ただただ。
「よいしょ」
乗り上げるのにそんな声も出ちゃう歳になりましたよ、34歳、飯田絵里子。
職なし、親なし、恋人なし。家は親の持ち家でしたが、小さい小さい団地の一室ですよ。それも相続分けなきゃなー。
押し入れの前に新聞紙を引き、スニーカーを履いて押し入れもとい洞窟へ。
身長低めなおかげで何とか中腰で進めそう。こんなとこで役立ってもあんまり嬉しくないけど。
進むにつれ天井が徐々に高くなってきた。それと同じころに坂から階段へと変わり、立って歩くことができるようになってくる。
その頃には持ってきたライトの光源だけでは小さくて弱くなってきて、まだ先は見えないし、背後からの明るさも弱まっていき、気持ちどんどんと心細くなっていく。
あたしは周りを見渡しながらゆっくりと降りていくと、拍子抜けするように薄っすらと明るくなってきた。
心細さから足を速め階段を降り切った先、そこはやっぱり洞窟でした。
洞窟と言ってもさっきまでの頑張れば二人通れるかどうかの道が小さなトンネルなら、今度こそ洞窟と言っていいんじゃないかな? そう思う広い空間。
天井はかなり高いのか、薄闇の中で終わりは見えない。明るさもさっきまでより明るく思うけど、自分の手など見える程度で薄暗いことに変わりはない。
あたしは壁伝いにそこを歩き見渡し、自分が下りてきた通路まで一周し終えるけど、この先に繋がる道はないようだ。
「そう簡単に漫画や小説みたいなことないよねー」
そりゃ日本国育ちだったら一回ぐらいは読んだことあるよね。いまだにクールジャパンの範疇がわかんないけど。
漫画もアニメも幼い頃から身近でしたよ。小説なんかも通勤や寝る前見てましたよ。冒険、転生、召喚etc。
物語の中ならなんでも許される不思議な国だな。
少しドキドキしていた気持ちを返せ。だからといって別に冒険したいなんて思わない。できれば安全安心平和が一番、突出しなくていいから平凡でいたい。そんな難しい年頃なのだ。
しかしここはなんなんだろ? 家は三階だ。下った感じ、確実に下の家にぶち当たるはず。それにも拘らずこの広さだ。宙に浮いているわけでもないだろう、洞窟だし。
業者呼ぶべきなのかなー? そんなことを思いながら辺りを見渡し、中心部へと足を向けたその先で、ぼんやりとした明るさの中に影が見える。
一瞬どきりとした。何もないと思っていた中で完璧に気を抜いていたから。
ドキドキを返せなんて言ってすいませんでした、お帰りいただいて結構です。
目を凝らし見ようとするが、ここからじゃわからない。心臓がどくどくと言ってる気がする。
このまま帰ったところで家の押し入れだ。仮に生き物がいたら出てくる可能性も捨てきれない。
と、言うよりなぜ自分は何も持たずに来たんだ? それこそ漫画も小説も読んでいたのだろ??
学んだ意味が何もない。読んだ記憶はあるが学んだ記憶はないけど。
そんな意味のないことが頭を巡りながらも、確認せず帰ることはすでに選択肢にはなかった。
自分の暮らす家がよくわからない空間に繋がってるとか、未知の恐怖よりわからないままの恐怖のほうが勝ってしまったから。
なによりも、父と母がいた家だ。今後どうなるかまだ決まっていないとはいえ、今の状態でそのまま捨てれるわけもない。
じりじりと近づいていく。目は影から外さない。逃げる覚悟ならいつでもできている。
さほど距離は離れていなかったのか、その姿は簡単に確認できた。
そこだけ土が伸びているような奇妙な物。まったく動く気配もないそれに、拍子抜けするような脱力感を感じながら、首元のライトを使いそれを確認していく。
高さは一メートルほどだろうか、太さはあたしの手で輪を作った程度のオブジェとも言えないもの。
表面は自然物のようにぼこぼことし土塊に見えるが、頂点の部分だけが綺麗な半球で、あとから丸い石を填め込んだみたい。
不自然につるりとしたそこに、要らない興味を抱いて指を伸ばしてしまったのが運の尽きか、はたまた厄年か。きっと寝不足ゆえの判断ミスだろう。
指が触れた半球のてっぺんが光ったと思うと、そこから光が下に段を描きながら向かって、幾何学模様のように走っていく。
急な明るさに驚いて一歩下がり目を細めてしまうけど、何が起こってるのか不安でどうにか見ようとする。
光は半球を走りきると今度は四本の光の線になり、土塊を十字に切るように勢いを上げて下へ真っ直ぐ向かってゆく。
そのまま地面に到達したかと思うまもなく、真っ直ぐに部屋の四隅に向かうと、角を上り天井へと到達しその瞬間、洞窟の全体が明るくなった。
さっきまでと比べ物にならない明るさに、堪らずギュッと目を瞑ってしまう。その時ゴゴゴゴゴォーと大きなものがずれる音が前後から聞こえてきた。
音の正体が知りたくて、目を開けようとするのになかなか開かずに気持ちばかりが焦る。
どうにか目を慣れさせ明るくなった洞窟を見渡せば、とりあえず家のリビングよりも広いことは確かだ。
洞窟と言うより何もない、ただ広いだけの四角形に近い一室。壁も床も滑らかで土のようには見えないが、コンクリートとも違いつるりとしていて触れた感じ金属とも思えない。
まぁ一般知識しかないあたしには、わからない材質もあるんだろうね。
少し目線を下げればさっきまでの光が嘘のように、静かにある土塊のオブジェ。無機質な床から伸びた土塊に違和感が沸くような沸かないような。
頂点の綺麗な半球は透明感のある鮮やかな赤。紅色とでも言うのか、光沢を放ちそこに収まっている。
その美しさから手が伸びそうになるが、さっきのことがある。自分の手を押さえて深く息を吐いた。
「戻ろう」
下を向いた顔を上げ、決意するように自然と声が出た。
たぶんこれは夢だ、寝不足と気の緩みからくる白昼夢だ。だって三階の家の押し入れにこんな場所があるはずない。たとえどっきりだってこんなもの用意できるわけがない。
あたしはオブジェの向こう、正面に見えているぽっかりと開いた通路へ何も考えずに足を向けた。
そう、正面に向けて。
ここに下りてから壁伝いに一周して通路にあたるまで、他に道はないことは確認していた。
そのままオブジェに真っ直ぐに向かった。
光がついたとき、音は前後から聞こえた気がした。
ここから出ようと通路に向かったとき、背後は壁だった。
言い訳になるかもしれないけど。
ただただ、疲れていたんです。