石と岩の違いは曖昧である(1)
世の中はくそだと思う。
そう零せば、中学二年生という私の年齢を指さして「そういうお年頃だからね」と微笑まれたり、片方の口角をあげて嘲笑されたりする。
それがたまらなく私にとって扇情的で、腹が立つ。
じゃあ、いつになれば私のこの意見が変わることなく十余年抱え続けてきた本心であると、私の人生から算出された結論であると理解されるのだろうか。自暴自棄でもなんでもない言葉なのだと、受け入れて貰えるのだろう?
大きくなったら、お年頃じゃなくなったら。
私の一番身近にいる大人は、その歳にもなって・・・・・・と周りから陰口を叩かれているような人間なので、参考にしようにもどこをどう見直したら参考になるのかてんでさっぱりだ。いや、もしかしたら、それが末路なのかもしれないけれど。
末路。成れの果て。行き着く先。ゴール。
それでもいいかとこそばゆい青春の一コマのように空を見上げてほくそ笑む。
のらりくらりとした保護者をそらで浮かべながら、私は――
「やっぱり世界はくそだ」
――と思った。
私立山の下中学校。
私の通う学校の名前である。その名前の通り、群青山――というには標高が高くないので昔から群青林と呼ばれている――の麓にある、三方を山に囲まれた、小さく、それでいて適度な田舎町だ。バスひとつで開けた都心に行ける利便性の高さが人気で、ここ数年で人口が三割ほど増加しているらしい。近所には真新しい量産型の一軒家が連なり、その間に古めかしさの残る建物が小ぢんまりと佇んでいる。
そんなちぐはぐな景色の通学路で、私――琳英緒は塀に向かって小石を投げつけている少女――琳玄音を見つめていた。
下校途中、私と同じくらいの背丈の、さらには同じ制服の、極めつけに同じヘアクリップをした後ろ姿がなんの変哲もないコンクリートの塀に向かって息荒らげに石を投げつけていたら、それがたとえ私じゃなくても立ち止まって視線を送っていたと思う。
だって意味わかんないし。
私は好奇心が旺盛な方ではない。どちらかというと、あるものをあるように受け止めて納得し、理解できるタイプだ。
そんなお利口な私が足を止めてじっとその行動を観察していることが、玄音の奇行の意味の分からなさをひしひしと表している。
「何、してんの」
とうとう耐えきれなっくなって、というか何時まで石を投げ続けている気だと、いい加減飽きたところで、私はかれこれ五分以上は言いたかった言葉をその後ろ姿に投げかけた。
ややあって、ようやく野球部も泣いて逃げ出しそうな綺麗なフォームで振りかぶっていた腕を下ろし、その少女はくるりと振り返った。
言わずもがな、玄音である。
「あれ? 英緒だわ。先に帰ったと思ってたんだけれど、先に帰ったのはあたしの方だったのだわ!」
「そうだろうね、私がお前の靴箱を確認した時分には、もう上靴が入ってたし・・・・・・相も変わらず左右も上下もあったもんじゃないいれ方でな。あれはもう入れてると描写しちゃあ間違いになるんじゃないか? 投げ込んでるだろ、あれ」
「蓋が閉まればいいのだわ! 投げ入れるのも結局は〝いれる〟のですもの。同じことのように聞こえるわ」
「よくないぞ・・・・・・」
ふふん、と得意げに顎をあげて目を細めた玄音に「ああそうですか、お前がそれでいいならいいよ」と肩を竦める。結局のところ、今しがた交わした軽口は読んで字のごとく吹けば飛ぶほど軽く、私が彼女に対してどうしてもどうにかして欲しいことではなかったし、諫めはしたがこれから注意をして欲しいということではなかった。――あの笑顔の深いろうたけた女性の前でだけ、やらないでいてくれれば、後は勝手にお行儀悪くいたっていいのだ。
私は一度頭を振ってから、顔にかかった髪を耳にかけてもう一度玄音を見た。
通学路から一本外れた、何の変哲もない住宅路。犬が顔を出しそうな隙間のあるコンクリート塀は、ところどころ苔が生えていたり年季を感じるシミや汚れがついて変色していたりするけれど、そのどれをとっても、やはり〝何の変哲もない住宅路〟であった。側溝だって足がハマらないようにしっかりと蓋がしてある――隙間から怖いピエロが手招いているということもない――し、アスファルトからど根性なんちゃらが生えているわけでもない。
そもそも――玄音はコンクリート塀に向かって石を投げていたのだから、目配せをするとしたら地面ではないはずだ。はず――なのだが、この玄音という女はなかなかどうしてそうはいってくれない。困惑の感情すら自分が浮かべられる場所はここなのかとまごついてしまうほど訳の分からない素っ頓狂なところに意識を向けながら、まったく見当違いな素っ頓狂なところに攻撃をする。
訳が分からない奴なのだ。
意味が分からない奴なのだ。
謎めいているのとは〝訳〟が違う。
とどのつまり玄音は――馬鹿なのだ。
とりわけ彼女は、その中でも大馬鹿で、順序や理論といった筋道を〝考えて理解する〟ということが出来ない。直感的に理解はしているので、一緒に行動していて生活に困ったことはないが、今みたいに別行動をしていた時のことを説明してくれない――この場合は出来ない、というのが正しいかもしれない――のは、困りものだ。
石を投げるのをやめた玄音は、私と同じヘアクリップをキラキラと光らせながら、私の言葉を待っている。黙っている時に少しだけ頭が左右に揺れるのは、玄音の癖。私もぼうっとしていると揺れていると身近な大人から指摘をされたことがあるけれど、自分の癖は自分では分からないので割愛しようと思う。
「――で?」
私は片手に石をにぎったままの玄音に塀を指さしながら続ける。
「もう一度聞くけれど、何、してんの?」
「石を投げてたのだわ!」
間髪いれず、玄音は元気よく答えた。
そんなことは見りゃ分かんだよ! と思ったが、玄音には言葉に含まれる〝行動と、それに至った理由を言え〟というニュアンスは伝わらない。
私はまるで野ばら姫とおばあさんのやりとりのように一つずつ疑問の言葉を紡いだ。
「なんで?」
「吐き出してくるのだわ! 面白いの!」
――吐き出す?
「跳ね返ってくるんじゃなくて?」
「跳ね返ってこないわ! 跳ね返ってきたらつまらないじゃない!」
「・・・・・・普通跳ね返ってくるでしょうが。壁に石を投げて楽しむなんて、壁を壊すか壁とキャッチボールをするかのどちらかじゃないの?」
「壁とキャッチボールをしたって楽しくないわ! 玄音や光とやったほうが楽しいもの!」
「それはどうも。つうかちょっと待ってよ、そんなことより――」
――跳ね返らないの?
私は当たり前のように返ってきた言葉をややあってから繰り返した。先程自分で言った通り、壁(というか塀)に石や何かを投げつけるだなんて、キャッチボールかモノを破壊するかのどちらかしか思い浮かばない――破壊するのが塀なのか投げつけた物の方なのかはさてもとして。
私は改めてコンクリート塀をまじまじと見つめる。穴が空いているということもないし、柔軟性のある素材が使われているわけでもないただの塀・・・・・・に見えるけれど。今の技術は進化していて、人の目にはコンクリート塀に見えても実はバスケットゴールが設置されていたりするのだろうか。だとすれば向こう側の景色が見えてもいいだろうに。
光学迷彩か何かか?
こんなどうでもいい、下手をすれば犬の粗相をされそうな、烏のフンが垂れそうなところになんて最先端な。
「跳ね返ってこなくて、吐き出してくるってことは、そこの隙間に石を入れて向こうにいる犬か何が隙間から出してきてるってこと?」
「違うわ! もしそうなら向こうのワンちゃんに当たってしまうかもしれないじゃないの! 怪我しちゃつうのだわ! 私がそんな事をするように見える?!」
「お前なら怪我超えて仕留めそうだよ」
まあ酷い! と憤懣やるかたないご様子で地団駄を踏みはじめた玄音に、じゃあどういうことなんだと一つずつ説明をさせようとしたその時だった。
その必要が、なくなった。
――カリカリ。
「ん?」
――カリカリカリカリ。
遠くの方で、カリカリだかカサカサだか、物音がした。それは少しずつ近くなってきているように伺えたが、どうにもそもそもの音自体が小さいのか玄音の地団駄で掻き消えてしまいそうだった。黙れ、と行動を一蹴する。ぴたりと動きの一切を玄音がやめる。素直な馬鹿は嫌いではない。
辺りは途端に静かになった。存在がうるさい奴って本当にいるんだなと関心しながら、私は音の出処を探すために耳をすませた。
いや、すませようとした。
そしてまた――その必要がなくなった。
――ころん。
「あ」
「あ!」
私と玄音は異口同音に声を漏らした。私より少し高い玄音の声と、玄音より低い私の声が見事にハモる。
玄音の足元に、赤ちゃんのゲンコツほどの石が転がってきた。勢いのままに転がって、私と玄音の間でゆっくりと勢いをなくし、転がるのをやめたそれをまじまじと見やる。耳に集中していたせいで視界が疎かになっていたとはいえ、一応目は開けていたし、塀の方を見ていたといえば見ていたはずだ。
だからこそ言えるのは、こんな私達の足元に転がってくるぐらいの勢いで投擲できるような隙間や、(たとえ塀の上から投げたとして)塀の向こうに物陰や物音は――なかった。私のクリアではない視界が間違っていなければ、この石、今――
――コンクリート塀の壁面から落ちてこなかったか?
私が耳をそばだてるのを止めてぽかんと石を見つめていると、玄音が「ほらー!」と嬉しそうに声を上げた。
「吐き出してきたのだわ!」
そう言って地面の石を拾う。
「ほら言ったじゃない! ちゃんと私が言った通りだわ!」
うーん、たしかに彼女の言う通りではある。跳ね返ってこない、吐き出してくる、だった。
私がなるほど、むべなるかなだと頷きつつ、いや結局意味が分からないだろそれはと眉間に皺を寄せている横で、玄音が当たり前のようにそれを投げるように振りかぶった。
「待て待て待て」
私はそれを急いで止める。急に止められた反動で、玄音の手から石がぽとりと落ちた。
「何って投げようとしたのだわ。だって英緒は音を聞きたかったのでしょう? じゃあもう一度投げればもう一度吐き出すはずだわ」
「・・・・・・」
彼女は彼女なりに考えていたのか。
「それに、まだ私は遊んでいるの! 楽しいんだもの!」
・・・・・・やっぱり何にも考えていないかもしれないな。
石を拾いあげて、また野球部も涙目のフォームで振り被ろうとした玄音の腕を離して、私はがら空きになっている玄音の腰に抱きついた。
「ねえ玄音」
ぴたり。名前を呼ばれて、動きを止める。先程よりも緩慢に腕を下ろした。石は握ったまま、その腕を私の頭を抱えるように組む。何も持っていない手がしっとりと私の髪に触れて玄音はそれはそれは嬉しそうに言葉を紡いだ。
「なあに?」
優しげにもとれる声は、仄かに息が混じっていて、うるさくない。
私はこの蕩けそうな声が好きだ。
そのまま――〝いつもの言葉〟を口遊む。
「不思議だね、分かんないね」
私のその言葉に、触れていた手が頭を撫でるように動いて、
「分からないわね、不思議よね」
玄音はやっぱり蕩けそうな声でそう続けた。
――〝何でか読み解かなきゃね〟。
私達は合言葉のようなそれを同時に言い合うと、私は玄音から石を受け取って鞄にしまって、玄音は私の頭から手を離して私の手を取って、歩き出した。
次話投稿しようかどうしようか迷っている。
ゆるしいろが完結したらあげようか、同時進行しようか・・・・・・