前編
「すまないジェミニ……俺は、ルワーナを愛している……っ!」
「お、お兄様……っ?」
「妹だからと、諦めていた。ずっと抑えて来た。だが、それは無駄な事だったと知ったんだ。俺とルワーナ……彼女との間に、血の繋がりはないと!!」
──だから、君とは結婚出来ない。
──俺は、ルワーナと結婚する。
まるで恋愛小説の様な一幕だ。政略結婚ではなく、真実の愛に走る男と、その愛を今初めて知った女の話。となると自分は悪役か、良くて当て馬と言った所か。そして順当な結末は二人がその愛を貫き、突然婚約破棄を言い渡されたジェミニは引き下がる以外の選択肢を与えられない。
読者だった頃は、その展開に胸を熱くさせて高鳴る鼓動とときめきに頬を緩めていたけれど、己がその立場になってみると恐ろしく不愉快だし、こんな理不尽受け入れられるかと怒鳴ってやりたくなる。創作の中にいる追い縋る系には全く感情移入出来ないが、平手打ちする系にはこれから全力で共感出来るだろう。卒業後の内輪パーティーで、大切な友人や親族の前でこんな仕打ちをされて、平手打ちで済ませるならむしろ寛大だと思う。
とはいえ、これは現実である。
物語の様な結末が訪れる事はないのだと──他でもない、ジェミニが誰よりも知っていた。
× × × ×
ジェミニ・ロンドアとその婚約者ダイア・サンスリーは完全なる政略婚約である。貴族社会に産まれ生きてきた者同士、互いの存在を知ってはいたが幼馴染みと呼べるほどの関係でもない。昔からの顔馴染み、程度の距離感といえばいいだろうか。
それでも婚約が決まったのは、三年に上がるまでにお互い相手が決まっていなかった事、一方的に恋慕する相手もいなかった事、そして家同士に多少なりとも益があった事。最終的には、お互いが頷いた事で婚約は纏まり、学園を卒業したらすぐに籍を入れる運びとなっていた。
政略結婚が時代錯誤とされ始めた今では、確かに珍しい始まりではあった。しかし卒業までに恋が始まっていなければすぐに見合いをさせられ、同意すればそのまま結婚となるくらいには、まだまだ考え方の根本に変化はないのだ。勿論強制や、片恋を踏みにじらなくなっただけでも相当の進歩ではあるとは思うけれど。
何にしても、ジェミニとダイアの婚約はきちんと当人同士が承諾した上で始まった事であった。ダイアの方は実は恋慕う相手がいた訳だけれど、ジェミニに方は浮いた話の片鱗すらない。
恋愛を題材にした創作物は好んでいたし、ときめきもドキドキも色んなヒロインを通して経験した事はある。恋愛がどういう物なのか、感覚的にはきっと理解していた。けれど、それを誰かに抱いた事はなかった。
婚約を決めたのは、どうせ結婚するなら卒業後より同じ学舎で一年を過ごしてからの方がいいと思ったから。幸い同学年だったし、少しでも交流する期間があったなら、歩み寄る事が出来たらと。
ダイアの一つ下の妹、ルワーナ・サンスリーを知ったのは、婚約してすぐの事だった。
美しい銀色の髪と目をしたダイアと違い、金色の髪とラズベリー色の目をした、天使を連想させる美少女。小さな身長と華奢な体は、同性であるジェミニも何度となく守りたいと思ってしまうか弱さがあって。真っ青な髪と水色の目、高めの身長と成熟した体付きで大人びた印象を与え、喜怒哀楽があまり出ない表情からクールな女性というイメージが確立されたジェミニとは、正反対の女の子。
そして、そんなルワーナに対して、ダイアはとことん過保護だった。
それはもう、目の中に入れても痛くないという可愛がりようで。何処に行くにも、何をするにもルワーナが最優先。彼女の体調が悪いと聞けばすぐに赴くし、そうでなくとも、ダイアはルワーナを傍に起きたがった。ルワーナの方が気にして何度か咎めた事はあったけれど、それも右から左。そのせいで愛しの妹が罪悪感を抱きジェミニへ謝罪に来ていた事など、夢にも思っていないのだろう。
婚約者であるジェミニに対して、冷たかった訳ではない。普通だ。ないがしろにはしないし、挨拶もすれば会話だってある。呼べば答えてくれるくらいには、きちんと交流してはいた。
だがそれは、あくまでも普通の、同級生の範囲で、だ。
再度言うが、ダイアの婚約者はジェミニである。
妹を大切にするのは理解出来るし、あれほどの美少女ならば過保護にもなるだろう。未来の姉予定としても、それは十二分に承知していた。だからダイアの彼女を大切にする気持ちに苦言を呈した事はない……実際は兄ではなく、男としての感情だった訳だけど、当時は過保護な兄心だと信じていた。
──それがまさか、こんな展開になるなんて。
「…………」
「君にはすまないと思っている……しかし俺は、これ以上自分の気持ちを偽る事は出来ないんだ」
呆気に取られて固まっているジェミニに、ダイアは何を思ったのか一人自分の胸の内を話続ける。妹……元、妹に対する愛だとか、運命に恋だとか、そんな類の持論を披露するのは勝手だが、ジェミニには右から左へ流れていく雑音でしかなかった。
正直、うるせぇ以外の感想はない。考え事をしている目の前で興味の皆無な演説なんて、鬱陶しいの他に何を思えと言うのか。
(どこで間違えた……)
額に手を当て、ため息にしても重すぎる息が溢れる。
どうしてこうなった、どうして、こういう展開になったのか。
(確かにとても過保護ではあったけれど。毎日ルワーナに会いに行くし、デートにも連れてくるし、そもそも私といる時にルワーナがいなかった事の方が少ないし……って)
これは、過保護の域を越えていないだろうか。客観視する事で、初めて気付いた自分達……というか、ダイアのダダ漏れな本心。
ないがしろにされてないといったが、撤回しよう。同級生の範囲ならそうだが、婚約者としてはないがしろにされまくっている。
とはいえ、今の今までそれに違和感を覚えていなかったジェミニも、相応に彼への興味を持っていなかったのだろう。仮に彼への恋心が僅かにでも芽生えていなから、例え妹であっても嫉妬していたはずだ。
それくらいの、溺愛だった。シスコンの域を越していたと、思い返せば理解出来る。
それなのに何故、この展開を予測出来なかったのかと言われたら……他でもないルワーナが理由だった。
「お兄様、何を言っているのですか……っ、ご自分が何を言っているのか分かっているの!?」
悲痛な叫び声、表情も信じられないとばかりに歪んでいる。その姿すら可愛らしく見えるのは、恋に狂った阿呆の兄だけではない。誰もが思わず庇護欲をそそられる愛らしさには、ジェミニも文句など言わずに賛同しよう。
「ルワーナ、心配しなくていい。全て俺に任せてくれ」
「そういう事ではなくて……っ!!」
慈愛の……いや、最早ただの盲目な恋狂いとなったダイアの視線がルワーナを貫いて、その耳には愛しの義妹の声は欠片も届いていないらしい。愛や恋は人の正常な思考を奪うと聞いたが、これではただの酔っぱらいだ。運命の恋とやらに酔って、何一つ見えていない。
何たる茶番だと、ため息を吐いた時、今にも泣き出しそうなルワーナと目が合った。
「お、お姉様……」
初めて会った時から、未来の姉だと慕い続けてくれたルワーナとは、ダイヤと三人以外に二人でお茶をしたりと交流していた。ダイヤの態度に対する謝罪から始まり、同性同士の気の置けない会話を楽しんで。そのほとんどがダイヤ自身の乱入によってグダグダになってはいたが、二人で話した時間は確かにジェミニとルワーナの相互理解を深めるに至った。
「お姉様、ちが、違うんです。私は、わたし、本当に」
「大丈夫、分かっているわ」
ただでさえ白い肌が、血の気を失い更に青白くなっている。ジェミニの両腕にしがみつく様に、必死な声と表情で訴える。混乱と、誤解される恐怖で呂律は回っていない。震える手を取れば、氷の様に冷たくなっていた。いつも花の咲く瞬間の様な笑顔で、声でお姉様と呼んでいた彼女とは想像も出来ない。今にも力が抜けて座り込んでしまいそうなその背を支え、何度も大丈夫だと伝える内に少しずつだが震えは収まっていった。
「ルワーナ、どうしたんだ……俺達は」
「そろそろ、そのお口を閉じられてはいかがかしら」
ジェミニに支えられて俯くルワーナへ、狂気的な程に鈍感なダイヤがゆっくりと近付いてくる。それにようやく落ち着いてきたルワーナの震えが再発しそうになって、想定よりもずっと鋭い声が出た。
率直に言おう、普通に気持ちが悪い。
こんな場所で婚約破棄を宣言した事も。血縁関係は無いにしても、昨日まで妹と信じていた相手に運命の恋を語る姿も。自分の中で勝手に全ての物事を片付けて、それに必要ない相手を簡単に意識の外へやってしまえる視野の狭さも。
「ご希望通り、婚約は破棄と致しましょう。貴方の所業はここにいる全ての方が証人になってくださるわ。確か裁判官に就かれる人もおりましたわね、是非証言していただきましょう」
「な、何を……」
「あら、こんな愚行に走っておいて、何のお咎めもなく終われるはずは無いでしょう?」
「咎? 俺とルワーナに血の繋がりはない、禁忌ではないはずだ」
「……本当に頭が悪いのね」
さっきから、何故自分の行いに問題がないと思い込んでいるのか。周囲が何も言わないからか。衝撃的過ぎて言葉を失っているだけだが、何人かは既に法的措置の為にこの場を去った。つい先程まで視界の端にいたはずのジェミニとダイヤの両親も、影すらなく奥へ下がっている。ダイヤが気付いていないだけで事態は着々と彼への断罪に動いている。
ただ、今の彼にはそれを伝えてやる気はないし、その義務もない。ジェミニが今から突き付ける現実は、ダイヤを地獄に突き落とす事だろうけど、それも自業自得だろう。精々後で困り果て、己の行動を後悔するといい。
「貴方は先程から、大切な事を理解していないわ」
「大切な事……?」
今この場で一番、それこそ婚約破棄をしたダイヤや、されたジェミニよりも優先されるべき、気持ち。
「──ルワーナがいつ、貴方を好きだと言ったのかしら?」