音を立てて崩壊する初恋
ラヴェンダーが泣き止むと、アレクが用意してあった女性もののスウェットを差し出してきた。
「あの……言いづらいんですけど、非常に言いづらいんですけど……」
そう前置きを置きつつ、アレクはそっと視線をそらして続けた。
「そのドレス、べっしょべしょだったので、着替えられた方がいいです」
「べしょべしょ?」
アレクの言葉に、ラヴェンダーは首をかしげ、自分を見下ろした。着ていたのは潜入のために着ていた黒のパーティードレスのままだった。でも何故だろう、絹で作られた滑らかな手触りのはずのそれはごわごわになっており、それに包まれているラヴェンダーの白い肌には何か赤いモノを拭ったような跡が残っていた。
そこまで視線を巡らせ、ようやく気を失い前に見た光景を思い出す。そして、額を抑えた。
(ああ、そうね……私、思いっきり——浴びたわ……)
決して浴びたくない赤い色のシャワーを、だ。
しかも、意識したら全身鉄の匂いで臭い。
ラヴェンダーは肩をがっくり落としつつ、アレクの好意を受け取ることにした。
「お言葉に甘えさせていただきます……」
「こちらこそ、男しかいなかったんで意識ない間に着替えさせて上げられなくてすいません」
そう言って頭をぺこぺこと下げてくる姿を、日本人だなあ、なんて思いながらラヴェンダーは両手で差し出されたスウェットを、やはり両手で受け取ってしまった。
と、いうことで一旦二人に出て行ってもらって着替えたラヴェンダーだが、その迎えの時には何故か人数が一人増え、三人になっていた。
「ちょっと待て、俺は――っ」
「うだうだ言ってないで、おら、お前も感動の再会しておけ」
そう言って、グロウに首根っこ捕まれて引きずられてきた男がいたからである。
決してそのつれられた男の方も貧相な質はなく、むしろ身長、体格共に恵まれている方なのだが、それを捕まえる方が規格外の馬鹿力の持ち主である。
まるで猫を放り出すようにぺいっと部屋の真ん中に投げ出されてしまう。
見覚えがありすぎる、淡い金色の髪。その下から覗く、どこか冷たさも感じる氷翡翠の瞳。
ジェイ――グロウと同じ、孤児院で育った兄貴分にして初恋の青年がそこにいた。
「………」
「………」
グロウのおかげで非常に雑な感じになったその再会は、グロウの時のような感動はみじんもなく、代わりに重い沈黙が横たわる。
目をすがめ、睨み据えているに近い女と。
その視線の圧力に耐えられなくなって顔をそらす男と。
残念かなそこに、甘く素敵なラブロマンスの気配は全くなく、紛れもない修羅場の様相を呈していた。
「――グロウ、ちょっとこっち来て」
顔をそらしたままなにも行動を起こさない青年に、焦れたのはラヴェンダーの方だった。じっとジェイを睨んだままグロウ呼び、手招きする。
「なんだ?」
なんでこいつら一言も会話しないんだろう、と不思議そうにしていたグロウは、何故か自分が呼ばれたことでますます怪訝そうに首をかしげながらも、ラヴェンダーの元にやってくる。
こっち、ここに立って、とグロウをジェイとの間に立たせると、そうしてできた厳つい肉壁、もとい腰にしがみつき、びしっとジェイを指さす。
「――あの変態女ったらしを殴って」
「はあ?」
「あれは、女なら誰でも、ちょっと色仕掛けしたら言う通りになると思ってる、どクズよ。ここで矯正しておくべきだわ」
きりっと言うラヴェンダーの言葉に、グロウとアレクから非難の眼差しが、金色の髪の青年に集中する。
「お前……またかよ」
「手っ取り早いのわかりますけど、どうかと思いますよ」
「それで前、刺されそうになったのに、まだ懲りねえのかよ」
「取りなすこっちの身にもなって欲しいもんです」
「――――っああっもう、うるせえ!」
降り注ぐ二人からの非難に、ジェイが堪えきれず声を上げた。
「ゴールディン社の研究部門の人間! アラサー! 恋愛経験ないっぽい女! ――色仕掛け選ぶだろうが、普通!」
「……ジェイ……」
やけくそとは言え、自らドクズ宣言した男に、ラヴェンダーは半眼ジト目を向けた。
初恋が、がらがらと崩れ去っていく音がする。
「――その考え方に至る時点で、クズなのよ」
「うっ」
ラヴェンダーの容赦ない一言に胸を押さえるジェイに、アレクとグロウが追撃する。
「ラヴェンダーさんに心の底から賛同します、俺」
「俺も女苦手だけど、それが普通とは思わねえわ」
「ぐっ」
「……もう一人の兄との喜びの再会だってのに、その兄がこんなクズだったなんて、知りたくなかったわぁ……」
口元に手をやり、わざとらしくよよよ、とラヴェンダーが泣き崩れるまねをすると、グロウはその脇にかがみ込んで肩にそっと手を添え、アレクも深く深く何度も頷きながら同意してくれた。
「それは、心から同情しますよ。ラヴェンダーさん」
「ああ、俺も」
猫、いります? ――と、アレクが足下でちょろちょろしていた灰色の毛玉を取り上げて差し出してくれるので、ありがたく受け取ることにした。
ふかふかもふもふ。可愛い。毛玉は正義。
どっかの腐れ外道みたいに顔だけしかいいところがないのとは大違いだ。
そんな空気に耐えられなかったのだろう。ジェイが再び大きな声を上げた。
「――ああ、ああ、ああ、ああ、悪かった! 俺が悪かったですよ! どうせそんな作戦しか浮かばないクズですよ! これでいいか?」
「「…………」」
「サイテー」
やけくそのジェイの、謝罪とほとんど言えないような謝罪に、ラヴェンダーは一層温度の下がった眼差しととどめの一撃を投げる。そしてグロウが拳をバキバキと鳴らしながら身体を起こした。
「……やっぱ、一発殴っとくか」
「待て。お前の一発はマジでしゃれにならん」
「だってよー。可愛いラヴィのたっての願いだしよー、しゃーねーよなあ?」
ラヴィ、と呼ばれて、ラヴェンダーの腕の中の猫がきゅん、と鳴く。
お前じゃない、というツッコミは空気を読んで入れなかったが、一体誰がどうしてこの名前をこの子猫につけたのか、後できっちり追求してやる、と心に誓うラヴェンダーだった。
「良くない! ぜんっぜん良くないぞ。お前に殴られると三日は寝込む羽目になるんだ」
「物理的に三日寝込むくらいどうってことないと思うわ。ジェイと関わって心に傷を負った世の中の女性達のことを考えたら」
「だよなー」
「手当は任せてください! ジェイさん!」
「そんなことを任されるな!」
「折角だし、その無駄にいい顔も矯正しておいてやるよ」
「鼻の形変わると結構印象変わるからオススメ」
「いらないアドバイスするな、アレク!」
「大丈夫だ。鼻だけじゃなくて頬の形も変えておく」
「待て待て待て待て! ――俺はまだ死にたくない!」
じりじりと距離を詰めてくるグロウに、とうとう壁際に追い詰められたジェイは、両手を挙げて抵抗しながら首を振る。
そうして、助けを求めるようにその淡いグリーンの瞳がこちらを見てくるので、ラヴェンダーは溜息をついて、グロウの名前を呼んだ。
「……待って、グロウ。やっぱりいい」
ラヴェンダーが言うと、不思議そうにグロウと、アレクがこちらを向いてくる。
「いいのか? ここで何発か入れておいた方がいいんじゃないか?」
「そうですよ。フェミニストに見せかけたただの女たらしはここで制裁されておいた方がいいんですよ」
友達、といっていたはずなのに、何とも過激な発言の男達である。
「その代わり手を貸して……やっぱり、私自身で殴らないと気が済まないから」
ラヴェンダーの言葉に、なるほど、と納得したグロウは、ひょいっとその腰を抱き、麻袋でも脇に抱えるような運び方でジェイの前まで連れて行ってくれる。
その運び方、どうなの、と思うが文句は言わないでおく。
腕の中の毛玉を一旦アレクに返すと、ラヴェンダーはにっこりと微笑んだ。
「私からの報復を受けるくらいの甲斐性はあるわよね?」
「……はい」
「じゃあ、歯を食いしばりなさい」
そう言って手を振りかぶると、左頬に一発、返す手で右方に一発、びんたを入れてやった。
「……これでいいわ」
「ってぇ……二発は多すぎ……」
「なんですって? ――私のファー……」
「ああああああ。悪かった。俺が悪かった!」
ファーストキス、と言おうとしたラヴェンダーを遮るようにしてジェイが声を上げる。
さすがに、何をしたのか、二人に知られたくはないらしい。
「わかればよろしい」
そう言って胸を張ると、ラヴェンダーはグロウを見上げた。
「……ごめん。私もう限界~」
威勢良くびんたしたものの、足の痛みで立っていられなくなったラヴェンダーを、グロウはひょいっと抱き上げてくれる。
さすがに今度は横抱きのお姫様だっこだ。
「制裁も終わったことですし、とりあえず、場所移しましょうか」
それまで一連の様子を温かく見守っていたアレクが、にっこり微笑んで提案する。
それに否を唱える人間は誰もおらず、皆で仲良くリビングに移動したのだった。
憧れてた人がクズになっててショックなラヴェンダーさんですが、再会できたことも嬉しいので複雑なのです。
そして、孤児院時代のラヴェンダーと会ったことがないはずのアレク君がここまでテンポ良くやり込められるのは、日本人的空気読む能力が突出してる上に、なかなか扱いづらい性格のジェイとグロウの潤滑剤的な立ち位置ができるコミュ力お化けだからです。
次話投稿は1月6日になります。




