ジョーンズ交通ドリフトヒルクライムツアー
議事堂を出た二人は、そのままシューヴァンシュタイン城に向かった。途中ホテルの前を通りかかった際、動物病院から帰ってきたアレクがいたので、合流し、一緒に向かうことにした。
プチの様子を聞くと、脚を舐めないようにエリザベスカーラーを着けられているらしい。また、怪我が悪化しないよう、帰ったらアレクは綿入りのキルティング布で脚袋をつくるつもりだと言っていた。お散歩用の靴がわりとして何種類か作るつもりだと彼は意気込んでいたが、ラヴェンダーにはあまり幸福な未来は想像がつかなかった。
犬ほど従順ではない猫がおとなしく脚袋を履くだろうか——答えは、否だろう。
着けた次の瞬間には逆の手の猫パンチか、加えてはぎ取られる未来しかラヴェンダーには想像できないのだが、アレクにはそうではないらしい。
まあ本人がやる気満々なので、黙っておいてあげることにするが。
新しい方のシューヴァンシュタイン城を抜け、裏庭に行くと、すでに馬車が用意されていた。
エリーゼ達とジェイ達のアポがあるからだろうが、その馬車には何故か、馬が繋がれていなかった。
「あら? まだ準備できていないのかしら?」
ラヴェンダーは不思議そうに首をかしげたが、ジェイとアレクは深い溜息をついた後、何も言わずに扉の開け放たれた馬車に乗り込んでいこうとする。
「ちょっと、使用人も周りにいないのに、勝手に乗っていいの?」
アレクが最初に乗り込み、進行方向に向かって背中を向ける位置の席に座ったのを見届けてから、ジェイがラヴェンダーをエスコートして乗せようとしてくるので、さすがにまずいのでは、とラヴェンダーが問いかけると、ジェイは何も言わず、代わりに溜息をもう一つ重ねた。
その理由が分からずアレクの方を見ると、彼も同様である。
「使用人がサボってるだけだ。いいから乗れ」
そう言って促されるので、ラヴェンダーは釈然としないながらも馬車に乗り込み、アレクの向かいの席に座った。
すると最後にジェイがラヴェンダーの隣に乗り込んでくる。
距離の近さに少しどきりとしたラヴェンダーだったが、対するジェイは何故か馬車の端に身体をぐっと押しつけるようにし、距離を取ってくる。
かと思えば何故か、窓際側の手で強く天井を押すようにし、逆の手で自分の身体を抱き込むようにして窓枠をしっかりとつかんでいる。
その姿勢の意味が分からず、アレクの方を見たら、アレクも何故か同じような姿勢を取っていた。
「何? なんなの? 一体?」
意味が分からず頭に疑問符が飛び交うラヴェンダーに答えをくれたのは、何故かその場にいなかったはずのグロウだった。
「レディースアンドジェントルメーン! この度はジョーンズ交通のご利用、誠にありがとうございまーす」
そう言いながら、開けっ放しのままだった馬車の扉から、ぬっと顔を出したグロウは、何故かホテルのドアボーイのような制服を着ていた。
いつも軍服みたいな服装しか着ていなかったので、ラヴェンダーには最初、それが誰か分からず、身構えてしまった。だが、ドアボーイにしてはやたらと屈強な肩や胸筋、無駄にでかい背、そして楽しそうにぎらぎらと瞬いている赤銅色の眼差しは間違いなく自分の兄貴分だったので、ほっと身体の力を抜いた。
——思えば、それがいけなかったのだ。
「ちょっとグロウ。なにやってるの?」
「旧シューヴァンシュタイン城までのドリフトヒルクライムの旅をお楽しみくださーい」
ラヴェンダーのコメントは無視し、グロウはそう言い残すとバタンッ、と勢いよく扉を閉めた。そのまま、遠ざかっていく足音が聞こえる。
意味が分からずラヴェンダーが顔を上げると、心なしか青ざめた顔色のジェイが深く頷くようにして言った。
「悪いことは言わない。掴まって身体固定しとけ」
「え?」
「俺からもお願いします。身体、固定してください」
同じく青ざめたアレクが、懇願するように言ってくる。
全く以て意味が分からなかったのだが、その答えは次の瞬間、ラヴェンダーに降りかかってきた。
ぐんっ
と、普通ならあり得ない加速と共に馬車が動いた。
ほぼ廃れているとは言えシューヴァンシュタイン家という一応貴族の持ち物の馬車なので、通常なら極力衝撃を室内にかけないようにそうっと出発する。
なのに何故かこの時は、乱暴なほど馬車が揺れたかと思うと、ぐっぐっと何かを踏みしめるようにしながら加速していく。
「……まさか……!」
この時、ラヴェンダーはようやく、何が起こっているのか理解した。
思わず腰を浮かして御者台側に開いている窓から前方を見ると、御者がいるはずの御者台に人はなく、代わりに何故か馬がいるはずの場所に先ほどグロウが来ていたドアボーイの制服が見えた。
「この馬車、グロウが牽いてるの!?」
「いいから、怪我したくなかったら座っとけ!」
声を上げたラヴェンダーの腰を、ジェイが引く。おかげで彼の方に倒れ込むようにして腰掛ける羽目になったラヴェンダーを、次の衝撃が襲う。
元々細い山道だった旧城への道は、車がない時代の物だったので曲がりくねっている。
もうすぐその最初のカーブにさしかかるはず。なのに、人一人が引いてるとは思えない速度にまで達した馬車は減速する気配がない。むしろそのまま、カーブに突っ込もうとしていた。
『ドリフトヒルクライムの旅をお楽しみくださーい』
その瞬間、ラヴェンダーの脳裏にグロウの出発前の台詞が蘇ってくる。
「まさか!」
思った瞬間、横に大きなGがかかった。
「うそぉぉぉぉ!!!!」
そうして、静かなファーツ山の山麓に、少女の細いの絶叫が響き渡ったのだった。
新旧のシューヴァンシュタイン城の間の道のりは、そんなに長いわけではない。通常馬車で十五分、といったところだ。
だが今回はその記録を大幅に上回る、半分くらいの時間で旧城へ到着した。
だというのに、ラヴェンダーにはその道中の記憶が全くなかった。
ひたすらに何かにしがみついてるうちに、気づいたら到着していた。
そんな感じだった。
ドリフトヒルクライムはマジでドリフトヒルクライムで、本来一番衝撃を殺さなければならないはずの客室はカーブにさしかかったところで大きく横に振られ、道から外れそうなぎりぎりのところでカウンターが当てられて道に戻される。
そんなのを繰り返しながらの七分間など、当然ゆったり車窓を楽しむ余裕なんてなかったからである。
「とうちゃーく。ご乗車ありがとうございましただぜ〜」
やっと止まった、と思ったら、再び乱暴に扉が開かれて、グロウが顔を出してくる。
「一人増えたのに記録更新だ。すげーだろ」
そう言って、ニッと笑ってくるグロウに、ラヴェンダーの中で芽生えたのは純粋な殺意である。
「『すげーだろ』じゃないわよ! なんなのよ、あの運転は!」
「あれー? 楽しくなかったか? ジェットコースター乗ってみたいって昔言ってただろ、お前」
「そういう問題じゃないのよ! 安全管理されたジェットコースターと、シートベルトもない馬車で山道ドリフトじゃ、安全性が天と地も違うでしょう!?」
「でも、スリルはスリルだろ? むしろよりスリリングな旅を提供した俺を褒めて欲しいぜ」
「どうしてあんたはそんなに話が通じないのよ〜!!!」
ラヴェンダーは、耐えきれず叫んだ。これでは会話のキャッチボールではなく、価値観の殴り合いだ。相容れなさすぎる。
孤児院にいたときからぶっ飛んだところがあったが、軍隊生活のせいかなんなのか、明らかにねじが数本ぶっとんで、非常識さが加速している。
安全装置もない馬車でのスリルなど誰も求めていないと言うことが、どうして伝わらないのか。
「安全装置なら掴まるもんもあったみたいだし、十分だろ」
ラヴェンダーの抗議に、グロウがにやっと笑って馬車の中を指さす。
それに釣られるようにして彼が指した先——ラヴェンダーがしがみついてた物の正体を認識して、ラヴェンダーは悲鳴のような声でその名前を呼んだ。
「ジェイ!?」
無意識に抱きついてしまっていたことへの羞恥で、恐怖で引いていた血の気が一気に戻ってくる。
しかも意識してみたら、彼の腕ががっしりとラヴェンダーの背中に回されていて、抱き寄せられているとも言えなくもない姿勢だった。
「ご、ごめんなさい! 気づかなくて!」
思わず身体を起こして飛び退ったラヴェンダーだったが、ジェイはそれには答えず、代わりに自由になった方の手で、口元を覆った。青ざめたままの顔色が明らかに具合が悪そうだったので、ラヴェンダーはすぐに身体を寄せて、彼の顔を覗き込む。
「だ、大丈夫?」
「……内臓が飛び出るかと思った」
「え……?」
だが、心配したラヴェンダーを、ぼそりと呟きを漏らしたジェイは、何故か睨んでくる。
「お前、怪力過ぎるんだよ! なんの拷問かと思ったじぇねえか!」
「う、嘘……」
「人の胴体を絞ろうとするんじゃない!」
ジェイからの抗議に、ラヴェンダーは途方に暮れたような顔になって、自分の両手を見下ろした。
器械体操や格闘技のために、確かに筋トレはしている。普通の女性よりは肩や腕の力はある自覚はある。
でもまさか怪力と言われるほどだったとは——グロウと同じジャンルにくくられるくらいだったとは思わなかった。
「ごめんなさぁい」
「そこで可愛くシャツにしがみつくくらいの計算ができないから、色気がないって言ってるんだ」
ジェイからのそのお叱りの言葉に、さすがに反論のできなかったラヴェンダーだった。
(可愛くきゃってしがみつくあざとさ重要——覚えたわ)
アレクに促され、グロウの手を借りながら馬車から降りたラヴェンダーはぐっと両手を握った。
全て演技に結びつけて考えるのが彼女の中で色気が育たない要因でもあるのだが、残念ながらそれに気づいていない彼女だった。
「……なんだ?」
一方、ラヴェンダーとアレクが馬車から降り、城に向かって歩き出している中、最後に馬車から降りようとしたジェイは、動きを止めて傍らに立つグロウを見ていた。
「言いたいことでもあるのか?」
頭の後ろで手を組んで、にやにやと笑っているグロウにジェイがそう問うと、グロウは「別にぃ?」と答えたくせに、続ける。
「ただ、誰かさんの方こそもう少し大人な交わし方あるんじゃねえのかなあって思っただけだ」
「なんだと?」
「おら、早く下りてくれ。姫さん達迎えに行かないといけないんだから」
抗議しようとするジェイの言葉を遮って無理矢理彼の手を引くと、グロウは空になった馬車の扉を閉めた。
「おい、グロウ」
「ほんじゃ、またあとでな〜」
ひらひらと手を振って御者台の前に回ると、グロウはそのまま馬車をUターンして戻って行ってしまう。
完全に取り残される形になったジェイは、去って行った馬車を見送ってから、自身の左手——道中、ラヴェンダーを抱き寄せていた方の手の平を見た。
「……馬鹿馬鹿しい」
それから忌々しげに舌打ちをすると、ジェイも二人の後を追って旧城の中へと向かったのだった。
ジョーンズ交通はぎりぎりの安全と最大限のスリルとスピードをモットーに日々業務に取り組んでおります。
(ただしシューヴァンシュタイン家の一行を乗せるとき以外)
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次話更新は1月31日10時の予定です。




