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暇をもてあましたお嬢様は怪盗家業に勤しむ  作者: 冴月アキラ
第二章:≪ヘスペリス≫への挑戦状と闇の中の再会
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思い出との再会と巨大な追っ手

残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。

 怪盗としての活動で暗闇の中の移動が多い生活をしているラヴェンダーは、比較的夜目が利く。

 最初は正体のわからない誰かに腕を引かれることに恐怖を抱いてはいたが、闇がなじんだ視界の中で、相手の姿形が判断できるようになると、多少はその恐怖を緩めることができた。


 身体にぴったりと張り付く黒い長袖シャツと軍靴に似たごついブーツに裾を納めた同色の細身のスラックス、という出で立ちのため、前を走る男のすらりと長い手足としなやかに鍛えられた肢体が嫌でも目につく。姿勢は悪かったのが嘘のようだし、運動なんて全く縁のなさそうだった記憶の中のイメージからは大分かけ離れていたが、それでもラヴェンダーは前を走る男が誰なのか理解できたからだ。


 ラヴェンダーをここに呼び出した張本人――『オリバー』だった。


 『アイリーン』の演技中に暇つぶしに彼の身体を観察して、その均整の取れた身体のバランスは確認していたし、一度不覚にも至近距離で密着する羽目にもなっている。そのためラヴェンダーには今目の前にいる男が『オリバー』を名乗った男と同一人物であることは判断できたのだ。


 加えて、ここに呼び出した意図も、≪守護者のマリア≫を狙う理由もわからないが、少なくとも助けようとしてくれたのは確かで、また、指示書にあったように経路はラヴェンダーより詳しいのも確かである。

 ならばここは、相手がいいと言うまでついていく方が安全だろう、と判断し、素直に手を引かれるがまま、移動することにした。


 すると、緊張が緩んだのが相手にも伝わったのだろう、男がふっとこちらを振り返ってくる。

 軽く視線を向け、ラヴェンダーの様子を観察した後、満足したように唇を持ち上げて、そしてまた、前を向いた。


 そんな、何気ない一連の動きだったのだが。

 ラヴェンダーの脳裏にひっかき傷のような違和感をもたらす。


(……何?)


 自分の中に沸き上がった違和感に眉をひそめながら、ラヴェンダーは前を走る男の背中をまじまじと見上げた。


(私、この光景を、見たことが、ある気がする……?)


 ただ、そっくり同じじゃない。角度や位置や、そんなものが違っている気がする。


 けれど、そもそもラヴェンダーが人生で関わった成人男性は数えるほどしかいない。

 孤児院の先生達。ヴェルフ家の義理の二人の兄と義理の父。あとは成人ではないが、成人に近いくらいの体型をしていた孤児院の兄代わりの二人。


 そこまで思い描いて、ラヴェンダーは大きく頭を横に振った。


(――違う……そんなわけないわ)


 だって、孤児院は焼けて、みんな死んでしまったのだ。

 だからこれは、単なるラヴェンダーの勘違いであるべきなのだ。


 ――林の中の物置小屋で泣いてるラヴェンダーを迎えにきた後だけ、彼は彼女におんぶを許してくれた。


 暗い林の中を歩きながら、不器用にぽつぽつと星の話や、そこに生える植物の話や、そんなことを話してくれた。

 

 残念ながら、ただでさえ年齢差がある上に、彼は非常に頭がいい人だったので、話してくれる内容のほとんどが理解できなかったのだが、それでも話してくれることが嬉しくて、ラヴェンダーが泣くのをやめてじっとその話しに耳を傾けていると、時折彼は振り返って視線をこちらに投げ、笑ってくれた。


 それは本当に特別な時間だったから、ラヴェンダーは彼の金色の髪のきらめきも、耳の後ろの黒子の位置もなにもかもを覚えている。


 ラヴェンダーは、くらり、とめまいがするのを感じた。


 信じたくなかった――先ほどのこの『オリバー』の仕草と、大好きだった人の仕草が重なって見えただなんて。


(前に見た瞳の色のせい? それとも、髪の色?)


 今日の『オリバー』は暗視用と思われるゴーグルをかけていから瞳の色はわからなかったが、頭に巻いた黒いバンダナからこぼれている襟足や前髪の色は金色だった。ラヴェンダーよりも色素の薄い光の加減で銀髪にも見える金。頬や鼻筋の輪郭は鋭利で、薄い唇は普段は皮肉ばかりを言うのに、時折——そう、ラヴェンダーが泣いているときなんかは特に——柔らかく緩み、優しい言葉をくれる。

 

(……駄目だわ。違うと思うほど、被る……)


 違う箇所を見つけようとその輪郭を目線で追う度に、鼓動が、走っているせいとは別の理由で跳ねる。胸が締め付けられるようにきゅうっとなる。


(やっぱり、この人は————!)


「――ここまで来たらいいだろう」


 混乱するラヴェンダーをよそに、男が立ち止まる。


 考え事をしていたせいで何をどう進んできたのか全く記憶にないが、そこは洞窟の中のようなところだった。おそらく緊急用として、かつての城主が築いた脱出経路の一つを抜けてきたのだろう。石畳の通路を走っていたはずなのに、気づいたら足下はごつごつとした岩場に変わっており、天井もかなり高くなっていた。

 男と違って暗視装置がないのにそう見て取れるということは、出口も近いのかもしれない。


「怪我はないか?」


 言いながら、男は手を離し、ラヴェンダーの方を振り返った。

 それから顔をしかめる。


「……なんで靴を履いてないんだ?」


 そう告げる男の視線はラヴェンダーの足下に注がれていた。釣られるように自分の足下を見たラヴェンダーは、その時初めて自分の惨状を自覚した。

 舗装されていない岩場をストッキングをはいたほぼ素足の状態で走ってきたせいで、ストッキングはずたずたで、足の裏はあちこち怪我をして血まみれになっている。


「全く、世話の焼ける……」

「しょうがないでしょう。ヒールであの中動けるわけないし、乱暴に人のこと引っ張ってくれた誰かさんは私に靴を履く暇を与えてくれなかったんだもの」


 自覚したらすっごく足が痛かったが、そこはぐっと我慢する。代わりにふん、と胸をそらすと、ラヴェンダーは八つ当たり代わりに当てこすった。

 

「不可抗力だわ」

「胸を張って言うことか……座れ。応急手当してやる」


 呆れたように言うも、責任は多少感じたらしい。手近な岩をさしてラヴェンダーに座るように言うと、しゃがみ込んでラヴェンダーの足を取る。


「……やっぱりいいわ。自分でやる」


 そこまで来て急に気恥ずかしくなったラヴェンダーが足を引くと、男は腕を伸ばして無理矢理その足を捕まえてくる。


「時間がないんだ。おとなしく手当てされておけ」


 そう言うなり、腰に下げていたペットボトルの水をざっと足にかけてくる。

 無数の擦過傷に水がしみこむ痛みにラヴェンダーが身を千々こませ、声にならない悲鳴を堪えている間に、男は彼女の足をぬぐい、逆の足も洗い流す。

 それから、頭に巻いていたバンダナを外して広げ、それを細く裂くと、包帯代わりにぐるぐるとラヴェンダーの足に巻き付けた。


 あっというまに応急手当完了である。


「できたぞ。これで多少はマシのはずだ」

「……一応、お礼は言っておくわ」

「……可愛くない女だな」

 

 男の言葉に、ラヴェンダーはべぇ、と舌を出してやる。そんな子供じみた応酬に男は呆れたように溜息をついたが、それ以上の言及はなかった。


「それじゃあ、改めてご挨拶、といこうか。黒猫殿」


 代わりに、男はまるでダンスに誘うように恭しい礼をしながら、手をさしのべる。

 ラヴェンダーは男の掌を一瞥した後、視線を、男の顔の方に向けた。


「そう言うなら、まず、そのゴーグルを外したらいかが? 招待客に対して失礼ではなくて?」

 

 ラベンダーの言に、男は失念していた、というように軽く顎を引くと、素直にそのゴーグルを外した。

 そうしてとうとう、その容貌が明らかになる。


(ああ……)


その男の姿を見上げながら、ラヴェンダーは内心呻いた。


 まるで氷から切り出した細工のように鋭利で、それでいて整った鼻梁に薄い唇。知性を秘めて輝く氷翡翠(アイス・ジェイド)の眼差しは切れ長で、どこか不機嫌さが漂っているがその暗さが目を惹く。暗がりの中で銀に浮かび上がる髪はおそらく薄い金髪だ。


 恐ろしく容姿の整った男がそこにはいた。


 だが、彼女の嘆息の理由はそれではない。


 記憶にあるよりも、やや輪郭が鋭くなっていたし、目つきもきつめになった気はする。その分体格はさらに恵まれ、動きやすいシャツ姿だからかより一層鍛え上げられた筋肉の質感が見て取れる。


 五年の歳月の中で、少年から大人の男になっていた。

 けれど、こうして正面からその顔を見たら、そして深みを増したテノールの声を聞いたら間違うはずもない。


 甘やかな興奮と、震えるような喜びとをひた隠しながら、幼い恋心に突き動かされるがままに何度も見上げ、聞いてきたものだったから。


「……ジェイ……」


 燃え落ちた孤児院と共になくなったはずの兄代わりだった人の一人が、そこにはいた。

 

 一方で、ラヴェンダーが半ば呆然とその名を呟くのを、男は片眉を持ち上げ、怪訝そうにこちらを見おろしていた。


「何故その名前を……」


 そう呟くが、すぐに片手で目元を覆い、溜息をついた。


「そういうことか……やはり、お前は――」


 言いつのろうと、男は口を開く――が。


「――っ」


 突然、今来た方向を振り返り、息を飲んだ。


「どうしたの……?」


 釣られるように同じ方向を見たラヴェンダーだったが、彼の視線の先を確認するよりも前に、ぐい、と再び腕を引かれる。


「怪我してるところ悪いが、走るぞ」

「え……?」

「いいから!」

 

 言われるがまま、走り出す。

 

「なにがあったの?」

「追っ手だ!」


 短い答えに、再度肩越しに後ろを振り返ったラヴェンダーは、その時初めて、男の焦りを理解した。


 恐ろしく巨大なものが、走ってくる。

 四つ足で走っているにもかかわらず、見上げるほどの高さだった洞窟を埋め尽くすような何かが、ものすごい勢いで迫ってきている。

 目をこらした視界の中に浮かび上がるのは、たてがみに覆われたライオンの顔と、白い鷲の頭。虎柄の身体に白蛇の尾。


 あの倉庫で檻の中にいたはずの、双頭の合成獣がそこにいた。


 その巨躯からは想像もできない速さで、けれど明確な意思を持ってラヴェンダー達を追いかけてくる。


「なんで!?」

「俺が知るか! お前の香水の匂いでも追ってきたんじゃないのかっ!?」


 言われ、ハッとなって頭に手を当てた。

 身を隠すために被っていたはずの帽子がなかった。

 あれをもし、逃げるときに落としてきていたのなら追跡の手がかりにされていてもおかしくはない。


「とにかく走れ!」


 言いながら、男は首から提げた笛を口にくわえ、鋭く、ピィッと吹く。


「犬笛?」

「似たようなもんだ!」


 ラヴェンダーの問いに、笛を口からはき出すようにしてから答えると、男はさらにぐっと走る速度を上げた。

 もはや、ラヴェンダーには足を絡ませて転ばないようにするだけで精一杯である。


 けれど明らかに人より早い獣との距離は縮まっていた。あの特徴的な縞模様がくっきりと見えるまでになっている。

 

「――ああっ」


 ついに足場の悪さに足を取られ、ラヴェンダーはバランスを崩した。そのまま、地面に倒れ込んでしまう。

 

「くっ」


 男が立ち止まり振り返る。両腰に下げたホルスターから銃を抜き、引き金を引く。

 ガンガンガンガンと、男の両手にある銃から続けざまに銃声が上がった。 


「ぎゃあうっ」

「カアアアッ」


 未だかなりの距離があるというのに、そのいくつかは獣にヒットしたようだった。二つの頭が悲鳴とも苛立ちとも衝かない叫びを上げる。

 けれど、元々の巨躯である。拳銃の弾はたいしたダメージになっていないようだった。合成獣はひるみもせず猫さながらの俊敏さで洞窟の中を飛び回りながら、確実に距離を詰めてくる。


「早く来やがれ、あの、バカ――!」


 毒づく男とラヴェンダーの目の前で、合成獣が跳躍した。獲物を、まずは転んで動けない弱い方をその鋭い爪にかけようと、振りかぶる。


(死――――)


 ラヴェンダーが明確に、死に神の鎌が今まさに振り下ろされ、自身に確実な死をが訪れること覚悟したときである。


「――あいよ、お待たせぇ」


 どこか間抜の抜けた、のほほんとした声と、そしてなにか大きな灰色の影が振ってくる。

 それと同時にラヴェンダーの眼前を、何か太いものが通り過ぎていった。


「ギャンッ」


 次の瞬間、あの、今にも襲いかからんとしていた巨大な獣が、横に吹き飛んだ。

 悲鳴を上げた獣は、受け身も取れず背中から洞窟の壁に叩きつけられ、どさりと地面に落ちる。そしてその上に、衝撃で崩れた岩ががらがらと降り注いだ。


「は――はあ!?」

 

 その様子を目で追いながら、ラヴェンダーは間抜けな声を上げることしかできなかった。

 助かったのは確かだろうが、何が起こったのか理解が追いつかない。


「――遅い!」

 

 一方ラヴェンダーをかばうように立っていた金髪の男は、銃は構えたまま、吠えるように言う。

 それに、後から来た男は、その灰色の頭をがりがりとかいて謝った。


「わりーわりー。なんかでっかいのに襲われてっから武器いると思って、岩折ったら時間かかっちまった」

 

 そう言って、後から来た男は手にしていた、円錐状の岩をぽいっと放り出す。どうやらそれでフルスイングしたらしい。

 思ったより飛ばなかったなーとかぼやいているが、ラヴェンダーからしてみれば岩を”折る”とか、それをフルスイングするとか、正気の沙汰とは思えない。


 なのに男達は、さもそれが当然というように会話を続けている。


「……お前、鍾乳洞を傷をつけるのはどうなんだ? その岩できるのに何万年かかってると……」

「堅いこと言うなよ。緊急事態だろ?」


 文句をつけようとする金髪の男の言葉を遮るように灰色の髪の男が大きく手を振った。


「まずはこの状況抜け出すのが先だろうが」


 そうして告げられた言葉に、金髪の男も一応は納得したようである。それ以上の言及はやめ、視線を合成獣が埋まったあたりに向け、代わりに問いかけた。


「……仕留めたのか?」

「わかんねえなあ。一応片方の頭は吹っ飛ばしたと思うけど」


 言いながら、灰色の髪の男は腰から下げたナイフを抜く。

 そのナイフはずいぶん変わった作りをしていた。刃渡りは四十センチほどで、柄のあたりでくの字に曲がっており、刃は曲がったその内側の方についている。


「まあでも、つっても獣だから、ククリナイフ一本ありゃ倒せんだろ」 

 

 ナイフをくるくると回しながら言う男に、会話に間にマガジンを交換し、銃を構え直した男は呆れた様子肩をすくめる。


「お前のそのチートな自信はどこから来るんだ?」

「だって実際、このナイフもらいに行ったとき、トラと戦って勝ってるしなー。あん時はサバイバルナイフだったけど」

「――それなら、とっとと仕留めてくれ」


 銃を構えた男の声が、不意に鋭くなる。あの獣が、岩の中からゆっくりと起き上がったのだ。


 頭を潰した、というナイフの男の言葉は正しく、白い鷲の頭の方はつぶれて血まみれになっていた。けれど、無事な方のライオンの頭が、怒りでらんらんと目を輝かせ、こちらを見ている。そして一声、大きな咆哮を上げると、地を蹴ってこちらに飛びかかってきた。


「はいはいはいはい。お任せあれってね!」


 銃の男のさらに前に立つと、灰色の男は襟足から一筋だけ長く伸ばした髪を翻し、虎柄の脚に向かって一閃する。

 ずぱん、という重い音がした。

 それに獣が、あれ、おかしいぞ、という顔をする。


 一瞬開いて、獣の振りかぶった両脚が、大きく宙を舞った。


「ギャアアアアウッッ」


 着地する支えとなるはずの脚をなくし、獣が断末魔の声を上げた。起き上がろうともがくが、四足歩行動物の悲しさである。起き上がることもできず、自らのながした血でいたずらに血まみれになるだけだった。


「痛いよなあ。ごめんな」


 言いながら、ナイフを手にした男は、後ろから暴れる獣にまたがり、どんな力で押さえ込んでいるのか、両脚で挟むようにしてがっちりと獣の身体を押さえ込む、ライオンのたてがみを掴み、首をぐいっと持ち上げる。


 そうしてラヴェンダーと、彼女をかばうように経つ金髪の男に向かって、ライオンの太い喉がさらけ出された。


「今楽にしてやるからな」


 慈悲すら感じられるその声に、青ざめたのは金髪の男である。


「――あ、おい。待て」


 と、制止するが、時すでに遅し。腰が抜けてすっかり立てなくなっているラヴェンダーの目の前で、哀れ獣の首は、一気に刈り取られた。


 真っ赤な血が、噴水のように吹き上がる。


「―――!!!!」


 そこまでが、ラヴェンダーの限界だった。


 目の前でいともたやすく行われた大惨事に、至極真っ当で繊細で柔らかな神経しか持ち合わせていないラヴェンダーの精神が耐えられるわけもなく。

 降り注ぐ獣の血液で視界どころか全身真っ赤に染め上げられながら、ラヴェンダーの意識は遠のいていったのである。


次話は1月5日投稿です。

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