156.研修からの帰還 その9
エアクラフトのモニターにシートベルト着用のサインが表示され、亜香里たちは座席についてシートベルトを締めて着陸の準備をする。
「今回は予定通り2時間ぐらいかかっているから、日本に到着するのかな?」
亜香里が独り言のように話す。
「たぶんね、水平飛行の減速が始まってからはいつもの通り、光学迷彩が稼働して外が見えなくなっているから、到着してみないと何処に着いたのか分からないけど」
「詩織さん、怖いことを言わないでくださいよ。今回は着いたところが観光地のイルデパン島だったからなんとかなりましたけど、全くの無人島だったら島から出られなくなりますよ」
「優衣は心配症だなぁ。その時は優衣の精神感応で島中の鳥を集めて紐で結んで、他の島に飛んで行けばなんとかなります」
「それって、ゲゲゲの鬼太郎じゃないですか? 亜香里さんって古いアニメをよく知っていますね」
そんな他愛もないことを話しているうちに、エアクラフトから軽い振動が伝わりモニターに到着のサインが表示され、3人がシートベルトを外すとハッチが開いた。
「アレ? このこじんまりした駐機場って、寮よね?」
「そうですね、本社や関東支社の最上階にある駐機場は、もっと広かったと思います」
隣に停まっているエアクラフトから桜井由貴が降りて来た。
「お疲れ様です。戻って来て早々ですが、直ぐにインタビューをやるようですので、ミーティングルームへ行きましょう。小林さんはその後、2階の医務室へ行ってもらいます」
亜香里たち3人は由貴の後について駐機場を出て、同じフロアにあるミーティングルームへ入って行く。
「みなさん、フォローアップ研修、お疲れ様でした。帰って来てから直ぐのインタビューはキツいとは思いますが、本件は『組織』のミッションに準じたものとなりましたので、ご理解下さい」
ミーティングルームには江島氏が座っており、冒頭の挨拶の後、椅子を勧められたテーブルの上には人数分のボトルと老松の夏柑糖が用意されている。
江島氏の横に桜井由貴が座り、亜香里たち3人はそれに対面する形で座った。
亜香里は『ん? 昼間っからワイン』と思いラベルを見ると『Green Tea』と書かれており、スクリューキャップを開けグラスに注ぎお茶を飲む。和菓子を手にとり『これは江島さんが気を利かせて用意したのかな?』と思いながら、割らずにスプーンで中身を穿って食べ始める。
食べる前に平割か四つ割に切って頂くものだが、用意する方も出された方も、今日はそこまでの余裕がないようだ。
4人がお茶を飲んで一息ついたところで、江島氏が話を始める。
「『組織』が実施するトレーニングはその内容のほとんどを記録しているので、トレーニング終了後に受講者のレボート提出や面接を行うことはありません」
「ただし、今回はトレーニング終了後の帰還中に非常事態とも言えることが発生しましたし、トレーニング中にもその予兆が発生していることが分かりました。みなさんの頭の中で、まだ整理のつかないこともあると思いますが、これから質問することについて、思ったままの内容で結構ですからお答えください」
「それでは最初に、トレーニング中のことについて伺います。トレーニングの2日目の晩にみなさんが泊まった場所、設定上は『ロスロリアン』の森ですが、水鏡に映された映像について説明いただけますか? 確か見つけたのは小林さんだったと思いますが?」
亜香里が『あの映像、『組織』が準備したんじゃないの?』と思いながら、話を振られたので説明を始める。
「はい、ロスロリアンに着いて直ぐ、詩織と優衣が施設内の確認に出かけて、私は松葉杖だったので到着した場所に座っていたのですが、そこから見えるところに『エルフの水鏡』の様なものが見えたので、ロード・オブ・ザ・リングのシーンを思い出して行ってみました。行ってみると演台型の岩の中央部分がくり抜かれ水が溜まっていて、覗き込むと私が高校の部活でチアリーディングの練習をしている映像が見えました。その時は『『組織』はこの映像をどこから捜して来たの? 懐かしいものを持って来たなぁ』と思っていると詩織と優衣が戻って来たのが見えたので、水鏡のあるところへ呼びました」
「なるほど、最初に小林さんが水鏡を見た時は、自分が高校生だった頃の映像が見えたのですね(高橋さんが用意した映像は新入社員研修でトレーニング中に記録されたビデオをセットしたはずだったのに…)、小林さんに呼ばれた藤沢さんと篠原さんは何が見えましたか?」
「足を折って休んでいた亜香里が離れたところから呼ぶから、どうしたのだろう? と思って行ってみたら、『エルフの水鏡だから見てみて』って言うのでトレーニング中のお遊びかなと思って覗いてみると、自分が海を泳いでいる映像が見えました。その時は高校の夏合宿でやった遠泳かなと? 思っていたのですが、今回『世界の隙間』のイルデパン島で泳いで魚を取りに行った時、『水鏡で見た景色と同じ!』と思いました。思い出してみると遠泳で泳いだ海は水鏡で見たような透明度の高い海ではなかったですし、水鏡に映っていた空と海の色は日本のそれとは違っていましたから」
「そうですか、藤沢さんは水鏡に映し出された景色と同じものを2日後にイルデパン島で、その景色の中で泳いだわけですから見間違うはずはありませんね(彼女の見た映像が一番信憑性の高いものですが、事実だとすれば今まで聞いたことがない『映像をともなった未来予知』となるわけか…)、篠原さんいかがですか?」
「私の場合は、藤沢さんのようにはっきりした映像ではなかったのですが、水鏡を覗くと、暑そうなところで言葉の通じない肌の色が黒い人と精神感応を使ってコミュニケーションをとっている映像でした。精神感応が使えるようになったのは最近ですから、その時はぼんやりと『未来の出来事かな?』って思ったのですが、イルデパン島でピックアップトラックに乗せてもらった地元のおじさんとのやり取りが、水鏡で映ったものと同じだったと思います」
「篠原さんは、自分がチカラを使っているところが見えたと… 確かにそれは過去の出来事ではありません(自分の能力を使っているところが見えたというのは、藤沢さんと違った意味で珍しい未来予知ですね)、最後に小林さんはもう一度、水鏡を覗いたと思いますが、何か見えましたか?」
「2回目は透明な海と白い砂浜が広がっているところに私たち3人が立っている映像が見えました。その時は3人で伊豆かどこかへ遊びに行くのかな? と思って見ていましたが、今回、エアクラフトがイルデパン島に到着して外に出た時の景色が水鏡で見たものと同じだとすぐに気がつきました。ただその時はまだ『世界の隙間』に入っておらず、まさかエアクラフトがニューカレドニアに到着したとは思っていませんでした。『組織』が気を利かせてくれて、トレーニングの帰りに私たちに夏休みをくれたのかな?と、その時は思いました」
「『組織』は緩やかな体制をとっていますが、トレーニングから帰還中のエアクラフトを使って、能力者をリゾートに運ぶようなサービスはしておりません(亜香里『ですよね、大きな勘違いでした』)、まあ、分かっていて言ったのだと思いますが… そうなると3人とも水鏡で、2~3日後に行くイルデパン島の様子を見たことになりますが、小林さんは『世界の隙間』に入る直前の映像、藤沢さんと篠原さんは『世界の隙間』に入ってからの映像を見たということですね?」
3人は『そんな感じです』と答えた。
「トレーニング中に関するインタビューは以上です。次に『世界の隙間』に入ってからのことを聞きますが、続けて良いですか?」
「インタビューを急いでおられるのは分かりますが、早くこのボディースーツを脱ぎたいです」
亜香里は左足のギブスとボディースーツがつながっている部分を捲り上げた格好で、着替えを申し入れる。
「気が利かずに申し訳ない。下の階に降りれば皆さんの部屋で着替え直すこともできるのですが、再度このフロアに集まるのに時間が掛かるので、桜井さん、この階のクローゼットがある別室に連れて行って、リラックスしたものに着替えてから、この部屋に戻って来てもらえますか?」
「承知しました、じゃあ一旦着替え休憩ということで、10分後にここへ集まることでよろしいですか?(江島氏『了解』)では皆さん、着替えに行きましょう」
桜井由貴は3人を引率してミーティングルームを出て行く。
ミーティングルームに残った江島氏は、ミーティングルームの壁一面になっているディスプレイを起動して、亜香里たちがトレーニングで使用した『ロスロリアン』水鏡の調査を『組織』に依頼した。