170.ミッションの連絡?
9月の初め、亜香里の左足首はギプスからハードサポーターへと変わり、松葉杖が不要となり、通勤も車から電車へと戻っていた。
3人で久しぶりに電車通勤をする。
今日は、亜香里も寝坊はせずに、詩織や優衣と一緒に余裕を持って出勤していた。
「久々の電車通勤は、結構大変ね」
「亜香里の車通勤は、先月で終了?」
「まだ車を使っても良かったのですけどね。何時までも車というわけにはいかないでしょう?」
「それで、その足首は何時、治るの?」
「元の状態に戻るのには、あと2ヶ月くらい掛かるみたいだけど、もう1ヶ月過ぎたから折れた部分のくっついたところが、軟骨から普通の骨に変わり始めているみたい、引き続き無理せずにリハビリをする様にとのことです」
「そうなんだ、でもギプスじゃなくなったから、普通に動く分には大丈夫そうね」
「亜香里さんは、この1ヶ月間、大変でしたから良かったです。パーソナルシールド無しに、江戸時代の神社の境内で当時の人から見られないように逃げ隠れしていましたし」
「もう、あれから半月ですか? 入社してから、こんなにトレーニングもミッションも何もなくて平和なのは初めてですよ、チョット物足りないかな?」
そう言っていた亜香里の目の前、駅に向かう道路の上に突然、トライポッドが現れた。
「なんなのこれ! 渋谷の『世界の隙間』でやっつけたじゃない!」
亜香里が叫ぶと、目の前のトライポッドは急に消えた。
「亜香里さんが『物足りない』って、言うからチョット試してみました」
「優衣がやったの?(優衣「驚かせてスミマセン」)あーっ、ビックリした、 精神感応の一種なの?」
「えっとー、上手く説明できないのですが、相手の頭の中に入り込んで、その中で世界を展開するというか、幻影を見せるというか… 桜井先輩がミッションの時に使っていた思い通りに相手に言うことを聞かせるスキルを真似して練習しているのですが上手くいかなくて、変なものばかり見せてしまうのですよね」
「ふーん、まあこれはこれでいいんじゃない? 充分に驚いたから、目が覚めました」
本社ビル最上階にある日本同友会フロア、実は『組織』のミーティングルームで、壁面ディスプレイの中にいるビージェイ担当と椅子に座っている江島氏が打合せを行っていた。
「江島さん、お盆休み明けの海外出張、お疲れさまでした、ニュージーランドとニューカレドニアの調査結果はレポートで拝見しました」
「ご覧になったのであれば、その件はそれ以上話すことはありません。高橋さんの代わりに行って来ましたが、どちらにも何の痕跡や手掛かりはありませんでした。それにしても私が日本に居ない間に、藤沢さんと篠原さんは上手くやりましたね。ミッションの依頼を受けていない小林さんも途中から加わって重要な役割を担っていたのには驚きました。彼女たちは『世界の隙間』を操れる様になったのでしょうか?」
「彼女たちが入った『入口』の痕跡を調査した限りでは、本人たちのやる気と偶然が重なり合ってラッキーだったとしか言えませんが『運も実力のうち』と言いますから、小林さんたちは『世界の隙間』に対して『組織』が未だ掌握していない能力を持っている可能性は高いと思われます」
「そうなると『組織』としては『世界の隙間』ミッションを再開したくなるのでしょう? おそらく篠原家が首を縦には振らないとは思いますが」
「『組織』が今までに、今回のような形で『世界の隙間』を使ってトラブルを解決した事例はほとんどなく、今回のタンカー事故の処理について『組織』としての解釈はまだ定まっておりません。直ぐに『世界の隙間』ミッションが再開されることにはならないと思います。ただし事故を過去に遡って防いだのを見て、小林さんたちの能力に期待している人たちがいるのも確かです」
「そうなると『組織』の中では『世界の隙間』ミッションの再開を望む声が、大きくなってくるのではありませんか?」
「その辺は慎重派が上手く押さえ込んでいます。その代わりと言っては何ですが、小林さんたちに今日、新たなミッションを依頼する予定です」
「そうですか? 『組織』は次に、彼女たちに何をやらせようとしているのですか?」
「今までで一番安全なミッションになると思います。主にやることは『待つこと』です」
「『待つこと』ですか? 若い彼女たちにとって、それはそれで大変な気がしますが」
「それから、江島さんにまだお伝えしていないことがあります。使用中止にしていたエアクラフトですが、あれから『組織』の技術グループが、約1ヶ月間あらゆる面から精査しましたが、エアクラフト自体に問題はありませんでした。オートマチック航法で東京に戻って来るはずのエアクラフトが何故かイルデパン島に到着してしまったのは、小林さんたち3人の能力が関係していたのかも知れません。憶測の域を超えませんが。従って今まで通りエアクラフトは使用できます」
「それは良かった、今回の出張は一般の旅客機を使ったため、往復で二日間余分な時間が掛かってしまいました。便利なものに慣れてしまうと、それがないと不便を感じます。他にないようでしたら、会社のほうに用事がありますので、これで終わりにしませんか?」
「承知しました」
ディスプレイが消え、江島氏はミーティングルームから退出した。
お昼休み、亜香里たち3人はいつもの様に社員食堂のNEOエリアに陣取り(本人たちは新入社員なので陣取っているつもりはないのだが、何故か周りの社員から『あそこは座ってはいけないエリア』と思われていた)お昼を食べながらダラダラと話をしていた。
「それにしても(『組織』の)ミッションやトレーニングが無いというのは、こうも平和で暇なものなのですかね?」
「亜香里さんの職場のお仕事は、忙しくないのですか?」
「うん、法人顧客は夏休みモードがようやく終わったかな?って感じだし、外資系保険会社からの売り込みも本国の summer vacation が終わっていないのか、連絡も殆ど無いのよね」
「やっぱり生保と損保では仕事の時間軸が違うのね。うちの方は大手メーカーの契約更新準備で初めて見る書類の確認が多くて、優衣はどう?」
「上の人は忙しそうですけど。 うちの会社って、生保と損保の会社が統合されてからもいろいろなシステムが2系統あったようで、最後に残っているのが人事系らしいのです。統合後に入社した私たちには関係ありませんけど、システム以外の要因がシステム統合を難しくしているのだと思います」
優衣の説明に亜香里と詩織が『ふーん(そんなものなの?)』と相槌を打っていると、3人のスマートフォンから一斉に『組織』仕様のメッセージが入ってきた。慌てて確認すると、ディスプレイには次のメッセージが表示されている。
『ミッションの連絡です。本日、会社の定時後に日本同友会(『組織』)のフロアへお集まりください』
思わず顔を見あわせて『はぁ?』の3人。
「どういうこと? 『ミッションの連絡』って初めてじゃない? 今までは『今からミッションです』って電話連絡が入って直ぐに集合だったと思うけど、『連絡』って何よ? 『連絡』って」
「急ぎのミッションではないから『連絡』なのではないでしょうか?」
「先月のタンカー事故のように、差し迫った危機が無いからでしょう?」
「じゃあ、これから起こる何か危ないこと? 『組織』には未来予知が出来る能力者が居るのかな?」
「そんな能力者がいたら、私たちがタンカー事故で緊急出動することは無かったと思います」
「そっかー、それなら今後、発生するかも知れないミッションの予告かな? まあ、急ぐ用事ではなさそうだから、定時後を楽しみにしますか」
「亜香里は暇すぎて、午後、居眠りをしないようにね」
「そうだ! 午後は試練の時間だよ」
「亜香里さんと同じフロアだったら、定期的に頭の中にトライポッドを発生させて、目を覚ましてあげられるのですが」
「いや、あれは一度だけで良いよ、ホントにビックリしたから。あんなものを居眠りしているときに出されたら、オフィスで悲鳴を上げて洒落にならないからね」
午後、亜香里が居眠りをしないためにはどうすれば良いか? 社員食堂からワサビを持ち出して詩織と優衣が亜香里のフロアに行って鼻に塗り込む、一味唐辛子を口にふりかけるとか、どうでも良い話をしながらお昼休みを終える3人であった。