第十五話 【疑惑】
「あ!ちょっと~遅刻だよ~!」
腰に手を回し、胸を張る斎条先輩。
エッヘンという効果音が聞こえてきそうな程だった。
...多分、自分のことを遅刻のことで注意している後輩である僕が、
先輩と同じようなことをしてしまい、優越感に浸っているんだろう。
だって、斎条先輩の表情が完全に僕のことを嘲笑ってるもん。
「ハァ...いや、ホントにすみません...」
さっきまで全力疾走していた為、全身が鉛のように重い。
全身が汗でびっしょりになっている。
「...いや、斎条先輩、あなたも今日遅刻していましたよね?」
胸を先程よりも大きく張っている斎条先輩の後ろから、
ひょこんと現れた紀伊野さん。
紀伊野さんの視線は、いわゆるにジト目というものになっている。
「な!?あれはしょうがないでしょ!しかも、たったの二十分だよ!?二十分!?」
片手の二つの指を立てて、熱く主張する。
その反応に対して呆れたのか、やれやれと呟く紀伊野さん。
「遅刻は遅刻です!」
それと同時に斎条先輩の頭を軽くチョップする。
コン!と、中身のない何かを叩いたかのような音がする。
「あら、やっぱり脳みそ空っぽですね、ウフフ」
手を口にあて、クスクスと馬鹿にするように笑う。
何か裏で企んでいるかのような薄ら笑いだな...
「か、空っぽ!?こ、これでも一応学年上位だったんだよ!」
「へぇ~、じゃあ何位ですか?」
その瞬間に、この部屋が沈黙に包まれた。
というよりかは、紀伊野さんの発言によって、
斎条先輩が凍り付いた。
「う、後ろから三番目...」
「アホじゃん、てか上位じゃないじゃん」
さっきまでの薄ら笑いではなく、
結構真面目な表情をする紀伊野さん。
それに対して、斎条先輩は顔を両手で覆い隠す。
「うぅ...だってしょうがないじゃん...
頭を使うことよりも、体を動かす方が楽しいんだもん...」
いつもの破天荒かつ、ポジティブな思考回路をしている斎条先輩とは思えないほど、その言葉は弱々しかった。
「き、きっと大丈夫ですよ、いくら死ぬほど頭が悪くても生きる事はできますから!」
僕は、自分の思ったことをハッキリという。
実際に、斎条先輩には及ばないかもしれないが、僕も死ぬほど頭が悪かった。
でも、今はこうしてちゃんと生きていることができている。
ほぼほぼ仁香のおかげなのだろうけども。
「慰めるのか馬鹿にしてるのか分からないよぉ...」
斎条先輩の下がりに下がったテンションが、
地の底まで落ちていった。
しまった、悪影響だった。
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僕は接客をしている。
トイレ掃除や食器洗いなどの雑務から、
僕の仕事は、雑務、接客というものになった。
といっても、ただ単に雑務がローテーション形式になって、
接客も同じような形式になっただけなんだけども。
過去に、紀伊野さん、斎条先輩がどちらも作業をしていて、
僕がやったこともあるが、一日丸々やるのは始めてだった。
にしても、表情の変化に乏しい僕が接客かぁ...
と、接客をするように言われた時にはそう思っていた。
そんな風なことを思っていると、
「接客とは!即ちお店の評判に直結する重要な役割!
意外と気軽にやってる人もいるけど!結構大事だから!
特に君の場合は頑張んないとダメだよ!」
と、ファイト!、みたいな感じの仕草で熱心に語っていた。
普通に斎条先輩の接客能力は本当に凄いと思っていたが、
良い笑顔の仕方を全て感覚で教えるから、正直に言ってしまえば何も分からなかった。
そんなこと思っていると、正面の入り口が開かれる。
どうやら二人組の女性のようだ。
どちらもスーツを着ていて...きて、いて...
「!?」
その瞬間、僕は自分の力では出せるはずのないスピードで屈んでいた。
幸いなことに、僕が立っていた場所には隠れることのできるスペースがあった。
そして、何故僕が隠れているのかというと、
「せぇ~んぱぁ~い!どうですか?ここ!
結構いいところでしょ~」
と、どこかで見覚えのあるチャラそうな女性と。
その隣には、
「ええ、あなたってちゃんとしたお店って知ってるのね」
僕がプレゼントを渡そうと思っている相手がいた。
「に、仁香がなんでここに...」
背中に冷たい何かが通っていく。
全身が今すぐこの場から逃げろと言っている。
かといって、この隠れているスペースから出れば、
僕がここでアルバイトをしていることが仁香にバレてしまう。
それではサプライズなんてことは到底できない。
でも、そんなことを考えてくるうちに時間は刻刻と過ぎていく。
だが、そんな僕に、救世主が現れた。
「いらっしゃいませ~!」
僕の数日間の笑顔の練習が無意味だと思えるほどの輝かしい笑みを浮かべ、
元気な声質で二人を迎え入れる。
僕とは比べ物にならない早さで二人を案内する。
席を案内する前に、斎条先輩は僕の方を向き、
「後は任せたぞ、少年」
みたいな感じで、親指をピン!と立てる。
...てかなんで僕のことに気付いているんだろうか。
そもそも斎条先輩は雑務じゃ..
僕は周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。
「よし...って待てよ...」
さっき、斎条先輩はなんと言っていた?...
「後は任せたぞ、少年」
...あぁ、そうゆうことですか...
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「ところで先輩!会社で言っていた話したい事って何ですか?」
さっき注文したばっかのレモンティーを飲みながら聞く美野ちゃん。
そして、興味津々の表情をしている。
「...その、私って来月には出張じゃない?
だから、できるだけ旦那と一緒に過ごしたいんだけど...」
「ほ~ん、んで、どうすればいいのか分からないってことですか?」
「いや、それがその...旦那が急に友達の家に泊まることになって...
いつ帰って来るかも分からないの...」
ここ最近で一番大きい溜息をつく。
それに対して、【ありえない】と思っているのか、
未確認生物を見ているような表情をする美野ちゃん。
「えっと~、その~...浮気ですか?」
にへらと笑う美野ちゃん。
正直に言ってしまえば、冗談でもそんなことは言って欲しくはなかった。
「...流石に友達の家に泊まるだけで、そう決めつけるのはどうかと思うの」
流石に、それだけで浮気と決めつけるのはどうかと思う。
けれども、私と彼が同棲し始めてから、こんなことは一回もなかった。
「そもそも、なんで仁香先輩が出張なのに、
旦那さんは泊まりに行くっていうことになったんですか?」
「...伝えてないの...」
「はい?」
首をかしげて、不思議そうな顔をする美野ちゃん。
「出張すること自体を伝えてないの!」
そうすると、額に手をあて、
やれやれと呆れたようなため息をつく。
「持ち前のツンデレ、いやツンツンがこんなところで裏目に出るとは...
それで、旦那さんはよく友達の家に泊まりに行ったりすることは多かったんですか?」
「いえ...今まで一度もそんなことはなかったわよ...」
「...先輩何かしました?」
ズズ!と、音を鳴らしながら飲む美野ちゃん。
そして、飲み切ると同時にストローを噛み始める。
ちょっと不機嫌そうな顔をしている。
「い、いえ...特に何もしていない...と思う...」
本当に隼人に嫌われてしまうようなことはしていないと思う。
というかそう思いたい。
「う~ん...じゃあその旦那さんの友達って誰なんですか?」
「聞いていないわよ...もしも、人間関係を全て把握したい重い女と思われて、
隼人の怒りを買ったとしたら...」
私は一度だけ本当に隼人を怒らせてしまったことがある。
あの時のことを思い出すだけで、震えが止まらなくなる。
私のことを完全に軽蔑した瞳、冷たい視線。
いつもの優しい雰囲気とはかけ離れた威圧感。
もう二度と隼人のことを怒らせないと心掛けたのはあの時からだった。
「あのねぇ先輩?付き合い始めて数か月の恋人ならまだしも、
結婚して数年経った夫婦ですよ?今更になって束縛して、
嫌われるようならとっくのとうに離婚してますよ...」
「そう..なのかしら?...」
私は隼人以外の男性と仲が良くなったことはないから、
何もかも前例がなく、経験もない。
しかも、付き合い始めてから変化が少ないから尚更だ。
だからこそ、経験が豊富そうな美野ちゃんが言うことは、
前例と経験に基づくことだと思うから、ある程度は信頼できる。
「あ、ちなみにこんな風に偉そうに語ってますけど、私は恋愛経験ゼロですから、
世の中の常識程度のことしか分からないですからね?」
うん、全く信頼できない。
「ま!とりあえず料理を待ちましょうか!ここの評価は意外といいんですよ?
口コミでは俳優レベルの男性店員がいるらしいです!」
人差し指をピン!と立て、自慢げに語る美野ちゃん。
というか男性?...見る限り女性しかいないけど。
「...普通は料理の評価がいいとかじゃないの?」
そもそもの話、お店の評価は料理や接客じゃないのかしら...
「いや、確かに料理や接客態度も良いともあったんですが、
それ以上にその男性店員についてのコメントが多かったんですよ!
周りを見てくださいよ!全体的に女性が多いでしょお?
ほとんどがその店員さん目的なんですよ!」
...この子はイケメンな男性についての話になると、
急に饒舌になるという特性がある。
だいたいその状態になると私は聞き流している。
「あ、ちなみに先輩の奢りなんでじゃんじゃん食べますよ~!」
「割り勘よ!!」
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「ふっふ~!どうだぁ!私の勘はすごいだろぉ?」
僕が遅れて来てしまった時と同じように、胸を張る斎条先輩。
「本当にありがとうございます...」
さっきは本当に危なかった。
もしも、あそこに斎条先輩が来なかったら、僕は見つかっていたかもしれない。
「んで?あれが君の奥さんだよね?」
笑顔でそう聞いてくるが、斎条先輩の瞳は全く笑っていない。
手に持っている缶ジュースがギシギシと音を立てて潰されている。
「は、はい」
いつものほのぼのとした雰囲気ではなく、
今の斎条先輩はとてつもなくギスギスとしている。
「...そっか」
そう言って、ニコリと笑う斎条先輩。
さっきまでの雰囲気が嘘だったかのように笑う。
でも、缶ジュースを握っている手が小さく震えていて、
何かを我慢しているようだった。
「それじゃ、私は君に代わって接客をしとくから、
そっちの方はよろしくね~」
缶ジュースをポイっとゴミ箱に投げ、
この部屋から出ていく斎条先輩。
「...何だったんだ?一体?...」
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「ふぅ...疲れた...」
体を伸ばし、欠伸をする。
今日は色々なことがあり過ぎて、本当に疲れた。
ここまで体力を使ったのは久しぶりかもしれない。
そうして、僕は帰ろうとしたが。
「...僕ってどこに帰ればいいんだ?」
僕は鹿娘の家に泊まって、仁香に渡すプレゼントを一緒に考えている。
でも、いつまでそこに泊まっているのかは覚えていない。
というよりかはプレゼントが確定するまで泊まるのだろうか?
考えがあやふやなまま、僕は自然と鹿娘の家に帰っていった。
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「おっかえり~!」
扉を開けると、そこには下着だけの姿の鹿娘がいた。
「ちょ!?閉めないで!そんあ憐むような目で見ないで!!」
慌てて僕の服を掴む鹿娘。
「じゃあなんでそんな恰好してるの?」
「へ?これが普段着だよ?」
「うん、最低限僕がいるときは服を着ようか」
僕は、女性の裸なら見たことはあるが、
さすがに恋人でもなく、夫でもない僕に素肌を見せるのはどうかと思う。
「えぇ~、だって暑くない?」
「いいから早く着て!!」
出張まで、
残り十三日。
ブクマ、ポイントお願いします!




