第四話 【慣れ】
「んじゃさいなら~」
ニコニコとした笑顔で手を振る美野ちゃん。
...結局私が根負けして、割り勘という形になった。
次は奢らせてやる...
後輩に負けた悔しさを噛み締めるように、
拳を握りしめ、家の方向に歩く。
家から会社までは、そこまで遠くないから、
徒歩で通勤できるし、お酒を飲んでも無事に帰れる。
ただ、それを知っている美野ちゃんは、
飲みに誘っても大丈夫という安心感があるから、
私はしょっちゅう誘われる。
まぁおいしいからいいんだけども。
私も美野ちゃんみたいに酔ってみたいなぁ...
あんな風にベロンベロンになって、本音を吐き出せるなんて、
私にはできない。
何故かアルコールに対する免疫?が高いのか分からないけれども、
私はどれだけアルコールを摂取しようが酔うことはない。
「はぁ...」
今日で一番大きなため息をつく。
結局美野ちゃんの策に乗せられてしまった...
やっぱり一時の感情に身を任せるとロクなことはない。
例えそれで満足感を得たとしても、結果はただ後悔するだけ、
どんな時でも冷静に、どんな状況でも効率的に。
それを私は今まで心がけてきた。
なのに...まぁいっか...
飲みに行ったとしても、ただ単に帰る時間が遅くなるだけ、
誰にも迷惑は...かけてないわよね?...
大丈夫...隼人なら私を分かってくれている。
心にそう言いつけて、私は歩き出す。
今は深夜帯、人気はあまりない。
時々車が通り過ぎる程度。
いつもよりも重く感じた足を、無理やり動かして、
私は家までの道を進んでいった。
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「......」
今日も私は無言で扉を開ける。
いつもこの家に入ると、私は緊張して、声が出なくなってしまう。
もっと自然体の声を出すように心がけてるが、
かえって不自然な声を出すことが多い。
今日は本当に疲れたから、早く体を洗って寝たい。
バックをソファーに置くと、そこには静かに眠る人の姿があった。
「はや...と?」
...おかしい、いつもならキッチンにいるはずなのに。
ただ単に疲れて寝ているだけかもしれないけど、
何年間も同じだったことが前触れもなく変わってしまえば驚きもするだろう。
ってことは、風呂洗いも終わってないってこと?
「どうしよ...」
ここで無理やり起こしてやらせるっていうものどうかと思うし、
ここは久しぶりに私がやった方がいいのかな?
私はスーツを脱いで、消臭剤を吹きかける。
ハンガーにかけて、隼人が起きないよう、静かに干す。
久しぶりに彼の寝顔を見れて、内心興奮している。
...寝顔で興奮するっておかしいのかな?
家の中で無防備な顔をする。
これって私のことを信用してるってことだし、
この顔を見るのは私だけ。
私にも独占欲はある。
でも度が過ぎたらかえって嫌われる。
無さ過ぎても距離が遠くなる。
人間なんでも丁度いいというのが多く当てはまる。
私は風呂場に向かって歩き出す。
そして、近くにあったたわしを持ち。
もう片方の手でスプレー型の洗剤を持つ。
「...だるいなぁ...」
いつもいつも隼人に任せっきりだったから、
自分で家事をすることが面倒になってしまっている。
...結婚した当初は全然そんなことは思っていなかったのになぁ...
慣れって怖い。
この慣れが、悪い方向に進まないようにしていかなけれないと。
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「はぁ...疲れた...」
なんだろう、風呂洗いをしたせいなのか、
湯に浸かっても全然疲れが取れない。
まぁ寝ればで取れるからいっか。
...パジャマがない。
そっか、入る前に忘れていたことはこれだったか。
体をバスタオルでふき、自分の部屋に向かう。
「......」
未だに隼人は寝ている。
少しくらいなら...
忍び足で近づき、顔を覗き込む。
相変わらず顔が整ってるなぁ...
見ているだけで悩殺されそうな顔。
女性なのかという程彼の肌は柔らかく、白い。
特に私が思うに顔の部分が最も良い。
スキンケアとかしてるのかな?
人差し指でツンツンと触る。
私と同い年とは思えないほどの弾力。
...本当に男なの?
次は人差し指と親指でつまむ。
はぁ...柔らかい...癒される...
風呂に入ることよりもこうやってぷにぷにしてた方が、
疲労が回復するかもしれない。
「うふふ~」
...なんだろう、ずっとしていられるかも。
そう思えるほどの幸福感がある。
これからは隼人の隙を狙ってやってみよっかな。
そんな風に惚気ていた瞬間に、隼人の目が少し動く。
「!」
な、なんで!?
いや、こんなにも触っていればそうにもなるか。
でもあと少し...
さっきとは違い、優しくつまむ。
「えへへ~」
やばい、これ以上すると気づかれる。
でもやめられない。
だが、その行為は一瞬にして後悔へと変わる。
「にいか、なにしてふゅの?」
隼人の目が開いていた。
その瞳には私を映している。
だが、そこには不愛想な顔が映っていた。
これだ、またこれだ。
隼人が見ていると、私の顔は無表情になる。
「いえ、気にしないで」
表面上は冷静を保っているように見えるが、
内心では今にでもここを逃げ出したい。
...急なこと過ぎて体が金縛りのような感覚になっている。
要するに動けないということ。
私と隼人の顔の距離はほぼゼロに近い。
あと少しでも動いてしまえば当たってしまう。
そういえば隼人とキスしたことは少ない。
高校生の時に3回と、19歳の時に一回。
高校生の時は、お遊び感覚でやって、
19歳の時は...まぁ...ねぇ...
てかなんで回数まで覚えてるんだろ。
「いしゅまでこうしゅるの?」
...どうしよ、動かないんだけど。
「えぇ、もうどいていいわよ」
今のところ、腕は無理やり動かせそうだ。
隼人がどければ、私は腕を後ろに回し、
この赤くなっている顔面をソファーに叩きつけよう。
こんなところをまた見られたら、恥ずかしすぎて死ぬ。
「おへ」
そう言って、隼人がどけようとする。
だが、隼人は横に避けるのではなく...
「ん」
私の唇に柔らかい感触を感じる。
こころが異常に落ち着くような匂い、
ずっとこのままでいたいと思える程の空間。
...ん、待てよ、キスしてる?
目を開けていて、隼人のしか見ていなかったのに、
この行為を認知するまでに時間がかかった。
隼人は、私の腕を持ち、ゆっくりとソファーに乗せる。
そうして、いつもの優しい笑みで、
「自分の心に正直になってみな?
僕は君の夫なんだから」
彼は、そういった後に、私の頭に手を乗せる。
そうして、風呂場に向かっていった。
...いや、今のは隼人が働いていたらもっとかっこよかったんだろうな...
自分の心に正直になる...
これから心がけてみようかな、多分無理だけど。
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...何が起こった。
少し寝落ちして、起きてみたら顔触られてるし。
いや気持ちよかったからいいんだけどさ...
そんな自分のことよりも、
「あんな笑顔をできるんだね、君は」
仁香の自然な笑顔を見たことは少ない。
高校生の時には数回見たことがあるが、
仁香が働き始めてからは一回もなかった。
はぁ...今になって惚れ直すとは、
さすがは『無心の花崎』。
やっぱり奇跡だよなぁ...あんな人から告白されるなんて...
普通に僕は仁香に対しては...まぁ無関心だった。
今となっては考えられないけれども。
最初の頃は、好きでも嫌いでもない無関心。
でも、何故か仁香から僕に詰め寄ってきたのは今でも覚えている。
最初の頃は、周囲の視線(特に男子、女子はそうでもなかった)が痛くなるし、
ただですら希更の面倒で時間がなかったのに、
それ+花崎と考えて、とても面倒だと思っていた。
でも、仁香が時々見せてくれた、
自然な笑みに僕は惹かれていった。
しかし、あの頃は本当にビックリしていた。
なんにしろ、学校でトップクラスの女子から告白されるなんて、
夢にまで思っていなかった。
まぁ...あとは、仁香と付き合っていることを家族に伝えた時に、
希更がその日から毎日、僕の枕を抱き締めながら、
「あにぃ...あにぃ...に...ろ...」
とか呻いていたのが印象的だった。
まぁ、僕が約束をして、なんとか収まったんだけどね。
正直に言ってしまえば、希更はとても手のかかる女の子だった。
その分、勉強や家事においては高スペックだったから、
僕が教えるなんてことは一切なかった。
しっかしまぁ、今日はちょっと危なかったな...
アルバイトを始めて初日で寝落ちとは...
この先が少し心配になってくる。
僕がアルバイトをしているのは、
仁香の誕生日と結婚記念日を兼ねてのプレゼントを買うため、
絶対に僕がアルバイトをしていることはバレてはならない。
だが、僕はアルバイトをいつまで続けようか迷っている。
プレゼントを買ってやめるか、
そのまま続けるか。
でも、今のところは続けようと思っている。
僕が働けば、彼女の負担も減らせることもできるかもしれない。
まぁ、ほんの少しなんだろうけど。
明日も頑張るか...
ブクマ、ポイントお願いします!
遅くなってしまってすみません(m´・ω・`)m ゴメン…