160.お盆休み前のミッション その1
8月の第3週、亜香里たちの会社は週の半ばからお盆休みとなり、会社も世の中的にも週の始めから、お休みモード。
亜香里たちは入社したばかりで有給休暇の日数も多くはなく、お盆は会社のお休みに合わせて休もうと話をしていた。
その前の週は『組織』からの呼び出しもなく、定時後と週末を小型船舶免許1級取得に費やし、充実感を感じていた3人であった。
優雅な夏休み前の一時である。
月曜日の朝、詩織がいつもの通り6時に目を覚ましてカーテンを開けていると、会社貸与のスマートフォンから『組織』仕様の呼び出し音が鳴る。
「はい、藤沢です。はい… 大丈夫です。会社には… そうですか? 分かりました。7時にミーティングルームですね、承知しました」
話し終わると改めてスマートウォッチで時刻を確認した。
「今日は朝トレをやる時間がないね。とりあえず朝食!」
出勤用の服には着替えずカジュアルなスポーツウエアに着替えて1階の食堂へ降り、お盆に日本食を取りテーブルについて食べ始める。
しばらくすると優衣が眠たそうな目を擦りながら、食堂に入って来た。
「おはようございます。朝から『組織』に起こされました。今回は詩織さんと私の2人なのですか?」
「おはよう、そうみたい。亜香里はリハビリ中で、うちらの先輩たちは夏季休暇か出張だからね」
優衣はお盆に朝食を載せて、詩織の隣に座る。
「私たちだけのミッションって、初めてですよね?」
「言われてみれば、そうかも。だとしたら新人の能力者補2人でやるミッションだから、簡単なものなのかも」
「そうだと良いのですが… 」
「ごちそうさまでした。部屋に戻って準備をします(優衣「ミッションで準備するものがありましたっけ? 3点セット以外で」)無いよ。今朝はジムに行く時間が無かったから、部屋でストレッチをしてシャワーを浴びるのが準備かな」
「分かりました。ミーティングルームには一緒に行きませんか?(詩織「了解」)7時チョット前に詩織さんの部屋へ寄ります(詩織「了解」)」
詩織は食堂を出てエレベーターで5階に上がり、まだ絶対に寝ているはずの亜香里の部屋のドアを強くノックしながら、大声で叫んだ。
「亜香里ぃ! 起きろぉ! 飯だぞぉ!」
室内からドタバタする音がして、亜香里が慌ててドアを開ける。
「食事がどうしたの?」
寝ぼけ眼で聞いてくる。
「おはよう、亜香里には『火事だぞ!』と言っても起きないから、食事で釣ってみました。今日は通勤の運転手が出来なくなったから、会社には自分で運転して行ってね」
「どうしたの急に?」
「私と優衣にミッションの連絡が入ったの」
「へぇー、良いなぁ。なんで私には連絡がなかったんだろう?」
「亜香里はリハビリ中でしょう? 骨折した怪我人にミッションを依頼するわけがないじゃない?」
「そうだよね、じゃあ、気を付けて。連絡できる様だったら連絡下さい。どんなミッションなのか気になるから」
「わかった、亜香里も会社までの運転には気を付けて、それじゃあ」
詩織は自分の部屋に戻り準備を始め、亜香里は目覚まし時計を確認して『起床時間までまだ10分ある』と言って二度寝を始めた。
約束の時間通り、優衣が詩織の部屋のドアをノックをしようとすると、詩織が部屋から出て来た。
「行きましょう」
2人がエレベーターに乗ると、自動的にミーティングルームのある最上階でエレベーターが止まり、エレベーターホールを出るとライトが点滅しているミーティングルームが見え、2人は歩いてその部屋のドアの前で立ち止まり、ノックをしてドアを開けた。
片側の壁全面に設置されているディスプレイに、ビージェイ担当が映し出されている。
「藤沢さん、篠原さん、お盆休み前に急に呼び出してすみません。緊急事態が発生して『組織』へ出動要請がありましたので対応したいと思います。状況を見て頂いた方が早いので、今から映像を流します。椅子にお座り下さい」
ディスプレイの左半分が画質の粗いビデオ映像に替わった。
薄暗い海にタンカーが浮かんでいる。
カメラがタンカーをズームアップすると、タンカーの周りに油が流れ出している。
「なんだか、ヤバイ映像ね。どこの海なんだろう?」
「この海、日本っぽくないですか? 遠くに見える海岸線に見覚えがあります」
詩織と優衣がビデオを見ながら話をしていると映像が止まり、右側のスクリーンに映っているビージェイ担当が話しを始める。
「篠原さんが言われたとおり日本の海です。この映像は今日未明に鹿島灘で座礁したタンカーを沖から航空機で撮影したものです。まもなくテレビニュースで報道されると思います、鹿島灘での座礁は最近発生しておりませんが、2006年10月には100万トン級の大型貨物船3隻が相次いで座礁するという事故が発生しました」
「既に海上保安庁が出動し座礁したタンカーの周りにオイルフェンスを張り、周辺海域への影響を最小限にすべく活動しているところです」
「それで、なぜ『組織』へ出動要請があったのですか?」
「それを今から説明しようとしていたところです。この船は日本の会社が所有していますが、パナマ船籍で船長も含め、乗組員が全員外国人です、日本の外航海運会社が運行する船の6割はパナマ籍なので珍しくはありません。問題は座礁が確認されてから国内の関係機関があらゆる手段でタンカーに通信を試みていますが、今のところタンカーからの応答がないことです。ヘリコプターがタンカーの近くまで近づいてみたところ船内に船員は居る模様です。非公式情報ですが、タンカーには原油以外で明らかに出来ないものも積み込まれているようです」
「そこで関係機関から『組織』に『なんとかタンカーの船員と意思疎通を図ってほしい、出来れば流出し続けている原油をタンカー側の操作で止めてほしい』という依頼が来ました。本来この様なことは国が対応すべきことと思いますが、対応出来ない特集事情がある様です」
「ミッションの内容はなんとなく分かりました。エアクラフトで飛んで行って、タンカーの甲板に降りて、優衣が精神感応で船員さんに言うことを聞く様にすれば良いのでしょう? 危なくなったら私が瞬間移動で一緒に逃げればなんとかなります」
「藤沢さんの理解の通りで良いのですが、今回エアクラフトは使えません。江島さんからお聞きだと思いますが、みなさんがこの前のトレーニングのあと、ニュージーランドから東京へ戻って来るはずのエアクラフトがニューカレドニアに行ってしまった件で、戻って来たエアクラフトを中心に全機精査中ですが、まだ原因がわかっておりません。調査が終了するまでエアクラフトの使用を中止しています」
「そうすると寮から車で鹿島まで行って、そこからマジックカーペット? 時間が掛かりますよね」
「『組織』の技術チームでプロトタイプが完成した『シークラフト(仮称)』に乗って鹿島灘まで行って頂く予定です。お二人は一級小型船舶操縦士免許も取られましたし」
「(昨日取ったばかりなのに、なんでビージェイ担当が知っているの?)そのシークラフトと言うものは、ボートなのですか?」
「エアクラフトの海洋版と思っていただければ結構です。ステルス機能、光学迷彩機能、シールド機能付で、ホバークラフトの様に陸地も走れますし、潜水も出来ます。ただしエアクラフトの様に自動運転ではありませんので、乗員の操縦が必要ですが、この前のエアクラフトの様に思わぬところへ行ってしまう心配はありません。万一に備えてあらゆる安全装置が装備されております。なおエアクラフトと光学迷彩システムが異なるため、光学迷彩が稼働している間も船内から外を見ることができます」
「だいたいのことは分かりました。今からすぐに出発ですよね? どこからシークラフトに乗るのですか?」
「この建物(寮)の地下からシークラフトを停留しているドックにつながる通路があります。ドックは多摩川に繋がっています。外洋に出るまでは光学迷彩とステルス機能が作動中ですので、周りの船舶には十分注意して操舵して下さい。操舵方法は普通の船舶とほとんど同じです。お二人とも船舶免許を取られたので大丈夫だと思います。分からない事はシークラフトのAIに聞いて下さい。他に質問がなければ出発して下さい」
「ひとつ、よろしいですか?(ビージェイ担当「どうぞ篠原さん」)これから私たちが乗る船はシークラフト、今までミッションで使ったのはエアクラフトと言う名前がありますが、トレーニングで使っている電動オフロードバイクに名前は無いのですか?」
スクリーンの中のビージェイ担当が、苦笑いをしながら答える。
「バイクの名前ですかぁ? 『組織』が開発したバイクはあの一車種だけですので『バイク』と呼んでいます」
優衣は当てが外れた表情をして答える。
「『バイク』ですか… 分かりました」
「では、よろしければ出発してください、このフロアからエレベーターに乗れば、行き先は適宜ナビゲーションされます。お気をつけて」
ディスプレイが消えた。
「細かいことはマシーンが教えてくれるみたいだから、出発しましょう」
「そうですね、今回は船舶免許もありますから大丈夫ですね」
今まで経験したことがないスタイルのミッションであったが、詩織と優衣は(シークラフトはどんな乗り物だろう?)という好奇心が勝り、何の不安も抱かずにエレベーターへと向かって行った。