【鷹の眼Side】 ファルコの決意
書籍化された部分から零れ落ちた閑話をWeb版として掲載しています。
本編はアルファポリス引っ越し済です。
※1日複数話更新です。お気を付け下さい。
「ええっと…もしかして、知り過ぎたヤツは死ね、的な……」
聖女の姉とやらが、少し前から邸宅に滞在しているのは知っていたが、とりたててこれまで、顔を合わせる機会もなかった。
一度、王都の仕立屋に行くと言うので、護衛が付いた事はあるが、それは部下にやらせていたからだ。
たった一人になった村を離れ、王都でイデオン公爵家家令セルヴァンと出会い、公爵家に雇われる口利きを受けたのは、本当に偶然だった。
あの村の管理監督者は、アルノシュト伯爵であり、更にその上に、イデオン公爵――お館様がいらっしゃると知ったのは、毒や薬に詳しい事を買われて、裏稼業に近い諜報活動を任されるようになってから、かなりたってからの事だった。
その頃にはもう、決してお館様は責められないと、俺ですら分かる程に、お館様の仕事量は半端ではなかったし、私利私欲による不正も、決して是とされていなかった。
村がどうして、ああなったのか。
せめて自分で調べがついてから、そうしたら、お館様に聞いていただこう。
そう葛藤しながら、日々を虚しく積み重ねているような状況だった。
そんな中で、セルヴァンから、急な呼び出しを喰らって、顔を出してみれば、一言も話をしていない内から、その姉に「物騒な人」認定をされているのだから、驚くなと言う方が、無理だろう。
お館様程ではないにしろ、真面な恰好をすれば、少しは見られる顔だと、一応認識していたのだが。
真面目な表情をして「水死体はイヤだ」とか、もはや意味が分からない。
あのセルヴァンをして、死体の話題から離れろと焦らせている。
だからこそ、お館様の興味を引いたのかも知れないと、妙に納得はしたのだが。
首筋に無数の赤い痕が付いているのを見れば、その執心ぶりも伺い知れようと言うものだ。
だが俺は、目の前のこの、小柄な少女の真価を完全に見誤っていた。
これまで誰一人、気付く事もなかった、銀山の闇に埋もれた村々の存在に、ただ一人、気が付くなどと、思いもしなかった。
「――間に合わなくて、ごめんなさい」
分かっている。
何故、もっと早くに気が付いてくれなかった…などと、異国から来た少女に、ぶつけるべき言葉ではなかったと。
だが彼女は、それを、俺が自分の後ろにいる「お館様」に向けて発した言葉だと、始めから理解をしていた。
「あなたが復讐を望むなら、同じ水を飲んで、同じ苦しみを味わいながら、死ぬ事もやむを得ない」
そして自分が「当主代理」だと言う自覚も覚悟も充分に持っていて、決して「異国から来たばかりの自分には無関係だ」とは、言わなかった。
俺が乞えば、本当にあの川の水を飲むだろうと、そう思えた。
全てを絶望の底へと沈めた、あの川の水でも。
たかが公爵家の諜報組織を率いる俺よりも、よほど組織の在り方と言うものを、理解している。
…いざと言う時の、上に立つ者の責任のとり方を。
セルヴァンではないが、どういう生活を送れば、そこまでの心境に辿り着けるのか。
元凶を追い詰めるまで、復讐は待ってみないか――。
本当に、何でもない事であるかのようにかけられた、その言葉は、乾いた大地に染み渡る水のようだった。
家族も村も全て失って、憎しみのやり場を失くしていた自分に見えた、光だった。
聖女の姉でしかない自分には、誰も救えないが、元凶を追い詰めるくらいなら出来る――その為に、動いてみないかと。
元凶を追い詰める事が出来なければ、殺されても仕方がない。
敢えてそんな態度をとるのは、俺の復讐心を、お館様から外させるためだ。
お館様は何も悪くないと知りながら、怒りのやり場を失くして、未来さえ向けずにいた、俺の矛先を受け止める為に。
お館様は、国政を知るだけあって、貴族にありがちな、享楽的な生活とは無縁の、いっそ高潔に過ぎるくらいの当主だった。
だから、俺の村に何が起きていたのかを知った時に、当たり前のように謝罪をしようとされた。
「ダメ…っ」
分かっている。
それが、お館様だ。
だけど、公爵家当主としては「まだダメ」だと、非凡な少女は、正々堂々とお館様を遮った。
今、お館様が頭を下げてしまえば、この件はそこで手打ちになってしまう。
それを分かっていて、あの少女は、自分が憎しみをぶつけられる事になろうとも、まだお館様が頭を下げるのは早いと言ったのだ。
己の謝罪を止められたお館様も、愕然とした表情だった。
全てのカタが付くまで、責任はこちらで被ると言われたも同然だから、さもありなん、だろう。
俺の心の中で、折り合いが付くまで、きっと「復讐者」としての茶番に付き合ってくれるつもりなのだ。
本当に、どういう生活を送れば、そう言う考えを持てるようになるのか。
お館様が何気に「6年かけて叛乱計画を企てただけの事はある」と呟いているのが、どう言う事か、俺もセルヴァンも聞かされてはいなかったが、やはり異国で、過酷な生活を送っていたのは間違いないのだろう。
聖女を補佐するべく招かれた姉が、公爵邸で教育を受けている。
そんな建前があった事を、お館様以外の、使用人全員が忘れていた。
セルヴァンですら、もはや「近未来の公爵夫人」扱いで、侍女長と共に、あれこれ教育をしていたのだ。
今更、聖女の補佐に取られるとは――と言う、本末転倒な空気が邸宅中に流れている。
さすがにお館様は、建前を無視する訳にもいかないと、分かってはいるようで、何とか公爵邸からの『通い』で、聖女の補佐は、必要な時だけ――と言う、現実的な落としどころを狙っているようだった。
ただ、少し言葉を交わせば、俺ですら「普通の貴族令嬢」とは程遠いと分かるくらいだ。
実際に王宮で、聖女の補佐をする様になれば、その他の部署からも、引っ張りだこになるのは、目に見えていた。
それは困る。
それでは、俺と約束した「元凶を追い詰める」事が、いつまでたっても果たされなくなる。
「お館様は、最早お嬢さんを手放すつもりが欠片もないってコトで良いんだろう?」
そうでなくては、困る。
公爵邸に、居て貰わなくては。
「――その通りだ」
お館様は、呑み込んだ俺の思いなど、最初から分かっていると言わんばかりの、不敵な笑みを浮かべた。
「私の意志は、そう言う事だ」
分かってますって、お館様。
俺には、やましい気持ちなんてこれっぽっちもありませんから、そんなに威嚇しないで下さいって。
俺はただ、お二人で、元凶を追い詰めて、潰して下さる事を、心の底から期待しているだけですし、その為に出来る事なら、何だって手を貸すつもりですよ!