024.初めての週末 おそい朝食
壁の天井近くに幅の狭いスリットの擦りガラス窓が嵌め込まれており、そこから入る日差しが、前日の夜からマッサージチェアーで熟睡していた3人の顔にあたる。
「まぶしい! あーっ、よく寝た。今何時? えっ! もう10時!? 昨日ジャグジーを出たのが0時頃だったから、10時間も寝ていたってこと? お腹空いたぁー」
亜香里らしい寝起きの第一声である。
「背中が痛いなぁ。朝、目を覚ましたときに起きれば良かったよ」
詩織はマッサージチェアーを起こしてスイッチを入れる。
「ドライヤーをかけずに寝てしまったので、髪の毛がめちゃくちゃです。シャワーを浴び直そうかな?」
昨日、優衣は疲れ果てていたのに、一日経つと女子力が回復するようだ。
3人は身の回りを整えながら、これからどうするかを相談した。
今日と明日は研修もトレーニングもないが、もう土曜日のお昼近くである。
お腹が空いた(亜香里)、新しい服に着替えたい(優衣)、身体が痛いからマッサージに行きたい(詩織)と三人三様。
昨日、夕食を取った部屋に行けば何か食べるものがあるのかも?という期待で、三人はとりあえず身支度をして昨晩食事をした部屋へ向かう。
部屋に入ると悠人と英人が遅い朝食というより、ブランチをガッツリと食べていた。昨晩用意されていた円卓や、亜香里たちが食べ散らかした跡はキレイに片付けられている。
「おはようございます、お目覚めですか?」
英人が朝の挨拶をし、悠人は
「ケガとか、身体は大丈夫ですか?」
と女子3人に気を使う。
「「「おはようございます」」」
三人は声を揃えて挨拶をする。
「一晩寝たら大丈夫。平気、平気」
亜香里の関心は準備されている朝食メニューに向いている。
昨日の夕食のように豪華ではないが、ホテルの充実した朝食ビュッフェ並の品揃え。
ジャーに保温されたご飯、お粥、トースターとパンいろいろ、シリアル、冷蔵ケースに入っているジュース類やヨーグルト、ジャム、チーズいろいろ、フルーツ、サラダ、加熱されたベーコン等肉類、いくつかの卵料理、魚の照り焼きに干物、スープ、お味噌汁、ホットドリンク、なぜかプロテインパウダー数種類、生ロイヤルゼリーに、蜂蜜と巣蜜、他にも色々とありそうだ。
歓喜する亜香里、ニヤッとする詩織、ロイヤルゼリーに目が釘付けになる優衣。
「ロイヤルゼリーがビュッフェに並んでいるって変でしょう? こんなに瓶が大きくて… 陰にあるのはキャビアの瓶ですか… 灰色グラデーションのベルーガ! 海の宝石です。アッ! もう誰か開けて食べています!」
優衣のテンションが高い。
「そのキャビア、そんなにすごいの? さっき食パンに乗せて食べたけど、おいしかったです」
英人が答えて、今は生ロイヤルゼリーをパンに塗って食べていた。
「いえいえ、何を食べても良いのですけど…『組織』が用意したものですし。ただブランチどきに食べるには、ちょっとヘビーかなと思っただけです」
優衣は英人と話しているうちに『組織』だからありなのかな?と思っていた。
亜香里はビュッフェでひとり立食を始めている。
「亜香里ぃ、誰も取らないからテーブルに持ってきて食べようよ」
詩織は自分の分を皿に大盛りにして、テーブルでパワフルに食べ始めていた。
「お腹が落ち着いたらテーブルにつきます。それまではテーブルにお皿を運ぶ時間がもったいないから立食にする」
「私たちだけだから、どう食べても良いけどね」
詩織はそれ以上、何も言わず自分の食事に専念していた。
優衣は迷ったあげく
「こういうのを、やってみたかったんです」
と言い訳をしながらスイカの上にキャビアを一山乗せて口に運びながら、ベーグルにロイヤルゼリーをかけて食べていた。
「篠原さんってトレーニングの時とは、ずいぶん変わるのですね」
英人は感心していた。
「加藤さん、それはどういう意味なのですか? ほめているのですか? それとも逆ですか?」
「いやいや(イヤミに聞こえたかな?)篠原さんの大胆な一面が見られたな、と思っただけです」
穏便にフォローをする英人、果たしてフォローになっているのか?
木曜日の昼食の次が、金曜日の夜遅くの夕食、そして今朝の食事で欠食回数が多く5人とも食べる、食べる。
昨晩と同じように、食べ始めてから30分ほどすると少し話ができる余裕が出てきた。
「それにしても『組織』って良く分からないよね。昨日と一昨日のトレーニングは、どうやってあのような環境を作り出したのか分からないし、一番の疑問は、あのトレーニングで本当に能力者になるスキルが身につくのか? 少しでも能力がついたのかが疑問ですね。僕らがやったことって、逃げることと銃を撃ったことぐらいでしょう?」
悠人が語る。
「たくさん走ったり、歩きましたし武器を選んだり、適切なアイテムを選択したりと、ビージェイ担当さんが言っていたウォーミングアップにはなったのではないでしょうか?」
体力的には一番大変だった優衣は自分をほめる様に語る。
「優衣さんの言うとおり、ウォーミングアップとしてはOKではないですか? 能力者補としてのトレーニングはこれからだと思いますよ」
いつの間にか、女子をファーストネームで呼び始めている英人、誰も違和感を持たないようだ。
「じゃあ、次のトレーニングがどんなものになるのか分からないけど、またこの体制でトレーニングを行いますよ、という感じかな?」
亜香里が確認するように言う。
「まだそれぐらいしか分からないでしょう? でも今回はなぜ? 特に亜香里が変な能力が出せなかったのかな? ゾンビやタイラントも、オオダコやターミネーターのように消せれば、慣れない銃を使わずに済んだのに。あの世界は何でもありじゃなかったの?」
詩織は今回のトレーニングでは今までのテストのように、自分たちが不思議な能力を出せなかったことに疑問を持っていた。
「おそらく『組織』が、トレーニングによってその辺は調整をしているのだと思います」
悠人の推測に続き、英人が言う。
「たしかに現実の様で現実ではない世界だったから、その時の『組織』の意向によるのでは?」
「じゃあ、実際のミッション って、どんなものになるのかな?」
亜香里が大事なことを思い出したように言う。
当然ながら誰にも分かるわけがなく、食後のお茶やコーヒーを飲みながら、ボーッと考える5人。
「今、考えても仕方ないじゃない『組織』から何の情報もないのだから。それよりも今日、これからどうしますか?」
詩織がみんなを現実に戻しつつ、自分は現役時代から行きつけの『マッサージ屋さん』と思っている。
「疲れましたから、これから家へ帰ってゆっくりして月曜日からの研修に備えようと思います」
優衣がそう言うと、亜香里と詩織も同調する。
悠人と英人も同様。
「じゃあ、俺らも今日は家に帰ろう。今週はいろいろありすぎて疲れたから」
「『組織』のことは家族にも、秘密なのよね?」
亜香里が確認する。
「それは当然だし、家族に『何かおかしい』って言われたら『入社早々、部活に加入させられて研修中もトレーニングがあった』とか答えておけば、いいんじゃない?」
詩織が機転を利かせる。
「そうですよね。昨日、洞窟で転んだときのアザが少し残っていますし」
詩織の言った理由を使おうと思う優衣であった。
(エルフのお尻にアザだと? これは要チェックです)
「優衣、アザのことは知らなかったんだけど、確認が必要よね?」
この前の仕返しを含め、亜香里はやりたがっているようだ。
「亜香里さん、確認は不要です。単に腰をぶつけただけですから」
亜香里の真意を汲み取って、優衣は防衛線を張る。
「そう言わずにさぁ、同じチームの仲間として心配でしょう?」
亜香里はそう言いながら優衣に近づき、スカートに手をかける。
「亜香里さん! ここには男性がいるのですよ! 女子更衣室じゃないのですよ!」
優衣の言うことが真っ当である。
「(チェッ)じゃあ、あとでね」
という亜香里に即答する、優衣。
「あとも、先も、確認やチェックは不要です!」
優衣と亜香里のやりとりが下らなすぎて、他の3人はスルーしている。
「藤沢さん提案の『会社の部活に入った』は、これからいろいろ不都合なことが起きたときの理由付けとして、いいアイデアだと思いますが、みんなの口裏を合わせるために、何部にしますか? ビージェイ担当にも知らせて『組織』にも理解してもらいたいし」
悠人が今後のことに、いろいろと思いを巡らす。
「部活と言うより、社内にある活動団体みたいなのが『組織』でやることと合っていて説明しやすいんじゃない? 例えば『NPO お助け部隊』とか?」
亜香里が我ながら良いアイデアだと思い説明する。
「その方向でいいんじゃないですか? ただ、『NPO お助け部隊』という名前は、ちょっと…」
英人が率直に言うと、詩織が纏めようとする。
「社内の活動団体に入ったという形は良さそうだから、名前は『組織』に相談でいいんじゃない? 研修でも会社が、コンプライアンスが大事だって言っていたから、今までどういう形でミッションをこなしてきたのか知らないけど『組織』のミッションをこなすときも、表向きの説明としては『社内での団体活動に行ってきます』が、他の社員にも説明しやすいし」
詩織の説明に4人とも納得する。
「もしかしたら『組織』のことだから、すでにそんな団体を作っているのかもしれません」
悠人が補足する。
「話もまとまったみたいですので、宿泊棟に寄ってから帰ります」
優衣は疲れて早く家へ帰りたい一心である。
「ここはこのままで良いのかな? いつ片付けたのか分からないけど、昨日の分も今朝には片付いていたみたいだし」
悠人が気にする。
「その辺は『組織』だから、何とでもなるんじゃない?」
亜香里らしい意見。
「そうですね。能力者補に成り立ての我々が、いろいろと気を回すのは早すぎます」
納得する悠人。
「じゃあ、(家へ)帰りますか」
という詩織の言葉に一同『『はい』』と言いそうなところで、英人が突然思い出したように言う。
「チョット待って! 思い出したのだけど木曜日の講義の最後に、金曜日の終わりに配属先を教えてくれるって、講師が言っていたよね?」
「「「「「あぁーっ!」」」」」
「今日は、お休みだし、誰に聞けば良いの?」
亜香里がガッカリしていると、優衣が入口に目をやり何かに気がつく。
「また、入口横のモニターになんか出ていますよ」
みんな、ドア横のモニターに集まる。
『来週月曜日の集合時間はお知らせしたとおり、9時に研修棟です』
『配属先については、直接、講師へ尋ねてください』
「今週は、お預けかぁ~。一刻を争うことじゃないから、まあいいか。とりあえず家に帰りましょう」
亜香里の気の抜けたコメントに、一同うなずき、長く滞在したトレーニングA棟をあとにした。