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暇をもてあましたお嬢様は怪盗家業に勤しむ  作者: 冴月アキラ
第一章:守護者のマリア奪還作戦
5/37

ミッション・スタート

11/12: 後半部分加筆しました


    3


【表の仕事の方はどうだった?】


 授与式とその後の挨拶回りを終え、さっさと『アイリーン』用にあてがわれた部屋に帰ったラヴェンダーに、フェリスから通信が入る。


【なんか、もしゃもしゃ頭の男に捕まってたみたいだけど】


 すでに『アイリーン』をアンインストールし、メイクも落として素に戻ったラヴェンダーは、スーツケースを開けて、用意していた≪月夜のクジラ号≫の従業員用のお仕着せに袖を通しつつ、答えた。


「それよそれ。多分、エリーゼ様の占い、あの男のことだわ」


 この心の痛みを誰かに聞いて欲しい、とラヴェンダーは高速の早着替えの手は止めず、続ける。


「もう私、心が痛くて痛くて。仕事に支障が出そう」

【どういうことだよ?】


 問うてくるフェリスに、ラヴェンダーは一部始終を話した。特に――オリバー青年の淡い何らかの思いに関する勇気に関して。


【あー……そりゃあ。うん】


 フェリスもさすがにオリバー青年への同情を禁じ得ないのか、言葉を濁しつつ苦笑を漏らした。

 

【でも、エリーゼ様の占いって、そんな些細なことを指してたのかなあ】

「何が些細よ。ラブロマンス至上主義にはゆゆしき自体よ!」


 両太ももホルダー付きベルトを着け、そこに身を守るための武器やワイヤーガンなどを取り付けながら、ラヴェンダーは力説する。


 ちなみにエリーゼの占いとは、タロット占いのことだ。


 シューヴァンシュタイン家は男系継承の一族ではあるが、実は不思議なことに、一族の女性には不思議な能力を持つ人物が多い。

 現女大公アーデルハイドも水晶を媒体にした占いが得意で、ほとんどは彼女自身の才覚と、覚悟がなしえた偉業であるものの、たった十四歳だった当主として一族と、小さいとは言え一国を率いてこれたのはその占い能力の助けもあったのだと言われているし、その才能は余すことなくエリーゼにも受け継がれている。

 

 エリーゼの場合、同じ占い能力ではあるが媒体がタロットカード、ということなのだ。


 いつも怪盗シュヴァルツ=カッツェとしての出動の前には、験担ぎの意味でエリーゼが占ってくれるのだが、オカルトを信じない達のラヴェンダーは毎回聞き流している。というか、聞き流していいくらいの内容が多かったからだ。


 けれど今回に限ってはどうも違ったようで、出発前に挨拶に行った際、彼女は難しい顔で、逆さまの魔術師のカードと、雷が落ちる塔が描かれたカードをラヴェンダーに見せてきた。


 現状が、逆位置の≪魔術師≫で、計画の失敗の可能性を、その原因として≪塔≫の避けがたい何かのトラブルがある、あるいは激しい動揺をさせられるような出来事にであう――そんな内容を示しているとエリーゼは言っていた。


 思い返してみればオリバーとの接触は、彼女自身は動いていないのにあちらからぶつかってきたし、他人の恋愛を目の当たりにしつつその芽を摘まなければならなかったことで少なからず動揺をしている。


 また、こういった誰かの印象に残るような接触は避けるべきなのに、『アイリーン』ではそれができなかった。


 その時点で、少なくとも『アイリーン』からの『表』の依頼はパーフェクトにこなせたとは言えないだろう。後日人材派遣会社経由で、『アイリーン』に経緯の説明が必要になるのは確かだ。失敗している、と言っていいくらいかもしれない。


【でも……いや、なんでもない】


 そのラヴェンダーの主張にフェリスは何か言いかけるが、逡巡の後、諦める。

 それに、ラヴェンダーは片眉を少し持ち上げて、視線を左のイヤーカフの方に向けた。この相棒にしては珍しく歯切れが悪い。

 しかし、少し待ってもそこから先のリアクションはなく、ラヴェンダーは無言で肩をすくめた。


(私が占いに興味ないから、エリーゼ様もいつもあまり詳しく説明されないし、今回もそうだったと思うけれど、もしかしたらフェリスは占いの全部を見てるのかもしれないわね)


 一応、疎いラヴェンダーでもタロット占いが二枚でできるとは持っていない。エリーゼがかなりの枚数をテーブルに並べているのを見たこともある。

 もし今回もエリーゼがそういう占いをして、かつフェリスがその全貌を知っているなら、何か引っかかるモノがあるのかもしれない。


 ただその情報をエリーゼは告げる必要がないと判断したからラヴェンダーには伝えてないのだろうし、ならば今この時間のない時に聞く必要のない話しのはずだ——そう判断したラヴェンダーは、それ以上追求しなかった。


「——できたわ」


 そんな会話の間にも着替えを終え、メイクも終えているたラヴェンダーは、話を区切るように告げて、鏡に向かってにっこりと微笑む。

 クマの浮いた憑かれた研究員の顔から、ぱっちりとした青い目にふっくりとした頬、その上にはそばかすが散らばっているが元気はつらつの二十代に早変わりしていた。


 最後にカツラを赤毛に近い栗毛の三つ編みに変えれば完了である。

 

「カトリーン=アルモンテの完成っと」


 一本にまとめた三つ編みを器用にくるくるとまとめてお団子にすると、それをレースのついたシニヨンカバーで覆って留める。

 やや落ち着きのなさそうな新人従業員の完成である。


 ちなみに≪カトリーン≫の出身国はスペインということになっており、本当にここで、今現在はたらいている従業員だ。


 ただ違うのは彼女も関係人材派遣会社から派遣された人間で、ラヴェンダーの潜入の協力者の一人、というところか。


【本物の≪カトリーン≫は予定の位置の近くに待機してる。ラヴィが出られるようなら隠れる場所に入ってもらうけど——】

「いけるわ」


 そう言って、ラヴェンダーは腕時計を見る。

 先ほどまで着けていたゴールドのチェーンタイプの細いそれと違い、黒の革ベルトに、見やすい大きな三針の文字盤という機能性重視のものに付け替えている。

 その時計が示しているのは21:29。時間ぴったりである。


【監視カメラの映像、差し替える。合図したら出てくれ】

「わかった」


 フェリスの言葉に頷いて、ラヴェンダーは軽く両頬を、両掌で叩く。


 エリーゼの占い結果が気にならないと言えば嘘になるが、一番の大仕事はこれからなのだ。


(集中!)


 エリーゼの公爵継承のため、ひいてはラヴェンダー自身の()()のために、今日は絶対に失敗できない。

 その決意も新たに、ラヴェンダーはドアノブに手をかけるのだった。



     ★ ☆ ★ ☆



「ラヴィの様子はどうですの?」


 いくつもの監視カメラの映像が映し出された複数のモニターに向かうフェリスに、背後からエリーゼが声をかける。


「あ、今声をかけても大丈夫かしら?」


 声をかけてから画面を認識し、今まさに監視カメラの映像をラヴェンダーが移動するのに合わせて差し替えていっている最中だと気づいたのか、エリーゼは慌てて声を潜める。

 それに、フェリスはやや苦笑しながら、軽く振り向いた。


「画像の差し替えは別部隊がやってるんで、大丈夫ですよ。私の入れ込んだプログラムもうまく作動していますしね」


 事前準備やハッキングに関してはフェリス出番はかなりあるが、作戦当日のラヴェンダーが出動する段での彼女の主な業務はラヴェンダーの行動サポートと指示出しで、画像の差し替えやプログラム管理と行った込み入ったことは別働隊が担当している。


 フェリスから向かって右側の三つのモニターに映し出される画面が、≪月夜のクジラ号≫のコンピューターに記録され、監視室に表示される画面で、左の三つのモニターが実際のカメラが録画している映像なのだが、見比べれば、左のモニターにはラヴェンダーが客室から移動していく姿が映し出されているが、右側のモニターの同じ地点のものには誰も映っていない、と画像処理班の仕事がきちんとはたらいているのがわかる。


 気をつけなければならない、記録書き換え不可能な人間の方も、今はほとんどがパーティに出払っていて、乗客は周りには誰もいないし、また、その先の目的の部屋の警備員すらも、先に警備員として潜入した派遣員がシフト交代を理由に立ち退かせ、無人状態である。


 こうなると、フェリスにすることはなにもない。

 怪盗シュヴァルツ=カッツェが悠々と赤い絨毯の上を移動していっているのを眺めるのみである。


 それもあってフェリスはそう答えたのだが、自分の目で確かめないと不安なのだろう。エリーゼは自分でも画面をのぞき込み、フェリスの言に納得してから、ほっと一息ついた。そして、続ける。


「さっき、占いの話をしていたみたいだけれど……」

「ええ。ちょっとトラブルがあったみたいですよ」


 そう言うと、フェリスは簡単にラヴェンダーから聞いた経緯を説明し、さらにラヴェンダーの言っていた『推測』も付け加えておく。


「そう……ラヴィは、そう思っているのね」

「まあ、考えすぎて失敗するより、気持ち切り替えてもらった方がいいと思って、それ以上言っていませんが」

「それでいいわ……正直、この結果を今ラヴィに伝えるにはあまりに不確かなことが多いもの」


 そう告げて、エリーゼは手にしていた携帯端末に表示していた、占い結果を写した画像を見る。

 過去に現れた決別や清算を示す≪死≫の正位置。安定を示す≪節制≫が示す顕在意識に対する、暗中模索、不安、疑いを示す≪月≫が表す潜在意識。


 このカード達は、あまりにもラヴェンダーの過去にぴったりはまりすぎていた。

 

(過去の別離……あの子の、孤児院のことでしょうね……)

 

 この活動を始めるとき、エリーゼ達がラヴェンダーから聞いたのは、彼女の孤児院の話だ。

 彼女がヴェルフ家に引き取られた年の秋、孤児院は火事で焼失し、そこに暮らす二十人の子供達と、職員達、全員が死亡したらしい。

 

 出しても返ってくる手紙に不審に思い、家庭教師達の目を盗んで調べたインターネットのニュースでそれを発見したラヴェンダーは、彼女曰く『発狂』したらしい。


 当然ヴェルフ家の方でも、取り乱すラヴェンダーから事情を聞き、人をやって調べさせている。しかし結果は失火による火災、そして致死。ネットのニュース以上のものは出てこなかった。


 それでも、ラヴェンダーはそのことを信じ切れずにいる。


 誰か、一人でも生きているのではないかと、思って――いや、願っているのだ。

 

 だからヴェルフ家から独り立ちし、自由に行動ができる年になったら家族を探しに行く、というのが、ラヴェンダーの本当の願いだった。

 

 そんな願いを抱くラヴェンダーが、なぜエリーゼ達の仕事を手伝っているかと言えば、エリーゼ達がその協力を申し出たからだ。


 怪盗の実行部隊としてラヴェンダーが手伝う代わりに、エリーゼ達は持てる経済力、人材網、情報網をもってラヴェンダーの家族捜しに協力する――普段、ラヴェンダーはストレス発散だなんだと、その目的を軽口のように述べるが、この約束こそが本当の彼女の行動理由だった。


 では、誰もが事故だと告げている事件で、本当にエリーゼ達が手伝えることがあるのか、と言えば、ある、とエリーゼは思っている。

 というのは、カードがそう示していたからだ。


 ラヴェンダーが学園に来る直前、エリーゼ達もまた道に行き詰まり、困っていた。

 その時にカードが示した現状を切り開く≪星≫の訪れ。同時にその≪星≫自身を占ったとき、長い旅の果てに≪星≫が求める真実への到達が示されていた。


 ラヴェンダーがどう思っているかはわからないが、エリーゼはここぞと言うときにしか、占いは行わない。本来現実の決断は、現実に生きる人間がそこにある情報と持てる力でもって切り開き、行っていくものであるべきだと思っているからだ。


 その分、彼女が占いをしなければ、と思うときは、運命がそれを必要としているときで、また、その故に結果は、確かなことが多い。


 だから、かなりの確率で自分たちはラヴェンダーに有益な情報をもたらすことができると、信じていた。


 ――そうして一緒に活動を続けてきた、四年。そして、今回現れた、この彼女の過去を指すカード。


 それが意味するところは、エリーゼ達にとって大本命と言える≪守護者のマリア≫奪還は、また、ラヴェンダーにとっても目的に大きな何かをもたらすと言うことだ。


 未来に現れた、『復活・結果・敗者復活』を示す≪審判≫の正位置と、結論に現れた、『転換点・幸運の到来・チャンス・定められた運命』の意味を持つ≪運命の輪≫の正位置がそれを示している。


「≪運命の輪≫……一体どんな運命の大転換がラヴィに訪れるというのでしょう……」

「それは、私たちにはわかりません。ただ……無事を祈るのみです」

「そうですね……」


 フェリスの言葉に、エリーゼは深く頷き、そして両手を組んだ。


「せめてわたくしは、彼女に主の加護があらんことを祈ります……それしか、できませんから……」


 信心深いエリーゼの言葉に、深く頷いて、フェリスは視線をモニターに戻した。

 ラヴェンダーが映るモニターの方では、ラヴェンダーが会長用のスウィートルームの前に到達するところだった。


【――フェリス。中の様子はどう?】

 

 ちょうどラヴェンダーからも通信が入り、フェリスは窓に取り付けたサーモグラフィの方に映像を切り替えようと、キーボードを操作し――ようとした。


「なっ!」


 しかし、その瞬間、ラヴェンダーを映し出している方の映像が全て、消えた。

 そして次の瞬間、モニターいっぱいに黒背景に白い文字でプログラミング言語が超高速で打ち出されていく画面が表示される。


「これは、プログラムが書き換えられて……ラヴィ!」


 慌てて呼ぶが、ラヴェンダーからの返答はない。


「ラヴィ!」

 

 通信すらも、すでに途切れていた。



     ★ ☆ ★ ☆



「フェリス?」


 突然、何か焦った声を上げたきり沈黙するフェリスに、ラヴェンダーは声を殺したまま、再度呼びかけてみる。

 けれど、それきりイヤーカフから彼女の音声が届くことはなかった。


 切れる直前に、『プログラム』と言っていたような気がするが、何かエラーが出たのだろうか?


(こうなると、フェリスのサポートは期待できないわね……)


 腕時計で時間を確認し、ラヴェンダーは軽く目を閉じた。


(このまま潜入する場合、中の様子は分からない状態で潜入することになるし、脱出するときも自力でになる……かといって撤退して延期した場合、次のチャンスがいつ来るのか分からないわ。≪守護者のマリア≫が売りさばかれて行方を追えなくなるかもしれない……)


 頭の中で、このまま決行した場合のリスクと、諦めて撤退した場合のデメリットを描いていく。

 そして、ラヴェンダーは心を決めて、まぶたを上げた。


 結論は——決行、だ。


 ここで≪守護者のマリア≫を逃し、地下に潜られてしまったら、エリーゼの継承権に関してのリミットであるエリーゼの女学院卒業が先に来てしまうかもしれない。

 そうなっては本末転倒だし、ここまでやってきた意味がない。それに、フェリスのサポートが切れた場合のシュミレーションも行ってきている。


(と言っても、この部屋のセキュリティが切られてなかったら意味がないんだけど……)


 そう思いながら、ノブに手を伸ばし、音が鳴らないように慎重にひねりながら、樫でできた扉をそうっと引く——開いた。鍵は解除されている。

 

(これなら、いけるわ……!)


 よしよし、と思いながらしゃがみ込み、胸元から手鏡を取り出す。それで中の様子をうかがおうとし――ラヴェンダーは手を止めた。


(……話し声?)


 声は抑えているようだが、男性らしい低めの声が聞こえる。

 ただ、聞こえる声は一人分だけだ。おそらく、電話か何かで通話しているのだろう。


(会長? ……いえ、そんなはずないわ。それなら、声を抑える必要ないはずだし、それに……)


 ラヴェンダーは鏡越しにドアの内側を観察した。扉の奥は暗い。つまり、中にいる人物は電気をつけていないのだ。

 不審に思い、ラヴェンダーはさらに鏡を内側に押し込み、中を伺う。そうして角度を調整すること数秒、人影を捉えることができる。


 スウィートルームだからか、壁は一面のガラス張りになっており、おかげで細くはあるが月光が室内に差し込んでいた。その柔らかな光が映し出すシルエットは、すらりとして高く、引き締まった男性のそれだった。先ほど授与式で間近で本人を見たラヴェンダーには、それが老齢のゴールディン会長ではないことがわかった。


 片手を持ち上げているので、おそらく通信機の類いで誰かと会話しているのだろう。その一方で、逆の手は何かを持っているように見えた。長さ四十センチほどの、細い――


(――まさか!)


 思いついた可能性に、ラヴェンダーは青ざめる。

 

(≪守護者のマリア≫狙いの、同業者!?)


 電話をしながら、彼は左手に手にしたものを観察するように左右に角度を変えている。そのおかげで、うっすらとではあるが、彼が手にしているものがローブを被った人形のようなものであることが見て取れてしまう。そしてその人形が抱く、百合の花も。


 どうして――思うが、すぐに可能性に思い至る。一番考えられるのは、ヴァルデック子爵からの依頼の線だろう。


 無理難題であっても、かなえられる可能性があっては困る、と彼らの方でも調査をしていたに違いない。そしてフェリスがつかんだのと同じ情報をつかみ、そして同じように交渉できなかった。


 そのため、誰かに奪取を依頼した――そう考えれば、辻褄が合う。


(でも、それなら絶対に、あれは渡せないわ)


 頭をフル回転させながら、ラヴェンダーは中の家具の配置、扉から中の男までの距離を確認する。


 行くべきか行かざるべきか――再び、扉を開く前と同じ問いがラヴェンダーの脳裏に浮かぶ。そして何故か、エリーゼから見せら得た≪塔≫のカードのイラストもよぎった。


 エリーゼの占いが確かだというのなら、この作戦は失敗に終わる。それなのに、危険を冒してまで乗り込む必要があるのか。

 また別の機会に狙う方がいいのではないか。


 一瞬の間にいくつもの考えが浮かび、消える。

 けれど、室内で男が通話を切り、女神像を懐に入れようとする仕草を見たとき、それらの考えは全て吹き飛んだ。


(――行くしかない!)


 太ももに括り付けたホルダーから煙幕弾を取り出し、室内に投げる。そして、一歩踏み出した。





 ――誰しも後から、そうだったと気づくように、その一歩が、ラヴェンダーにとっての運命への第一歩。


 もしこの時、足を踏み出さなければ、行こうと思わなければ、その後の運命は大きく変わっていただろう。

 しかしそれは同時に、エリーゼのカードが示した『大転換』に向かうこともなかったと言うことだ。


 けれど彼女はそれを踏み出した。

 運命の輪を回し始めて――





「くっ」

 

 投げ込まれた煙幕に、室内の男が声を上げる。

 滑る混むように隙間から部屋に入り込んだラヴェンダーは、煙幕の中、想定した経路駆ける。


 男とラヴェンダーとの間には、応接用のソファとローテーブルが置かれている。


 進行方向にあるソファのの背もたれに側転しながら飛び乗ると方向を変え、座面、ローテーブルを経て、対面に置かれたソファも乗り越える。

 男がいるのはその先、ビジネス用デスクの前。


(ここだ――!)


 視界は悪いが、男の腕の影が見えた。マリア像を持っている方の腕だ。

 ラヴェンダーは手を伸ばし、男が持つ≪守護者のマリア≫を奪取しようとする。


 けれど、今まさに像に指が届く、という直前に、視界からそれが消える。

 代わりに男の長い腕が伸びてきてラヴェンダーの腕をつかんだ。そして、ラヴェンダーの腕ごと彼女の背中にその腕を回すと、ぐっと、引き寄せてくる。


「いっ」

 

 無理な方向に腕がねじ上げられる感覚に、ラヴェンダーは思わず悲鳴を上げた。けれど男の力が緩むことはない。


「くっ」

 

 ならば、とラヴェンダーは唇をかみしめて痛みに耐えると、ひねり上げられている方とは逆の腕を伸ばした。男が、マリア像を持っているだろう方の手を捉えるために。

 けれどリーチの差は歴然としていた。どんなに延ばしても、男の肘にすら届かない。


(やっぱり、突撃するべきではなかった……!)


 完全に押さえ込まれてしまったことを悟ったラヴェンダーは、内心激しく舌打ちをした。けれどこうなったら優先すべきはいかにこの男の手から逃れ、自分の命を守るかだ。


 脳をフル回転させながら、何か解決の糸口はないかと視線を巡らせ、そうしてゆっくりと薄れていく煙幕の中で、ラヴェンダーは大きく目を見開いた。


「なっ……」


 まるで、ダンスを踊るカップルのように密着した身体。そしてそのために、至近距離にある相手の顔。

 見間違うはずもなかった。


 氷のようなグリーンの瞳、切れ長の眼差し、きりりと通った鼻梁。


『もったいないわぁ。私が身内なら、一日デパートに連れ出して、大変身させてやるところなんだけど……』


 そう思いながら観察した、その整った容貌が、今、目の前にあった。


「オリバー……!」


 抵抗することも忘れ、ラヴェンダーは呆然と、その名を呟くことしかできなかった。




閲覧ありがとうございます!

次回投稿は11/15の予定です。

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