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暇をもてあましたお嬢様は怪盗家業に勤しむ  作者: 冴月アキラ
第三章:シューヴァンシュタイン家の秘密
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灰色の襲撃者

     1 


 幼い頃の憧れのその人には、特別な趣味があった。


『ねえねえ! またお笛吹いて』


 子供達の誰かが言って、そして彼が本当に気が向いたときにだけ吹いてくれるフルート。優しくて繊細な音色のそのフルートが奏でる音楽を聴く時間は、ラヴェンダーにとって、女優としての目標を持って見る映画やドラマと同じくらい大事なものだった。


 火事で家を焼かれた時、たまたま手にしていたおかげで持ち出すことができたのだというその楽器箱には、焦げ跡がついていた。彼はいつもそれを、悲しそうに目を細めて撫でた後、蓋を開ける。銀色のパーツを組み立てると、少しの調整の後曲を奏で始める。


 選曲は日によって様々だった。子供達が夢中のアニメの主題歌だったり、楽器箱の中のクラシックの楽譜だったり、あるいは彼がその時適当に思いついた旋律を適当に吹いたりする日もあった。


 楽器というものは学校で触った簡単なものしか知らなかったラヴェンダーには、銀色でぴかぴかしているフルートの質感も、子供の自分がしたことがない不思議な動きで流れるように動く彼の指も、何もかもが素敵で、自分も吹いてみたい、と興味を持つには十分だった。


 だからある時、そう、おそらくラヴェンダーが孤児院を出る前くらいだったから、十歳くらいの頃だと思う。いつも高いところに置いてあって、小さい子供達の手の届かない場所に置かれていた彼のフルートに、にょきにょき伸び始めた自身の身長のおかげで、手を伸ばせば届きそう、と思ったとき、つい我慢できずに手を伸ばしてしまったことがある。


 いけないとわかっていたが、あらがいきれない魔力のようなもので引き寄せられ、本棚の上の楽器箱をそっと下ろした。そうして彼がいつも使っている勉強机の上に置いてそれを開いたときの高揚感は、今でもはっきり覚えている。


 アタッシュケースの留め金を外す音、ゆっくりと開いた蓋の下から現れて、西日を反射してきらきらと輝いたフルートの銀色、蓋の内側に納められていた、たくさんの書き込みのあった楽譜達。

 はあ、と言葉にならない感動に、深い溜息をついてしまった。


 さあ、吹いてみよう、とフルートのパーツを手に取ってみた、そんな時だったと思う――運悪くその持ち主が帰ってきたのは。


 廊下から聞こえた声に慌てて、とっさに隠さなければ、と思ったものの、ラヴェンダーの両手にはフルートのパーツがあって。

 どうしよう、と振り返ったとき、机の端に置いてあった楽器ケースに思い切り肘が当たった。


 がたん! と大きな音がして床に楽器ケースが落ち、それを聞いて彼が部屋に駆け込んできた。


『どうした!?』

 

 飛び込んできたその人に、悪いことが見つかったばつの悪さと、もしかして壊してしまったのではないかという恐れと、散らばった箱の中身を片付けなければ、と言う思いと――言ってみれば大混乱の中、彼の氷翡翠(アイス・ジェイド)の瞳と目が合った時、情けなくも泣き出してしまった。


 彼からしてみれば、学校から帰ってきたら部屋にラヴェンダーがいて、勝手に彼の楽器箱を開けて、フルートを手に泣いている、なんていうシチュエーションの方が大混乱だったろうが、とりあえずラヴェンダーを慰めるのを最優先にしたらしかった。


『ごべんなざいー』


 両手のフルートを差し出して泣くラヴェンダーからそれを受け取ると、大丈夫だから、とラヴェンダーの頭を撫でてくれた。


『お前が持っててくれたからフルートは無事だ。だから泣くな』


 そう言って慰めてくれたが、もちろん泣き止んだ後はきっちり説教もされた。触ってみたいなら彼がいるときに彼自身に頼むこと、いない時には絶対に触らないこと、危ないから高いところの物を撮るときは台を使うこと――そんないくつかの約束をさせられた。


 また、責任を持ってちらばしたものを片付けるように、と言われ、床に散乱した楽譜や、外れたフルートを固定するため、楽器の形にくりぬかれた板に布を巻いた中敷きなどをかき集め、彼に渡した。


 ――そう、その時だったと思う。


 ラヴェンダーが楽器箱の中にあるそれを発見したのは。


 彼女がケースを覗き込んだとき、フルートを固定するための中敷きとはまた別のもう一つの中敷きもずれていたらしく、彼がそれを直そうとしていた。


『それ、なあに?』


 ラヴェンダーが聞くと、彼は小さく苦笑して、唇に人差し指を当てた。

 内緒、のジェスチャーだ。


『これは――そう、このフルートで奏でる演奏が素晴らしい物になるようにって、見守ってくれてるんだ』

『そうなの?』

『でも、他の人に知られちゃうと効果がなくなってしまうから、内緒、な』

『うん。わかった!』

 

 特別な人との二人だけの秘密、というのが嬉しくて、ラヴェンダーは大きく首を縦に振った。


『よし……じゃあ、片付けたら、吹いてみるか』


 そう言いながら中敷きを直すと、代わりにラヴェンダーが拾った楽譜を広げ、彼が言った。

 

『うん!』


 まさか本当に吹かせてもらえるとは思わず、ラヴェンダーはわくわくしながら頷いた。

 その時にはもう、箱の中の”それ”のことは頭から離れてしまっていたのだった。



     ★ ☆ ★ ☆

 


 かち、かち、と時計の針が刻む音にラヴェンダーはまぶたを震わせた。

 

(ずいぶん懐かしい夢を見たわ……)


 最近、よく昔の夢を見る。


 どうしてだろう――そう思い、まるでフラッシュバックのように直前の記憶が蘇る。


 手を引かれた走った洞窟、重なった面影、揺れる金色の髪、そしてゴーグルの下から現れた――


「――っ!」


 それまで泥のようにあった眠気が一気に吹き飛ぶ。かっと目を見開いたラヴェンダーはその勢いのまま起き上がろうとして、けれど感じた何かに身体を押さえつけられているような違和感に身を固くした。


(身体が、動かない?)


 拘束をされているのだろうか。胸のあたりが重く、身動きが取れなくなっていた。

 必死に視線を巡らせ、周囲を伺う。

 知らない部屋だった。窓のない部屋で、光源になりそうなモノは天井に白熱灯らしいライトが一つついているのみ。だが今はそれも消灯されていた。入り口らしい扉から漏れる廊下の光からうっすらと部屋にある家具の類いを探ってみるがラヴェンダーが寝ているこのベッドの他には、ベッドサイドに椅子が一つ見て取れるのみだった。ひどく無味乾燥な部屋と言える。


(ここは、どこ?)


 指先からわき上がる恐怖に、身体を震わせた。

 そんな彼女の胸のあたりで、何かが動き、そしてぎらりと何かが二つ、光る。


(まさか、また、あの――)


 気を失う前に見たモンスターを思い出す。

 知らない間に捉えられて、今まさに食べられそうになっているのではないか。

 

 そんな考えが浮かび、ラヴェンダーは息を飲んだ。


「——きゅん」


 けれどラヴェンダーのそんな恐怖とは対照的に、胸の上の重みは、ずいぶんと可愛らしい声を上げる。


「――――…………は?」


 訝しげに顔をしかめたラヴェンダーを、胸の上の影が身を乗り出し、光る目でじっとこちらを見てくる。

 まるまるとした輪郭、てっぺんにはピントとがった三角の耳が二つ。


「猫!?」


 思わず声を上げたラヴェンダーに答えるように、その猫はまたきゅん――としか聞こえない、珍妙な声で――と鳴いた。


「……気がつかれました?」


 ラヴェンダーの上げた声に気づいたのか、隣の部屋の扉が開く音がして、すぐにラヴェンダーがいる部屋の扉が開く。

 廊下の薄暗い光から浮かび上がったシルエットは腺は細いものの男性のそれで、低いけれど柔らかな声が部屋に落ちた。


「電気つけてもいいですか?」

「……ええ」

 

 丁重に伺いを立ててくる相手にラヴェンダーが頷くと、部屋に一つしかない白熱灯が部屋を照らした。


 当然、胸の上の塊の姿も露わになる。顔の真ん中から、どこかきらきらと光る銀糸の混じったグレーと真っ白な毛とで別れたハチワレのその猫は、真っ白な中にぽつんとある鼻とその脇のブチがどこか間抜けに見える。


 酷く小さく、ただの毛玉にも見えるそれは、まだ生まれたばかりの子猫のようだった。


 間抜けながらも愛嬌のあるその子猫は人懐っこいらしかった。全く知らない人間の上に載りながら、金色の瞳をきらきら輝かせてこちらを見ろしている。

 それどころかラヴェンダーの頬にかかった前髪が、呼吸と共に揺れるのが面白かったのか、ぺちっとピンク色の肉球の衝いた手で、ラヴェンダーの頬を叩いてきさえする。


(え……なんなの、この状況?)


 気を失う直前とあまりに違いすぎる状況に混乱しながらラヴェンダーが視線を巡らせると、部屋に入ってきた人物は呆れたように肩をすくめた。


「ああ。お前、ここにいたのか……」


 そうして彼は歩み寄ってくる。

 背は高く、おそらくラヴェンダーと同じかそれより高いくらいだが、顔立ちはまだ幼く少年の域を出ていないように見えた。髪も瞳も月のない夜空のような艶やかな黒で、声と同じ柔らかなその眼差しには知性と優しさが感じられた。元々顔立ちは整っているのだが、どちらかというと顔立ちの幼さに対して落ち着いた佇まいや、纏う澄んだ冬の朝のような爽やかな空気が人の目を惹く、そんな不思議な雰囲気を纏った少年だった。


 黒髪の少年はやせた手を伸ばすと、ラヴェンダーの胸の上の毛の塊をつまみ上げる。


「この部屋はだめだって言っただろ? お姉さんが寝てたんだから」


 そう言って目線の高さまで子猫を持ち上げ、額を合わせると、メッと叱る。それから、その灰色の毛玉を床に放した。


「ご迷惑おかけしてすいません。体調はいかがですか?」


 それからラヴェンダーに向かって軽く頭を下げると、少年はベッドサイドの椅子に腰掛ける。

 胸の上の重しがなくなり、緊張も解けたラヴェンダーは上半身を起こすと、肩をすくめて見せた。


「……目が覚めて拘束されてるかと思って心拍数が上がった以外は、問題ないわ」


 そんなラヴェンダーの回答に少年がぱちくりと瞬きをする。それから足下で額をこすりつけている毛の塊に視線を落とすと、少年は顔を崩した。


「——ああ。寝てるときに乗られると、結構動けないですからね」

「電気ついたらこんな小さい猫だったから、自分でも情けなくなったわ」

「そんなことないですよ。猫は的確に相手が動けなくなるポイント衝いてくる生き物ですからね」


 そう言いながら、少年は足下にすり寄ってくる毛玉を軽く撫でる。どうやら、彼も夜はよくこの毛玉に乗られているらしい。

 まだ甘えたそうにしている子猫を押すようにして遠くに追いやると、少年はラヴェンダーの方にに向き直り、軽く首をかしげながら問うてきた。


「一応眠っている間に外傷は診させてもらっているんですが、他に異常がないか診させてもらってもいいですか?

「診る?」

「あ、俺、これでも医師免許あるので、安心してください」

「……は?」


 少年、としか言いようのない相手から飛び出した『医師免許』という言葉に、ラヴェンダーは思わず間抜けな声を上げてしまった。


 次いで怪訝そうな顔を浮かべ、まじまじと少年を見つめてしまう。


(アジアの国はローティーンでも医師免許が取れるわけ?)


 黒い髪に黒い瞳、黄色みを帯びた肌という――ラヴェンダーには、それがジャパニーズかチャイニーズかコリアンか、区別はつかなかったが――典型的なアジア人のその少年は、ラヴェンダーの驚きの理由を察してか、苦笑を浮かべる。


「確かに飛び級してますけど、これでも俺、二十歳なんですよ」

「二十歳!? 嘘、年上!?」


 その言葉に、ラヴェンダーはさらに驚きの声を上げてしまう。けれどそれが失礼だったと気づいたラヴェンダーはすぐに謝罪を口にした。


「……あ、ごめんなさい」

「いいですよ。よく言われますから……でも、そんなに子供っぽく見えますかね?」

「……正直ローティーンかと思ってました」

「そうみたいですね。どこに行っても子供扱いでお酒は身分証見せないと間違いなく売ってもらえないですよ、俺」


 黒髪の少年――あらため、黒髪の青年は、どこか嘆くように言うと肩を落とした。どうやらかなり日常生活でも苦労しているらしい。アジア人は幼く見えると言うが、どうやら本当らしかった。


「まあ、そういうことなので、簡単に診させてください。どこかを打ったりはしてないとは聞いていますが……」


 言いながら青年が手を伸ばし、ラヴェンダーの下まぶたの内側の色や、瞳孔、物の見え方などをチェックする。


「うん……大丈夫そう……て、やめなさい、ラヴィ」

「はい?」


 診察する青年の胸元で、いつの間にか彼のデニムの上に這い上がった子猫が、青年のパーカーから垂れるひもで遊んでいた。

 それを注意する青年に、ラヴェンダーが首をかしげながら返事をすると、青年が不思議そうに顔を上げる。

 するとさらにそれで動いたひもに興味を引かれた子猫が、ひもをがぶりと噛んで引っ張ろうとする。


「だから、やめろって、ラヴィ」

「……ですから、何を?」


 再び答えたラヴェンダーに、青年が黒い瞳をきょとん、とさせる。


「…………」

「…………」


 しばらく珍妙な沈黙が落ちて、二人で見つめたあったと、青年が遠慮がちに問いかけてきた。


「——あの、非常に失礼で、ええ、とっても心苦しいのですが、その……………お名前お伺いしても?」

「……ラヴェンダー=フォン=ヴェルフと申します」

「!!!!!」


 ラヴェンダーの名乗りに、青年は口元を抑え、身を引いた。

 それから、みるみるうちに赤くなっていく。

 そうして耳まで真っ赤になった青年は顔を覆って呟いた。


「すいませんー。猫の名前もラヴェンダーなんですー」


 その青年の言葉に、ラヴェンダーは思わず青年の膝の上の毛玉を見つめた。

 金色の瞳をまん丸にしてこちらを見上げてくる毛玉は、小さな、けれどまっすぐなしっぽをぶんぶんと振りながら、「きゅん」と毛玉が鳴いた。


「え……」


 その毛玉と、青年とを見比べて、ラヴェンダーも言葉をなくして目元を覆った。


「ええ〜……」


 一体どんな奇跡と偶然があれば損なことが起こるのか想像もつかない。

 そもそもラヴェンダーという名前自体そこまでメジャーではないはずなのに。

 だが、さすがに初対面の相手がなにも知らずに猫につけた名前を責めるわけにもいかない。ラヴェンダーは青年の肩を元気づけるように軽く叩きながら、慰めの声をかけた。


「あの、気にしていないんで、顔を上げてください」

「本当にすいませんー」


 そう言ってなかなか顔を上げず、顔を覆ったままのその青年は、やっぱりラヴェンダーにはローティーンにしか見えなかった。


本日後二話更新の予定です。

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