190.指輪を探すミッション その10
亜香里たちは、オフィスで机の上を片付けてから『組織』のフロアへ向かう。
エレベーターを降りるとエレベーターホールのディスプレイに『ミーティングルームへ集合』が掲示されている。
ミーティングルームへ入ると、ビージェイ担当が壁一面のディスプレイの中でスタンバイしていた。
「ずいぶん時間が掛かったようですが、道路が混んでいたのですか?(亜香里「午後は仕事を続ける予定で、机を片付けていなかったので」)なるほど、それでは手短に警備の方法を説明します。これから乗るエアクラフトに全てプログラム済みですので、何も起こらなければ座席に座っているだけで結構です。駐機場へ行く前に準備室に寄って入口近くにあるアタッチメントと、いつもの装備を持ってエアクラフトに乗り込んで下さい。アタッチメントを見るのは初めてだと思いますが、万一に備えて持って行くようにして下さい。よろしくお願いします」
スクリーンが消えた。
「ビージェイ担当って、いつも言いたい事だけ言ったらディスプレイから消えてしまうけど、今のは、ちょっと酷くない?」
「私たちがこのフロアに来るのが遅かったから、待ちくたびれたのかな?」
「とりあえず、大使館へ急ぎませんか? 教皇が帰国までのスケジュールも分かりませんし」
「そうよ! 護衛をするのなら、要人の行動予定表くらい渡してもらわないと注意できないよ」
「亜香里は予定表をもらって、何に注意するの?」
「それはですねー… 予定表をもらってからのお楽しみということで」
実は何も考えていない、亜香里であった。
3人が準備室へ入ると入口に移動式ハンガーラックがあり、袋に入ったものが吊り下げられていた。
「これかな? ビージェイ担当が言っていた『アタッチメント』って」
亜香里が袋を破って取り出してみると、中に入っているのはどう見ても生命維持装置付きの宇宙服。NASAの中継で見たことがあるものよりも、ずいぶんスリムになっている。
「ビージェイ担当は『万一に備えてこれを持って行くように』と言っていたけど、その『万一』って、私たちを宇宙に行かせるつもりなの?」
「教皇はバチカン市国ではなくて、月に帰るとか」
「亜香里さんも詩織さんも想像力が逞し過ぎですよ。この服の背中には噴射装置みたいなものが付いていますし、手首に高度計がついていますから、たぶん教皇が乗る飛行機に何かあったら、これを着てエアクラフトから助けに行くのではないでしょうか?」
優衣の想像力も二人に負けないくらい逞しかった。
「そんなこと出来るのかなぁ? まっ、考えても仕方ないから、これを持って駐機場に行きましょう」
3人はアタッチメントとその横にある『いつもの装備』と大きな張り紙のあるショルダーバッグを肩に提げ、準備室を出て廊下から駐機場に入ると、見たこともないエアクラフトが停まっている。
今まで乗っていたエアクラフトの倍以上の大きさがあり、機体の形も今までの空飛ぶ円盤型ではなく、きれいな流線型で、その色もエアクラフトの目立たないグレーではなく、鮮やかなスカイブルーだ。
「ビージェイ担当が大使館で『新しく開発をした』と言っていなかった? これってエアクラフトなの? 今までのエアクラフトとは似ても似つかなくて『全く新しく作りました』という感じだけど、カッコいいね。モチベーションが上がるし、これなら私も操縦してみたい」
亜香里は新しいエアクラフトを見て気分が上がっていたが、メカ好きの詩織はそれ以上に目を爛々と輝かせていた。
「やっぱり、宇宙に行くのね。この形はスペースシャトルを思いっ切りスマートにした感じだもの。ちょっとワクワクする」
3人は新しく買った新車に乗るような気分で新エアクラフトの入口へ向かう。
乗り方も今までように、小さなハッチを開けてくぐるように乗り込むのではなく、機体の横にあるハッチが開き階段が出てきた。
「機内に新しいグッズがイロイロありそうですねぇ」
亜香里が機内探検を始めようとすると、機内の壁のあちらこちらに設置されているディスプレイに『直ぐ着席してシートベルトを締めること』と表示される。
「亜香里、探検はあとにして、教皇の警備が先でしょう?」
「そうでした。新しいエアクラフトに少し浮かれていました」
3人が着席してシートベルトを閉めると新エアクラフトが静かに発進する。
「あれ? 外が見えるよ。光学迷彩は大丈夫なの?」
詩織が仮想コンソールを呼び出して確認する。
「光学迷彩もステルス機能も稼働している。そっかー、光学迷彩が効いていても外が見えるように改造したのね。どういう機能なのか分からないけど」
「しっかりと警備できるように『組織』が新しい光学迷彩を導入したのではないでしょうか? レーダーを使うにしても、近くにいる時は目視も大事ですから」
「なるほどー。これで離着陸の時、外の景色が見えて気持ち良いね。カメラを持ってくれば良かった」
「亜香里さん、ミッション中は私物の携行禁止です(亜香里「そうでした、忘れていました」)大使館に近づいてきました。アレッ? もう教皇が車に乗るところです」
詩織が仮想コンソールで、機内壁面に広がるスクリーン映像を拡大する。
「ほんとだ、もう大使館を出発するところ。だからエアクラフトが離陸を急かしたのね」
エアクラフトはオートパイロットモードで、教皇の乗った車の真上を飛んでいる。
教皇の車は霞ヶ関入口から首都高に入り、空港を目指していた。
新エアクラフト内の亜香里たちは機内スクリーンに映し出された教皇が乗っている車と、周りの景色を見ながら警備をする。
エアクラフトのカメラが捉えた映像と、窓の外を眺めていただけだが。
レーダーが映し出されたスクリーンには、半径20km以内を飛行する航空機が映しだされている。
「これは楽勝ね。昼寝をしても良いかな?」
「亜香里さん、大丈夫だとは思いますがミッション中は起きていて下さいよ。機内の様子もモニターされているはずです。あとでビージェイ担当から注意されるかもしれません」
「ビージェイ担当? 平気、平気。だってこんなに眠たいのはビージェイ担当がミッションを次々に追加したからでしょう? そもそも最初の予定だと今朝の6時で私たちのミッションは終わりだったはずです。お昼に大使館へ呼ばれて食事をして帰るだけのはずが、指輪探し? 途中で2回も戦いに巻き込まれるし、最後は教皇が日本を離れるまで警備しろとか。私たち、サービスし過ぎだと思います。それに… 」
急に黙ったので、優衣が亜香里の座席を覗き込むと首を垂れて寝入っていた。
「亜香里さん、よっぽど疲れたのですね」
「まだ能力の使いすぎから回復していないのかも。空港に着くまで寝かせておこう。寝れば元気になるよ」
詩織と優衣の気遣いが後々、みんなを助けることになるとは、二人とも思いもよらなかった。
教皇を乗せた車は、首都高速を順調に進み、羽田空港の専用ゲートを入り、滑走路近くに待つ専用機のタラップの横で停車した。
政府関係者が見送りをしている。
教皇が乗る車を追尾してきたエアクラフトは、離陸を待つ航空機の後ろに、光学迷彩とステルス機能を稼働させたまま着陸した。
「教皇を追いかけて気が付いたのだけど、あの人たちはイミグレーションとかないのかな? 要人だからボディチェックとかはなさそうだけど。パスポートとかどうしているのだろう?」
詩織が素朴な疑問を口にする。
「言われてみれば、ニュースで見ていると国賓が日本に来た時はタラップを下りて、セレモニーの後、そのままお迎えの車に乗って空港を出て行きますね。各国の元首はパスポートが不要だということを聞いたことがあります」
優衣はなぜかその辺の雑学に詳しかった。
「そうなの? そういえば私たちもスコットランドから出国する時はイミグレーションを通らなかったよ。やっぱり『組織』の優秀な能力者補は特別扱いなのかな?」
バチカン市国大使館での昼食に呼ばれ、教皇と『世界の隙間』に入っていろいろなことをやって来たので、詩織がいつもは亜香里が言いそうなことを普通に口にする。
「帰りに髙橋さんが『組織』の航空機のなかで私たちのパスポートの出国処理をしていた自動化ゲート(eGate)ですね。あの時は良いのかな? と気になりましたけど、ミッションを何回もやっていると気にしなくなりました。慣れって怖いです」
優衣が説明すると詩織は「そうだったっけ?」と軽く流している。
優衣も詩織もミッションで上海やハワイへ行った時、イミグレーションを通らなかったことを思い出した。
教皇の出国前の挨拶が終わり、タラップを登り機内へ入る前に、もう一度手を振って機内に入って行く。
「ようやく、このミッションもお終いかな。この新しいエアクラフトは、どこまで教皇の乗った飛行機を追っかけるのだろう?」
「『日本の領空を離れたところで終わり』と、ビージェイ担当が言っていましたから、そこまでは自動追尾するのではないでしょうか?」
「いずれにしても私たちに選択の余地はないのね。そろそろ亜香里を起こさないと」
「亜香里! 夕食だよ!」
詩織の大声に『ビクッ!』と反応して、目を覚ます亜香里。
「もう、夕食なの!?」
寝ぼけている、通常モードのようだ。
「よく眠れましたか? 未だミッションは終わっていません。これから教皇が乗る飛行機を日本領空の境まで追尾したら終わりです」
「今は? 羽田空港? じゃあ、空の旅を楽しもうよ。このエアクラフトなら景色も見られるしね」
少し眠って体調が良くなったのか機嫌の良い亜香里である。
教皇の乗る航空機は滑走路から通常の離陸を始めたが、亜香里たちの乗る新しいエアクラフトは、いつもの通り垂直上昇し、航空機が水平飛行に移るエリアまでホバリングして待機していた。
しばらくすると遠くから航空機が近づいてきて、新エアクラフトを追い抜くと追尾モードで教皇の乗る旅客機を追いかけ始めた。