた。
「でもたくさんの人が死にました。あなたさまは稀代の悪女と呼ばれているそうです」
「もともとそうだから構わないわ」
「あなたさまはなにが望みだったのですか? 復讐? 権力を手に入れること? わたしが守って差し上げていたのに、あのままでも十分平穏に暮らせたのではありませんか」
そのときになって彼女はこちらを向いて例の獣のような光る眼で、こう言った。
「あなたを傷つけたかったの。でも残念だわ。あなたって傷つくってことがないみたい」
わたしは黙って彼女を見つめ返した。
「そんなことのために?」
絞り出した声はかすれていた。
「そんなことのためよ。なにもかも失ったわたくしに手を差し伸べたのはあなただった。
でも、わたくしはあなたを目にすると腹立たしい思いがするの。あなたは自分だけの力で、自分勝手にやっていたわ。わたくしは生まれてからこれまで、自由なんてなかった。与えられたものしかなかったの。周囲に与えられた役割通り、期待されていた通りにやっていたら、あのザマよ。自由人ってほんとに憎たらしい」
「そうだったのですか……もうとっくにわたしのすべてはあなたさまに奪われていたというのに」
「ばかみたい」
彼女はそう言って、唇を噛んだ。
ほんとに悔しそうに。
わたしはそれを美しいと思った。
わたしは彼女のためなら、罪のない人を何万人だって殺せる。
国だって取ってこれる。
なんでも捧げられるのだ。
でも、彼女はまだわたしからなにかを奪いたいようで、わたしはそれを彼女に与えてあげることができなかった。
だって、彼女がわたしになにかを望む限りわたしは限りなく幸福になれるのだから……!
たとえそれが憎しみでも、うれしかった。
夜、豪奢な王の寝室のなかで彼女の背の肉の盛り上がった傷を舐めると、彼女は悔しいのか気持ちがいいのか声をあげた。
抱き合うと彼女は、わたしの背に鋭く爪を立てた。
新王は民に人気がなかった。
侵略戦争を仕掛けたのだから当たり前だった。
どうせ長くはない王朝。
権力にも民にも興味のない彼女は、そのうちきっと国を滅ぼすだろう。
それでもいいと思った。
この国が滅びるそのときまで、わたしはシアの隣に立ち続ける。
壊して奪うことしかできない彼女に、わたしは与え続けるのだ。
身勝手にも自由に。