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暇をもてあましたお嬢様は怪盗家業に勤しむ  作者: 冴月アキラ
第一章:守護者のマリア奪還作戦
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シューヴァンシュタイン公国の秘密のお茶会

ちょっと歴史的な内容や血なまぐさい表現があります。お気をつけください。

改訂)エリーゼの学年を修正しました(2021/2/12)

 中央ヨーロッパの、アルプスの山岳地帯の中にある小さな国、シューヴァンシュタイン公国。

 ヨーロッパ最後の専制君主国家と言われるこの公国には、アーデルハイド修道女学院という寄宿学校がある。


 始まりはオーストリア継承戦争の最中、戦乱に追われ、行く先をなくした子供達のために、家を捨てて修道女となった時の公女、アーデルハイドが設立した、孤児院と学習施設を兼ねた施設だ。


 しかし続く様々な戦乱や、革命の嵐の中、次第にその役割を、弱い立場の子供達に学と技術を授け、生活の基盤が作れるようにする、という自立のための目的から、参政権を得ることができず社会的に立場が低い女性達が、自立、自活できるための施設という、修道院としての本来の目的に立ち戻っていき、やがて職業に必要な知識、技術だけでなく、礼儀作法、帝王学と言った、貴族、ひいては経営者として必要とされる知識を教えるようになっていった。


 その結果、今では、ヨーロッパ中の名家の、十三歳から十八歳までの女子が集う、格式高いお嬢様学校となっている。

 

 そのアーデルハイド修道女学院の夕暮れに、鐘が鳴る。

 授業の開始や終了を知らせる7つの鐘を用いた和音の鐘ではなく、一つの鐘を鳴らすだけのシンプルな音。

 これは、女学院の中庭にある、学院の元となった修道院のもので、その音色は特別な意味を持つ。


 ≪黄昏のお茶会≫――この学院の生徒会の招集の合図である。


 また、鐘の回数によって、お茶会の種類は違う。一回なら日曜日、二回なら月曜日、といった形でそれぞれに対応した参集範囲があり、また名前も変わる。ちなみに実際の曜日とお茶会の名前に関係性はない。例え水曜日だろうと鐘が一つなら≪日曜日のお茶会≫なのだ。


 この日の鐘の回数六回。≪金曜日のお茶会≫だ。


 ≪金曜のお茶会≫に呼ばれてるのは、生徒会書記であるラヴェンダー=フォン=ヴェルフと、生徒会副会長兼会計のフェリス=フリーデリケ=フォン=オールデンブルグのみ。かなり特別な招集だった。


「ラヴェンダーさん、これから生徒会ですの?」

「フェリスお姉様、また部活にもお顔を出してくださいませ」


 教室を出て廊下を歩く二人に、すれ違う生徒たちが声をかけてくる。生徒会招集の鐘の合図は皆知っているのに加え、二人は特別な制服を着ているため、目立つからだ。


 一般生徒達は白いシャツに腰回りがきゅっと締まったジャンパースカートタイプの紺のワンピース、短い丈の同色のジャケット、学年ごとに色の違うリボンという質素な制服だが、二人はデザインは同じながらも、クリーム色のスカートとジャケットを纏い金色のリボンを襟元にしている。紺色の集団の中で一際目立つのだ。


 学年問わず声をかけられては返し、を繰り返しながら、二人は学院の中庭に向かった。そして、今はもはやその名を忘れられてしまった、学院の祖である小さな修道院の扉をくぐる。

 礼拝堂の祭壇脇の扉から続く住居エリアのさらに奥、燭台を動かして現れる秘密の階段をくだった先で、生徒会章に埋め込まれたIDと虹彩認証のセキュリティチェックが済むと、秘密のお茶会会場の扉が開いた。


 磨き上げられた木目の床に敷き詰められた毛足の長い絨毯と、彫刻の施された白い壁や棚、そしてロココ調の家具が設えられたその部屋が、≪黄昏のお茶会≫と呼ばれる、アーデルハイド修道女学院の頭脳とも言える生徒会の中でも、会長、副会長、書記のみが入ることを許された、≪金曜のお茶会≫のための特別な——トップシークレットの——部屋である。


「……はーーーーーーーーつっかれたぁ」


 自分の背後でしまっていく自動ドアの重い音を聞きながら、腹の底からの呟きを漏らすと、ラヴェンダーはその呟きにふさわしく肩を落とした。


「今日も一日、ですわのませませおほほほほ、って気取った話し方ばっかりして気が狂いそうだったわよ、もう」


 頭をかきむしりそうな勢いでわめくラヴェンダーの後頭部を、フェリスが軽く小突く。


「気持ちはわかるが、素に戻りすぎ」

「はあ? しゃべると男言葉でそうだからって、無口キャラで通してるフェリスには、生まれて十一年下町で育ったのに、気取ってお嬢様ぶらなきゃならない私の苦労なんてわからないわよ。一日一日がサバイバルなんだからね! 今に私の舌、噛みすぎてなくなっちゃうんだから」


 格式高い生徒会のブレーンとも言える面々とは到底思えないやかましさでぎゃいぎゃいさわぐ二人だったが、不意に耳を打ったクスクスと笑う柔らかな声に、思わず口をつぐんだ。


「……ああ、もういらしてたんですね」


 自分たちが最初だと思っていたラヴェンダーは、さすがに気まずく、たたずまいを直すと、軽くスカートを持ち上げて淑女の礼をする。

 合わせてフェリスも膝を折った。


「「ごきげんよう、エリーゼ様」」

「はい、ごきげんよう、二人とも」


 そう言って薄紅色のベロア生地に白い刺繍がされたソファで微笑むのは、エリーゼ=クリスティアーネ=アーデルハイド=フォン=ツー=シューヴァンシュタイン。

 このシューヴァンシュタイン公国の公女にして第一公爵位継承者、そして≪黄昏のお茶会≫の主催者である生徒会長だ。


「見苦しいところをお見せ致しました」

「いいのよ。ここでは素に戻っていいというのがラヴィの参加条件の一つなんだもの」


 背中の中程まである、緩やかにカールしたふわふわの明るい栗毛を揺らしてころころと笑うと、エリーゼは続ける。


「それに、わたくしにはそんな風に軽やかな会話はできないのですもの。元気なラヴィの姿を見ると心が温かく楽しくなるのですわ」

「そう言ってもらえると、嬉しいですけれど……」

「ほら、お座りになって。今日はダージリンのファーストフラッシュのいい物が手に入ったから持ってきたの。あとスイス製チョコレートを使ったチョコレートケーキもね。まずはお茶会をしましょう」


 どこまでも穏やかでのんびりとしたエリーゼの声音にやや毒気を抜かれたラヴェンダーと、エリーゼと幼馴染みですっかり彼女のペースになれているフェリスは、促されるまま向かいのソファに座る。

 エリーゼから向かって左の入り口近くがフェリス、右の奥側がラヴェンダー。

 これが三人の定位置だ。


「今日は政治学、経済学に加えて数学もあったから、エネルギー使い果たした脳みそにチョコレートは本当嬉しい~」


 スポンジケーキをぽってりとしたチョコレートが綺麗に包み込み、その上にチョコレートのバラが飾られたケーキを眺め、ラヴェンダーは両手を組んで祈りのポーズをする。ただし、祈る相手は天ではなく目の前のエリーゼだが。


「ほんっとう、≪金曜のお茶会≫の特権よねー。本当エリーゼ様様、いえ、エリーゼ様お抱えのシェフ込みで、シューヴァンシュタイン公爵家がもはや神」

「何を訳のわからないこと言ってるんだ――シェフとか関係なしでエリーゼ様は神に決まってる」

「え……知ってたけど、そこまでエリーゼ様好きすぎって、もはやきもくない? ストーカーの域行ってない? 大丈夫?」

「……あとで覚えてろよ。ラヴィが部屋に置いてる全てのDVDの中身とパッケージ入れ替えの刑に処してやるからな」

「それはやめてぇーーーーー。あれ、私のストレス限界突破になるんだから!」

「勝手に限界突破されて999万9999のダメージでも受けてればいいんだ」

「ふふふ。二人とも仲良しねえ」


 寮でも同室の高等部一年生の二人の掛け合いを、二年のエリーゼがほほえましく眺める。


 これがいつものお茶会の光景だった。


 学院の中でもトップクラスの外見と知性と学力と、そして何かの特化した能力がないと入ることのできない生徒会は全女子生徒たちの憧れなのだが、その秘密の花園でこんなに馬鹿らしい会話が繰り広げられているとは誰も思うまい。


 これもひとえに、この最高セキュリティに保護された≪金曜日のお茶会≫の会場ではお嬢様演技をしなくてもいい、という約束をしてくれたエリーゼと、自分と二人きりなら、と同様の秘密を共有してくれたフェリスのおかげである。

 

 そもそもラヴェンダーは、アメリカの西海岸にある孤児院という、底辺のさらに下、最底辺で育った子供だ。

 ≪リバティ=ヒル≫の先生も同じ施設の子供達もみんないい人達だったから楽しかったし幸せだったが、もちろん上流社会やそこでの立ち振る舞いなんて言うものは全く縁のないものだった。


 それなのに十一歳の時、本当の血縁が見つかったと、ラヴェンダーの父の弟、つまり叔父であるオスカーに引き取られ、ヴェルフ家の長女となってしまったのが運命の大転換、青天の霹靂、絶頂期からの大転落。


 その日からラヴェンダーの世界は百八十度ひっくり返ってしまった。


 英語はクイーンズイングリッシュをベースとした上流階級のものに直されただけでなく、ドイツ語、フランス語、ラテン語を詰め込まれ、テーブルマナーからパーティーでの立ち居振る舞い、そして社交ダンスをたたき込まれた。


 二十四時間行動は監視され、ヴェルフ家にふさわしくない言動をとれば、老齢の家庭教師から厳しい叱責が飛ぶ。

 自由奔放に育ったラヴェンダーからしてみればまさに地獄の日々だった。


 そうして二年のスパルタ生活の後、仕上げとしてこの寄宿舎に放り込まれたときは、この地獄があと六年も続くのかと正直人生に絶望した。

 

 けれども、天の素敵な采配によって同室になったフェリスは、男兄弟の中で育ち、剣術や乗馬、格闘技を趣味とするうちにすっかり男言葉になってしまったという、同じ『異端児枠』のお嬢様で、しかも意気投合したラヴェンダーをこの生徒会に誘ってくれた。


 その時中学二年にしてすでに生徒会長を務めていたエリーゼは、もともとフェリスの異端児振りを知っていた。そのため彼女に素に戻れる時間を与えるためにフェリスを生徒会に誘っていたのだが、ラヴェンダーのことも快く受け入れてくれたのだ。


 おかげで、ラヴェンダーは堅苦しい学院での生活と素の自分とのバランスをうまく保ち、生活できているのである。


 さらに言えば、≪金曜のお茶会≫には、もう一つとっておきの、そしてラヴェンダーが一番心躍る、秘密の顔がある。


「――では、そろそろ、主題に入りましょうか」


 ケーキを一切れ食べ終え、二杯目の紅茶が配られた頃、にっこりと微笑んでエリーゼが言う。


「怪盗シュヴァルツ=カッツェの次の目標のお話よ」


 両手の平を顔の横で合わせ、小さく小首をかしげて言うエリーゼに、ラヴェンダーは、やった、と両の拳を握ってガッツポーズをする。


「待ってました! 早く動きたくてうずうずしてたんだから。前回の後、テスト期間もあって座り通しだったし」

「今端末立ち上げます」

 

 一方フェリスは、座っているソファの肘掛けをスライドさせ、その下に納められているキーボードを引っ張り出す。

 そしてそのキーボードから、接続するスーパーコンピューターのスリープモードを解除すると、コード入力の後、ディスプレイ起動プログラムも立ち上げる。

 するとラヴェンダーが座っている側の壁、つまり部屋の最奥の壁が二つに割れ、その奥から壁一面の巨大なディスプレイが現れる。


 白い石造りの美しいロココ調のこの部屋は、一皮むけば最新鋭かつ世界最高峰のITシステムの塊なのである。


 実を言うと、このITシステムはシューヴァンシュタイン公国の主要産業の一つだったりする。


 山間の中の小さな都市国家であるシューヴァンシュタイン公国は、大用地を必要とする第一次、第二次産業の類いはどうしても延ばすことができない。

 そのため、二度の大戦と大恐慌で国力をすり減らしていた第二次世界大戦後、早い段階からITシステムや半導体、金融、情報サービスなど、第三次産業に目をつけ、そこに投資を特化して国力を蓄えてきた。


 軍事と警察は未だ隣国のスイス頼りだが、その代わりITの分野では大国アメリカにも引けをとらないIT超大国――それがシューヴァンシュタイン公国なのだ。


 ラヴェンダーはその分野にあまり詳しくはないのだが、シューヴァンシュタイン公国の中枢に関わる場所――例えば、大公が暮らす王城のセキュリティや大公のプライベートルーム――にハッキングをかけるとするなら、世界有数のハッカー百人を集め、最高峰のスーパーコンピューター十台以上集めてアタックしても到底無理というのが、ハッカーの世界でも有名なのだとか。

 

 この女学院の経営はすでに元首たる大公家に移行されて久しいが、母体がそのIT超大国なのだ。

 学院の秘密中の秘密であるこの部屋にも、もちろん王城と同等かそれ以上のセキュリティが張り巡らされている。


 それはひとえに,これから行われる密談の計画推進のためである。


「本題の前に、まずお礼ね。ラヴィのおかげで、シューヴァンシュタイン家が大戦中に失った美術品は大分回収できたわ。関係ない美術品も、正しい持ち主に返したり、売った代金を寄付することで、たくさんの慈善活動に役立てることができました。本当にありがとう」


 それまでのふんわりとした雰囲気から一転、きり、と表情を厳しくしてエリーゼが言う。


「そして次がようやく、大本命の≪守護者のマリア≫よ」


 告げて、エリーゼが視線を当てると、フェリスは心得たようにスクリーンに画像を映し出す。


「ラヴィが前回盗んでくれた、≪モニカ公女の肖像≫にその画像があったわ」

 

 エリーゼの言葉に導かれるようにラヴェンダーがスクリーンを眺めると、部屋でくつろぐ女性の肖像画の一部が拡大され、調度品の中に混ざっておかれている、陶器でできたとおぼしきマリア像が表示される。


「これが今回のターゲットですか」

「そうよ」

「どう、ラヴィ? 今までの苦労の末に辿りついた≪守護者のマリア≫とご対面した感想は?」

 

 フェリスが、少し冗談めかして問うてくる。それに、ラヴェンダーは肩をすくめて答えた。


「対面って言っても、絵画の中の小さな絵を拡大しただけじゃない。あまり実感ないわね」

「でも、この小さな画像一枚探すために、黒猫としてあっちこっち飛び回ってたんだから、少しは喜びなよ」

「その喜びは、実際にこのお宝と対面したときにとっておくことにするわ」


 ラヴェンダーの答えに、エリーゼは小さく笑みをこぼした後、説明を続けた。


「解析班の分析によると、大きさは四十センチ程度、重さは2キロから2.5キロ程度になるそうよ」

「3キロ弱か……」


 少し重いな――そんなことを思いながらまじまじと、柔らかな色彩で塗られているマリア像を見つめる。

 そしてふっと、ラヴェンダーは違和感に気づいた。


「普通マリア像だと、両手を広げたものか、両手を合わせて祈っているもの、あるいはイエス様を抱いているものが多いはずですけど、この像はユリの花を片手に抱いてるんですね。でも……なんか……」

「違和感がある?」

「はい……なんですけど……」


 そこまで呟いて、ラヴェンダーは言葉に詰まってしまう。

 演技の勉強のために動画の類いはたくさん見たが、静止画や彫刻の類いはあまり得意ではない。

 話しているうちに何に違和感を抱いたのかわからなくなってしまった。


「……この≪守護者のマリア≫像は、ただのマリア像ではないという話だから、違和感があるのはそのせいだと思うわ」


 エリーゼの言葉に、本当にそれだけだろうか、と首をかしげてみるが、やっぱりわからない。


「ちなみに、その『ただのマリア像じゃない』理由は、やっぱり……」

「今は秘密」


 唇に人差し指を当て、エリーゼはふふふ、と笑う。

 それに、ラヴェンダーは大きく肩を落とし、脱力した。


「はいはい、いつもの『秘密』ですね」


 そんな彼女の言葉に、残りの二人は小さく笑った。


 ――ラヴェンダーは≪金曜のお茶会≫のメンバーになり、窃盗の実行者として現場で美術品をかっさらう一番大事な役割を担っているが、実はあまり知らされていないことが多かったりする。


 ≪守護者のマリア≫を大本命、というように、この活動のスタートは、御年九十歳を超えた、現シューヴァンシュタイン家当主にして女大公アーデルハイドが、後継者として孫のエリーゼを指名した際難色を示した議会が、承認する代わりに戴冠式までに、第二次世界大戦中に失われた≪守護者のマリア≫を取り戻すこと、という条件を提示したことを端に発する。


 だが、それならば国としてその美術品を探し、持ち主と交渉して買い取ればいいだけのことなのだ。

 

 前述のようにITと金融サービスでひとかどの地位を築くこの国は、世界トップレベルの富豪国なのである。もちろん、その元首たるシューヴァンシュタイン家の財産は天文学的な額だ、いくらふっかけられようとも払えないわけがない。


 それなのに何故、美術品を買い戻すのではなく『盗む』のか。

 

 また、小さな公国の話とは言え、グローバル規模でニュースにもなったこの継承権にまつわる問題を知りつつ、どうしてこれから説明されるだろう≪守護者のマリア≫の持ち主は、シューヴァンシュタイン家に連絡を取ろうとしないのか。


 疑問は多くある。


 けれどそれら活動の根幹に関わることを聞こうとすると、エリーゼは決まってにっこり笑い、


『今は秘密』


 と唇に人差し指を添えて答えてくる。


 となれば、ラヴェンダーも馬鹿ではないので、それらは聞かない方がいい、あるいは知らない方がラヴェンダー自身の身のためとなる類いの危険な情報だと察することはできる。

 おそらく、怪盗シュヴァルツ=カッツェとして活動するより、はるかにやばい『秘密』がバックグラウンドにあるのだということも。


 運動したい、外に出たい、演技がしたい、駆け回りたい――という、ある種ストレス発散のために参加しているこの活動だが、さすがにそのためだけにそこまでやばい山には足を突っ込みたくはない。

 なので、ラヴェンダーは『秘密』がでてきたときにはそれ以上突っ込まないことにしている。

 まあ、怪盗活動だけでも、十分やばい橋なのだろうけれども。


「まず、≪守護者のマリア≫そのもののおさらいをしておきますわね。これは、それまで爵位はあれども領土を持つことができなかったシューヴァンシュタイン家が、カール六世の崩御直前に大公位を授かって公国として国を開くことができた際に、まだ帝位に就く前のマリア=テレジア様から送られた記念品。当然国宝とも言える大事なもの。だけどこれも、大戦中に失われてしまったわ」

 

 エリーゼの説明に合わせ、女帝マリア=テレジアの姿が映し出される。


 自身の帝位継承に際して起こったオーストリア継承戦争では、生まれたばかりの息子を抱いてハンガリー議会に乗り込み、心情的に対立していたハンガリーを味方に引き込み、スペイン、フランス、プロイセンなどの列強に屈しなかったばかりか、その後はそれまで対立していたフランス、ロシアとペチコート作戦にて外交革命も起こした女傑である。


 世間的には、かのマリー=アントワネットの母、としてのイメージが強いかもしれないが、男性社会の大逆風中にあって決して屈しなかった、世界で最も偉大な女性君主の一人である。


「なるほど……だから、エリーゼ様の公爵位継承に必要という話になったと」


 エリーゼの説明に、顎に軽く拳を添えながら、ラヴェンダーが呟くと、エリーゼは大きく頷いた。


「その通りですわ。おばあさまは戦時中の、それも≪血の月曜日≫の直後だったから、なし崩し的に継承も承認されたのだけれど……」


 エリーゼはやや憂鬱そうに告げる。≪血の月曜日≫とは、1941年の7月、バルバロッサ作戦から始まった独ソ戦の影で起こったシューヴァンシュタイン家にとって最悪の悲劇のことだ。


 かねてよりシューヴァンシュタイン家の美術品に目をつけていたヒトラーは、日付が変わり月曜日となったばかりの深夜、国境を越え、中立のはずのシューヴァンシュタイン公国に攻め込んできた。元から国防をスイスに委ねていたシューヴァンシュタイン公国自身にそれに対抗できるはずもなく、ドイツとの国境に近いシューヴァンシュタイン城はあっという間に陥落。その地下に所蔵してあった美術品だけでなく、抵抗した当時の大公、その奥方、子供達、従業員にいたるまで、惨殺された。

 

 スイス軍が駆けつけたときにはすでにドイツ軍は撤退した後で、真っ赤な血に染まったシューヴァンシュタイン城の惨状に、誰もが言葉を失ったという。


 当時の大公家で唯一生き残ったのは、四女で、当時学院の寄宿舎にいたアーデルハイド、つまりエリーゼの祖母のみだった。

 そのため、戦争の混乱を乗り切る指導者を必要としたシューヴァンシュタイン公国は、例え≪守護者のマリア≫がなかろうとも、その歳がたった十四歳だろうとも、彼女に爵位を継いでもらうほかなかったのである。


 また、そうしてアーデルハイドが守ったシューヴァンシュタイン公国だったが、その後にまた、跡取りをなくす痛ましい事故を体験している。継承権第一位を持つアーデルハイドの息子夫婦、つまりエリーゼの両親は、まだ幼かったエリーゼを残して出かけた外交行事のため、スイスのチューリッヒ空港から飛び立った飛行機が墜落し、帰らぬ人となったのだ。


 これらの悲劇が、怪盗シュヴァルツ=カッツェの活動の全ての根幹にある。

 

 継承問題も美術品の散逸も、全ては≪血の月曜日≫から始まったのである。


「……おばあさまの治世は八十年近くになろうというのに、未だに男系継承にこだわる老が……古風奥ゆかしい方々が議会には多いのには本当に困ったものですわ」


 物憂げな表情のまま、エリーゼは片方に手を当てて、ふう、と溜息をついてみせる。

 そんな彼女に笑顔を向けたまま、ラヴェンダーはひっそりとフェリスに囁いた。


「……いま、エリーゼ様、老害って言おうとしてなかった?」

「ラヴィ、しっ」


 思わず突っ込んでしまうラヴェンダーに、フェリスが小さく注意を入れる。

 こういう明らかにわざとな言い間違いが結構多いエリーゼは、なかなかの腹黒だとラヴェンダーは思っていたりする。


「同様に男系継承にこだわっていたハプスブルグ家で帝位を継いだマリア=テレジア様から、それも公爵家の叙爵の際に贈られた品。そのため、≪守護者のマリア≫自体は、歴代の公爵の継承式の際には必ず儀式の場にあった。初めて平時に女性が継承するからこそ、国の安寧のためにその場にあってしかるべき。これが議会の――といえば聞こえがいいけれど、まあ分家のじじ……当主達の主張ということですわね」

「はあ……この二十一世紀に入って二十年近く経とうというご時世に、未だに女が国を継ぐと縁起が悪いとか、そういうこといってるバァカどもがいるんですねえ」

「ラヴィ、それは違う……いや、バカなのは正しいんだが」


 さすがに二度目の失言には突っ込まず、その代わりにぼやくように呟かれたラヴェンダーの言葉に、それまで黙々と端末を操作していたフェリスが口を挟む。


「分家の筆頭、ヴァルデック子爵家はエリーゼ様のお父上の妹君、つまり叔母上が降嫁してる。現ヴァルディック家当主の奥様がその人だ。で、息子が二人いて、彼らの継承権はエリーゼ様に継いで第二位と第三位。順位で言えばエリーゼ様の方が高いが、けれどシューヴァンシュタイン家には男系継承という原則がある」


 そこまでの説明を受ければ、さすがにラヴェンダーにも察しがついた。


「……つまり、手っ取り早く言っちゃうと、すっごい昔になくなった美術品見つけてこいなんて言う無理難題押しつけて、自分の子供達に公爵位を継がせろ、ってのが、本当の目的ってこと?」

「そういうこと」


 深く頷いて見せたフェリスに、ラヴェンダーはうえ、と舌を出して、心底嫌そうな声を出す。


「……すっごい泥沼ぁ。でもやっぱり言っちゃう。今二十一世紀なのに……バァカなの?」

「それが、貴族社会のしがらみ、というものなんだよ」


 女性進出が進むアメリカで育ったラヴェンダーのあけすけのない物言いに苦笑しながら、フェリスが締めくくった。


 ちなみに、フェリスの実家であるオールデンブルグ家も、シューヴァンシュタイン家から分派した分家の一つで、立場は子爵と同じだが、元々騎士であったシューヴァンシュタイン家の武芸分野から分岐し、武術に特化した一族だ。


 そのため本家のシューヴァンシュタイン家とのつながりは強く、代々当主の身辺警護を担当している一族でもある。フェリスが女の子であるにもかかわらず、幼い頃から兄たちと同じレベルで武芸を仕込まれてきたのもそのためだったりする。


 エリーゼが生まれてから今まで、継承権に関しては何度も問題になってきてはいたが、それでもエリーゼが公爵位を継いだ時に備えて、近衛隊隊長として警備を指揮できる女子の教育が必要だったからである。


 つまり、オールデンブルグ家は、エリーゼの継承権をサポートする側……つまり公爵派である。


「……話を戻して、ついでだからここからの説明は私が引く継ぐな」


 そう告げて、フェリスは画面を切り替える。代わりに映し出されたのは、大西洋のマップだった。

 北アメリカ大陸にほど近い大西洋に赤いピンが立っている。


「≪守護者のマリア≫は大戦後、アメリカに渡っていたらしい。戦後の混乱期に船で新大陸へ移動しようとした船が沈んだのか、それとも空路で運ばれていたものが墜落したのか……そのあたりは定かではないんだが、三ヶ月ほど前に油田開発のために大西洋の海底調査をしていたゴールディン社が、戦時中の船や飛行機の残骸が沈んでいるの発見。サルベージしたところ、大戦中様々なところで盗品として散逸していた数々の美術品が引き上げられて、その中に≪守護者のマリア≫があった、ということらしい」


 続いて表示されたのは、ゴールディン社のマークと企業情報だった。


「ゴールディン社か……名前は、アメリカいるとき聞いたことある。確か製薬部門もあったよね」

「一般市民にはそっちの方が親しみやすいかもね。でもメイン事業は油田と、石油加工で作られたプラスチック系産業部品の方だ」


 いいながら、フェリスはゴールディン社の持ついくつかの油田の映像を表示してくれる。


「化学薬品の開発から、一般的な製薬にも手を出して、そっちも当たってきてるってのが正しいところだね」

「ふうん、そうなんだ。知らなかった」


 フェリスが表示してくれる情報を眺めながら、ラヴェンダーは素直に感嘆し、頷く。

 そんな彼女の反応を確認した後、フェリスは続けた。


「その情報を拾ってから、画像を入手はしていたんだが、いかんせん、こちら側でそれが≪守護者のマリア≫だと言える、証拠がなかった。だからおばあさま……アーデルハイド女大公の記憶を頼りに、ここ最近は散逸した美術品の中でも≪守護者のマリア≫像が描かれていそうな絵画を中心に、ラヴィには集めてもらっていた、というわけ。正直、間に合って良かったよ」


 ぼやくように言うフェリスに、ラヴェンダーは小さく笑った。

 おそらく幼い頃幼馴染みのエリーゼと一緒に可愛がってもらっていたのだろうフェリスが、思わず素にもどって、「おばあさま」とアーデルハイド女大公を呼ぶのを聞いたからである。

 なんだかんだ言ってこういうところが、この友人は可愛らしくてたまらない。


「事情に関しては、ばっちり理解しました!」


 これが説明の区切りらしいと判断したラヴェンダーは、軽くとんっと胸と叩いて声を上げると、それで、と言ってエリーゼを振り返る。


「――そのゴールディン社が、今回の潜入ターゲット先、と言う理解であってますか?」

「ええ。今回ラヴィには、このゴールディン社の社員の一人として、創業記念式典にでてもらいます。その式典が今回の舞台になりますわ」

「オッケ!」


 エリーゼの言葉に、ラヴェンダーは両手の拳をぎゅっと握りしめ、立ち上がる。


「どんな難しい役柄だろうと、この大女優ラヴェンダー=フォン=ヴェルフが演じきってみせるし、どんな厳しい舞台でも、怪盗シュヴァルツ=カッツェが華麗に盗み出して魅せるわ」


 そして、びしっと一指し指を立てると、二人に向かって胸を張る。


「今回も大船に乗ったつもりで、どんっと任せてくださいな!」


 高らかに言ったラヴェンダーに、エリーゼは楽しそうにぱちぱちと両手を叩き、フェリスは呆れたように溜息をついてみせた。


 何はともあれ。神出鬼没の怪盗シュヴァルツ=カッツェの出動である。



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