彼の彼女に関する悩みと友人からのアドバイス 〜ジェイ視点〜
「まだ一人で飲んでんのか?」
寮に帰る時間になったというラヴェンダーを見送った後も、ブランデーを開けて飲んでいたジェイに声をかけたのは、グロウだった。
酒があまり強くないアレクはもう、部屋の片付けをあらかた済ませた後、猫の方のラヴェンダーと共に部屋に戻っている。そのまま切り上げても良かったのだが、どうも飲み足りない感じがしたので、ジェイは一人で飲んでいたのである。
一方グロウは、脚の怪我のせいでタクシーで帰るにしても車両までの助けが必要なラヴェンダーを寮まで送ってきたところだった。事前にフェリス嬢に連絡を入れていたため、車に乗せてしまえばタクシーから寮まではフェリス嬢が介助してくれるはずだったが、それでもグロウは寮前まで一緒に行ってきたらしい。ジェイがアレクと部屋の入り口で二人を見送ってから三十分ほど経っている。
そのまま自分の部屋に戻ってもいいはずなのに、一度ジェイの部屋に顔を出すのは、妙なところで律儀なところのあるグロウらしかった。
「飲み足りなかったからな。お前はどうだ?」
「まだテキーラ一瓶はいけるね」
「お前が言うと冗談に聞こえないから怖いな」
苦笑するジェイの前を通り過ぎ室内に設えられたバーカウンターからグラスを取り出すと、グロウはジェイの前に座った。テーブルの上のアイスペールから氷を放り込むと、同じくテーブルの上にあったジンをだばだばと注ぐ。そしてそのまま何で割ることもなくごくごくと飲み始めた。
「お前……そんな飲み方して二日酔いしないのか?」
テキーラの度数が三五度から五十五度の間、ジンも四十度から五十度前後くらいといわれているので、度数としては変わりはない。それを水のように飲むので、本当に一瓶いけてしまいそうなグロウに戦慄しながら、ジェイは問うた。それに、グロウは唇を舐めながら、首をかしげる。
「このくらいの度数だとしたことねえな。さすがに面白がった師匠にスピリタスの原液飲まされたときはやばかったけど」
「スピリタスって……」
スピリタスは度数九十五度から九十八度と言われている酒だ。もうここまで行くとほぼアルコールそのものだ。アルコール消毒液が七十度くらいのはずなので、その原液と言ったらもはや飲み物と言えない次元のモノである。
「ラヴェンダーはどうだった?」
呆れたがそれ以上の追求はせず、ジェイはグロウが送っていったはずのラヴェンダーについて聞いた。
「どう、とは?」
「孤児院の話、したからな」
「ああ……」
ジェイの言葉に、グロウはその赤銅色の眼差しを軽く落とした。あまり酒がうまい話ではないはずだが、グロウはそれ以上感情の揺らぎを見せることもなく、代わりに手にした杯を軽く煽った。
「元気だったぜ。お前に対して激オコだったけどな。一体何言ったんだ、お前?」
「つい本音がな……」
「本音?」
「色気が足りないって」
「そりゃしょうがねえ。あいつ、出るとこ出てきてるくせに全体的にガキくせえから」
ラヴェンダー本人が聞いたら激怒しそうなことを呟きつつ、タクシーの中でぷりぷりと怒っていたラヴェンダーを思い出したのか、グロウがシシ、と笑った。それに、ジェイも部屋を出る前のラヴェンダーのことを思い出して,小さく笑みをこぼす。
実は、グロウがかなり飲んでいたことと、見た目が明らかに真っ当ではないので、最初はジェイが送ろうかと提案していた。
だが、顔を真っ赤にしたラヴェンダーはそれを手ひどく拒絶した。変態女たらしに触られたくない、と言っていたが、明らかにジェイの『乳臭い』発言への意趣返しだろう。
さすがにからかいすぎたか、と思ったが、反省は全くしていないジェイである。また機会があったらからかってやろうとすら思っていた。
「でも、安心したぜ、俺は——変わってなくて」
笑いの衝動が引いたのか、ふと呟くようにグロウが言った。主語はなかったが、誰のことを言っているのかは分かっていたので、ジェイも深く頷いた。
「ヴェルフ家はすごい資産家だと聞いていたし、五年あれば人は十分変われるからな」
はっきり言ってスラムの孤児院育ちの二人は、この世の中の底辺だ。いいものを身につけ、いい生活に身を浸したラヴェンダーが、見下して軽蔑し、声をかけてくるなと二人を突き放すことも、容易にあり得た。
だが、彼女はそれをすることもなく、ただ、会いたかったと言って泣いてくれた。
それがジェイにもグロウにも大きな救いだった。名前も経歴も偽って生きてきた二人にとって、本当の自分を知る人間からの肯定は、なによりも代えがたい物だったのだ。
だけど——
「変わっちまったのは、俺たちの方、か……」
「……」
不意に呟かれたグロウの言葉に、ジェイは視線を落とした。グラスを握る自分の手を見る。
あっけらかんとしたところは変わらないグロウも、あの孤児院で最初に人を殺した後、戦場で多くの人を手にかけている。脅しとは言え、人を殺めることに抵抗がないような言葉を平気で言えるのも、それだけ彼の中の人としてあるべき倫理観が壊れてしまっている証拠だろう。
(そして、俺は——人をだますこと、陥れることに、抵抗がなくなった)
戸籍はないジェイの、ヨーロッパに渡ってからの生活はひどいものだった。なにも持てる物がなかった彼に残されたのは、人より優れた頭脳と容姿しかなく、だから、生き延びて力をつけるためにはその二つの武器をフル活用するしかなかった。
いい人の仮面を被って人に近づき、持てる人の富を奪い、情報を得るためなら、好きでもない女とでも平気で寝られる。そんな最低な行為に罪悪感すら、感じなくなった。
そんな自分を卑下するつもりも悲観するつもりもないが、それでも、それをラヴェンダーに知られたくはなかった、とは思う。
孤児院にいた頃、ラヴェンダーが自分に淡い憧れのような物を向けてくれていたことに、ジェイも気づいていた。
両親を亡くし、すさんでいたジェイにとって、幼い少女が向けてくれた純真でひたむきな思慕は、真冬のように凍えた心に差し込む太陽の日差しのようで、何にも代えがたい物だった。
だから、その彼女の想いこそ受ける気はなかったが、暗い復讐心や憎しみは、彼女の前でだけは出さないようにした。グロウのようにてらいなくは無理だったが、なるべく優しい兄であることを心がけた。
だが、この再会で——それも崩れた。
あの場は冗談めかして納めてくれたが、『オリバー』がジェイだったことに気づいたラヴェンダーが最初に向けたきたのは、明らかな軽蔑。
少女らしい潔癖さで、ジェイの中の薄汚れた部分を拒絶した。
(あれは、結構、”キた”な……)
お前は汚れた人間だと、突きつけられたようで。なくなったはずの良心のような物が、悲鳴を上げた気がした。
それから、正直、ジェイの中でラヴェンダーをどう扱うべきか、考えあぐねている。
これから、嫌でもラヴェンダーには、自分の汚い部分をさらけ出すことになるだろう。シューヴァンシュタイン家の財力を利用してやろうとしていることは、復讐に他ならないのだから。
それでもし、ラヴェンダーがジェイへの拒絶感を深めるのなら、それでもいい。それならそれまでと、おそらく自分はラヴェンダーと過ごした過去の方を切り捨てる。シューヴァンシュタイン家の二人との関係のように、ビジネスライクに接するまでだ。心を殺すことにももうなれた。
だけどもし、ラヴェンダーがジェイの演じた過去の”優しい兄”像を諦めきれなかったとしたら。
それはラヴェンダーにとって不幸でしかない。
おそらく自分は彼女の中の理想をすりつぶして、彼女を傷つけることしかできないのだから。
だからいっそのこととことん嫌われるよう仕向けてみようか、とも思った。幸い今自分の評価は最低なクズ男認定をもらっていて、そのまま幻滅し続けてくれれば、もっと嫌な部分を目にしたとしてもそれが傷になることもないだろう。
例えそれで自分の心がまた悲鳴を上げたとしても、そんなものはどうとでもなる。むしろ無様に残ってしまった柔らかい部分などすりつぶして、消して、冷酷な人間になるべきだ———そう、思ったのに。
ジェイは、無意識に膝の上で握りしめた左手を見下ろした。
シューヴァンシュタイン家の面々の前で感情を思わず吐露しそうになったジェイの拳を、白い手。
握りしめた拳に重ねられたあの手の温かさが——どうしても、消えない。
突き放そうとしていたのに、その温かさに無様にすがりそうになった。
(本当に俺は……——駄目だな、思考がループしている)
ジェイは自分の思考がとりとめとなくなってきていることに気づき、軽く頭を振るとブランデーをあおった。
自分で思っているより、酔いが回っているらしい。こういうときに真剣に考え事をしてもたいていいい結果にはならないのは経験で知っていたので、ジェイはそこで、それ以上ラヴェンダーの扱いについて考えるのは、やめることにした。
「考え事は終わったのか?」
思考の海に沈んだジェイに声をかけるでもなく、気配を消してただ無言で酒を飲んでいたグロウが声をかけてくる。普段とことん場の空気を読まずにやりたい放題なのに、要所要所ではきちんと抑えてくる。悔しいがこういうところが、ジェイがグロウといて心地いいと思えるところだった。
「ああ。すまない」
「別に俺は酒が飲みたいから戻ってきて、んで、飲んでただけだし、いいんだけどよ」
そう言いながら、いつの間にか空になったグラスに氷を入れてジンを注ぐ。ジェイと違って背の低いブランデー用のグラスではなく、カクテルなんかを作る用の背の高いグラスで飲んでいるのに、ハイペースなことである。
「お前は考えすぎなんだと思うぜ。何もかも」
相変わらず水のようにごくごくとジンを飲んでからグラスをローテーブルに置くと、グロウは頭の後ろで手を組んで笑った。
「人生所詮、なるようにしかならねえんだし、もうちっと成り行き任せで生きろって」
そう言ってグロウはジェイの肩に手を置こうと——したが、それはさっと避けられた。
「んだよ、つれねーな」
「酔ってるとお前、力の制御が完全に聞かなくなるだろうが。肩の骨の骨折なんて遠慮したいからな」
「そうか〜?」
ジェイの言葉に、グロウは信じられないのか自分の延ばした左手を見つめ、首をかしげている。通過するとき、ブオンと風音がするほどの勢いだったのに自覚がないとは、恐ろしい破壊兵器もあった物である。
「まあ、何に悩んでんだか知らねえけどよ。とりあえず今日はそのまま布団に入って寝ちまえよ。今日一日難しいことづくしだったんだし、これ以上の難しいことはもう明日でいいだろ」
そう言ってからぐっとグラスを煽り、残りのジンを飲み干したグロウは腰を上げた。
「俺もそろそろ眠くなってきたから部屋帰るわ」
「部屋番号覚えてるか? 鍵の開け方は?」
「……さすがに俺もそこまで馬鹿じゃねえよ」
ジェイの冗談めかした物言いに、グロウはむっと顔をしかめて唇をとがらせた。けれどすぐに、表情を緩める。
「じゃあ、いい夢見ろよ」
ひらひらと手を振ってグロウは入り口に向かった。
けれど何を思ったのかふっと、立ち止まると、「ああ、言い忘れてた」と呟いて振り返ってくる。
「ずっと言おうと思ってたけどよ、俺は、例えどんなお前でも、生きて再会できて嬉しかったと思ってるぜ」
「は?」
「んじゃな。おやすみ〜」
言いたいことは言い終わったのか、ジェイの疑問符には答えず、そのままグロウは手を振りながら出て行った。
後にはシンとした静寂だけが残される。
「……一体なんなんだ、あいつは」
取り残されたジェイは、あっけにとられたまま呟いた。
あの絶望的な状況で別れたのだ。ジェイとてグロウと生きて再会できて、嬉しくなかったわけがない。
だがそれをわざわざ今言った、その意味が分からない。
「……いや。もう今日は寝よう」
先ほどから思考がやくたいもなくなっていることを思い出し、ジェイはそれ以上考えることをやめた。彼自身もソファから立ち上がり、寝支度を整えるために洗面所に向かう。
ネクタイと黒シャツの袖を緩めて歩きながら、何故か不思議と気分が軽くなっているのを感じたジェイは、軽く舌打ちをした。
グロウはよく理解できない言動をし、それに振り回されて疲れることが多いが、それに同じくらい不思議と救われることも多い。
その理由を考えると非常に屈辱的な答えに行き着きそうだったので、今度こそ強制的に思考をシャットアウトするために熱いシャワーを浴びて寝ることにしたジェイだったのだった。
閲覧ありがとうございます。次回投稿は1月13日16時の予定です。




