第十話 【癒えない心】後編
「ねぇ隼人?あなた本当に変な事はシていないのよね?」
僕は今、仁香の前で正座をしている。
仁香は腕を組みながら、
僕のことを上から目線で睨んでいる。
「はい、本当に何もしていません」
僕は自分の事実をそのまま伝えた。
何故こんなことになっているかというと、
僕はチラッとソファーに視線を向けた。
「ハァ...ハァ...」
頬を赤くなっていて、
胸を苦しそうに掴み、荒い息遣いをしている、琴乃さん。
仁香はこの様子を見て、
僕が琴乃さんに対して変なことをシたと思っている。
...いや、そんぐらい信じてよ...
「へぇ?じゃあなんで愛宮先輩はこんなことになっているのかしら?」
仁香の視線がさらに鋭くなり、
威圧感が何倍にも増していく。
「あ、あの、それはぁ...」
やばい、怖すぎて呂律が回らない。
え?結構ガチで怒ってる?
「そういえば昨日愛宮先輩を抱いた時、
随分と幸せそうだったわねぇ?」
「いえ、微塵もそんなものは感じておりません」
「ふ~ん、じゃあ明日予定空けておいてね」
そう言って、仁香は朝食が置いているテーブルに向かった。
...明日はバイトが休みだから大丈夫だな。
ていうか仁香から何かしら誘われるって久しぶりだな...
----
「...私は一体何をしているのかな?」
部下の家で二回気絶って...
本当に何やってんのよ。
なんか体熱いし。
私は体を起こして、周囲を見渡す。
...誰もいない。
仁香ちゃんもいないし、隼人君もいない。
これって帰っちゃっていいのかな?
いや、でも帰っちゃうと鍵が開いた状態になっちゃうし...
まだここにいた方がいいのかな?
そして、ソファーの近くのテーブルに、
こんな置手紙があった。
琴乃さんへ
朝ごはんを作っておいたので、
よければ食べてください。
あ、ちなみに冷蔵庫の二段目にある皿です。
「気が利きすぎだよ...」
ちょうどお腹が減っていたところだったけど、
まさか作ってくれるなんて思いもしなかったや。
私は冷蔵庫から皿を取り出し、
ラップを外して捨てる。
「いただきます」
見た感じ普通においしそう...
彩もいいし、栄養バランスもいい。
「ん!?おいしい!」
なんだろう、やっぱり自分で作った料理より、
他の人が作ってくれた料理は、
何倍もおいしい気がする。
10分後
「ごちそうさまでした」
満腹って訳ではないけど、
なんかちょうどいい...
もしかして、これが仁香ちゃんのあの仕事ぶりの秘密?...
確かに今の調子なら仕事進みそう...
「えっと~、私は仁香ちゃんと隼人君が帰ってくるまで待てばいいのかな?」
私は顔を洗うために、洗面台に移動したが。
「私も欲しいなぁ、隼人君みたいな旦那さん...」
そこには可愛いキャラクターが描かれたコップがあって、
その中には、使い捨て歯ブラシと歯磨き粉があった。
----
「う~ん...いいよね?バレないからいいよね?」
私は仁香ちゃんの部屋の前で葛藤している。
部屋というのは、その人の性格を表す。
だからこそ、私は仁香ちゃんの部屋をこの目で見てみたい!
扉に仁香と書かれた板があったから、すぐに分かった。
「いっせ~の~で!」
勢いよく扉を開ける。
そこには、まぁ、なんていうんだろ。
まさにエリートって感じの部屋が広がっていた。
難しそうな本が大量に入っている本棚に、
真ん中の机にはノートパソコンがある。
そして、ノートパソコンの隣には、日記のようなものがあった。
私は日記をめくると、
1月1日
今年も隼人と年越し。
また来年も一緒に年越ししたいな。
大好きだよ、隼人。
私はそ~っと日記を閉じて、
仁香ちゃんの部屋を後にした。
「い、いいよね、仁香ちゃんの部屋にも入ったんだし!」
今度は隼人君の部屋の前にいるけど...
何故か私はテンパっている。
「すぅ~はぁ~すぅ~はぁ~」
深~く呼吸をして、気分を落ち着かせる。
いや、勝手に人の部屋に入っている時点で落ち着いていないと思うけど...
「せ~の!」
そこには、仁香ちゃんの部屋とは違い、
装飾品などがない普通の部屋だった。
壁には、制服を着た男女が笑顔でピースをしている写真や、
ドレスを着た仁香ちゃんと、タキシードを着た隼人君が、
キスしている写真などがあった。
...見ない方がよかったかも。
そして、他の写真を見ていくと、
小さな男の子が笑顔でピースをしている写真があった。
「ん?これって、小さいときの隼人君?...」
でも、私はこの写真に違和感を持った。
この写真に写っている子の無邪気な笑顔、
そして顔が、完全に【あの子】と一致している。
そして、少しだけ映っている遊具にも身に覚えがある。
形も、色も、場所も、全てが過去の記憶と一致している。
そして、そこの隣には、私がいた。
「ち、違うよね?、こんなの...こんなことって...」
自然と手に力が加わる。
でも、写真を見れば見る程、その写真に写っているのは、
私が長年想い続けてきた【あの子】だと確信できる。
薄々そんな気はしていた。
そもそも彼の雰囲気と、あの子の雰囲気が似すぎている。
性格は変わっているが、根本的な優しい部分は全く変わっていない。
それどころかさらに優しくなっているぐらいだ。
ただ単に、あの子が他の人の物になっているということを、
私は否定したかったのだろう。
言ってしまえば、小さな子供のくだらない約束かもしれない。
それでも、それを分かっていても、
私はずっとずっとそれを信じて生きてきた。
「僕!大きくなったらお姉ちゃんとけっこんするんだ!」
今でもこの言葉を簡単に思い出すことができる。
じゃあ私のこの想いはどうなるの?
10年以上に渡って信じ続けてきた想いを捨てろとでも?
もしそんな簡単に捨てれるのなら誰も苦労しない。
私はこの想いを諦めることは絶対に有り得ない。
そうだ、もう奪ってしまえばいいんだ。
そうすれば私の想いは叶う。
それでいいんだ、私と彼が結ばれるのなら、それで...
「何をしているんですか?」
「ッ!?」
私はすぐに後ろを振り返った。
「ここ、僕の部屋なんですけど...」
と、何やら困った表情をする。
「す、すみません!すぐに出ますから!」
私は、その場から逃げるようにその部屋を出ていった。
----
「なんだったんだ?僕の部屋に入ってもなんにもないのに」
僕が庭の雑草を抜いている最中に、
琴乃さんは起きたみたいだけど。
風邪ではないのかな?
仁香は、すっかり琴乃さんが風邪だと思って薬局に行ったのに。
ま、いっか。
一応僕は仁香に、琴乃さんは大丈夫というメールを送った。
----
「本当に大丈夫なんですか?
愛宮先輩...」
仁香が心配そうな表情で、
琴乃さんに話しかける。
「大丈夫大丈夫!全然元気だから!」
それに対して琴乃さんは元気に返事を返す。
「それじゃ、また来るね」
そういって、琴乃さんは帰っていった。
「それで、隼人」
先程の声質とは違い、
少しボソボソとした声で、
「明日は、絶対に予定入れてね...
その...ひ、久しぶりに...」
「ん?久しぶりに?」
「や、やっぱり明日言うから!」
仁香はそう言って、自分の部屋に走っていった。
----
「はぁ...やっぱり傷つくなぁ...」
度数の高いお酒を片手に、
机にだらんと体を預ける。
「こうも簡単に初恋が終わるなんて、
ひどすぎるよ...こんな仕打ち...」
初恋の相手と会えたと思ったら既に結婚していて、
しかも相手が部下って...
考える限り最悪なシチュエーションじゃないか。
「んぐ、んぐ」
今日はやたらとお酒が進む。
昔の彼を忘れようとして飲んでいるのに、
飲んでも飲んでも、彼との思い出は消えない。
消したいのに消えない。
忘れたいのに忘れられない。
人間なんて、自分がしたいこととは真逆のことが起こるんだ。
成功すると思ってたら失敗する。
失敗すると思ったら成功する。
そんなことは恋愛にも適用される。
叶うと思っていた恋が叶わない。
本当に最悪な気分...
期待すれば期待するほど、
その期待が裏切られた時の絶望は大きい。
人間の精神なんて容易く破壊する程度には。
今の私には何がある?
会社内の地位?実績?信頼?
金持ちの両親?
そんなものがあったって、
結局私は一人じゃないか。
大人になれば、一人じゃなくなると思っていた。
子供の頃からずっと一人ぼっち。
だからこそ、小さな反抗として習い事を抜け出して、
彼と出会って、彼と遊んで、彼と笑った。
彼と一緒にいる時は、自分が一人じゃないって実感できた。
こんな私だって友達がいるんだ。
一人ぼっちじゃないんだって思ってきた。
でも、今のこの状況は何?
子供から大人に変わって、
社会に出て、自立して。
誰にも縋らず、誰にも縋られずに生活してきた。
それで?
今の私に何がある?
外側だけ見られて、評価されて、
その評価を見てついてくる人がいて。
客観的に見てば、一人じゃないって思うかもしれない。
でも、空っぽなの。
私の中身は何もない。
誰もいない、誰も私自身を見てくれない。
ずっと変わってないんだ。
私が、彼から離れてしまったあの時から。
私は、私自身を見てくれて、
一緒に道を歩んでくれる彼が欲しいんだ。
彼じゃないと何も感じないんだ。
喜びも、怒りも、悲しみも、何もかも実感できないの。
彼以外だと、全部が全部、偽物の感情になってしまう。
私は、私がここにちゃんと存在しているって感じたい。
両親の、愛のない言葉なんかよりも、
彼と会話している方が何倍も楽しい。
「はぁ...でもどうしよ...」
彼は、もう仁香ちゃんだけの物になっている。
今私がやろうとしていることは、
最低で最悪なことだ。
「仁香ちゃんから、取っちゃおっか...
隼人君を...」
----
「で?仁香、一応予定は空けておいたけど、
一体なんだい?」
昨日の朝に、仁香からは予定を空けておいて、
と言われたが、何をするのかということについては、
全く教えられていない。
ちなみに、今は珍しく仁香の部屋にいる。
「そ、それはぁ...」
それに対して、仁香は周りをキョロキョロ見ている。
...いつもの仁香とは違って、
何か自信がないように見える。
「本当にどうしたんだい?
何もないならもう寝るけど...」
そう言って、僕は自分の部屋に戻ろうとするが、
「ま、待って...」
と、静止されてしまった。
「?......」
仁香の部屋が、沈黙の空気に満ちる。
たった数秒に感じるし、
何十分にも感じる、
短いようで長いような、
不思議な雰囲気が、部屋を支配する。
「ひ、久しぶりに...」
「そ...そのぉ...」
「し...シない?...」
この先のことを、僕は一切覚えていない。
後日、仁香からそのことについて教えて。
と言っても、顔を赤らめて沈黙で終わってしまう。
...本当に、何があったんだろ?
ブクマ、ポイントお願いします!




