155.研修からの帰還 その8
セント・ジョセフ大聖堂にある『世界の隙間』の入口から、2020年に戻って来た4人は大聖堂の外に出て、木陰に入り周りに他の人が居ないことを確認して、パーソナルシールドの光学迷彩をオフにした。
「やったー! これで日本に帰れる」
いくら高機能なジャンプスーツを着ているとはいえ、暑くて片足が不自由な亜香里は、冷房が効いていて安心出来る日本に早く帰りたいところである。
「3人とも直ぐに日本に帰りたい? 今日は土曜日だからココで一泊するくらいの余裕はあると思うけど」
桜井由貴の提案に、優衣は『初めて来たところなので、リゾートでの一泊は良いですね』と泊まる気満々。
桜井由貴が3人に余裕を見せてリゾート地での休暇を提案していると、スマートフォンにコールが入ってきた。
『桜井です』
『東京の高橋です、3人を無事に連れ帰れた様で安心しました。直ぐにエアクラフトで東京へ戻って来て下さい、3人のエアクラフトがまた違うところへ行ってしまわない様に、桜井さんのエアクラフトを追尾するモードで従わせ、その後ろにバックアップのエアクラフトを追尾させて下さい』
『私が昨晩止まったホテルの部屋が、そのままなのですが』
『部屋に『組織』のツールなどを置きっぱなしには、していませんよね?』
『はい、全部リュックに入れて持ち歩いています』
『であれば、部屋は放っておいて下さい『組織』で対処します。昨日、競馬場に駐機したままのエアクラフトにはこちらから行き先を設定済みです。とにかく直ぐに戻って来てください。以上です』
スマートフォンの通話が切れ、『ハァ』とため息をつく由貴。
「今の通話が聞こえたと思いますが、ニューカレドニアでの一泊休暇は無くなりました、ここからタクシーで十分くらいのところにある競馬場にエアクラフトを停めているので、急いで日本に帰りましょう」
桜井由貴の説明に、亜香里たちは口には出さないものの、思いは三人三様である。
(早く帰りたい。ジャンプスーツを早く脱ぎたいし、ギブスの中が痒くなってきた)亜香里はとにかく帰りたいと思っていた。
(せっかく来たのに勿体ないです。フレンチポリネシアは前から行きたかったところなので… ここからだとタヒチのボラボラ島までエアクラフトだと直ぐなのに』優衣は南太平洋旅行を楽しみにしていた。
(今の時代ならジョイスティック装備のクルーザーもレンタルがあるはずだから、それで周りの島をちょっとクルージングしてみたかったな』詩織は初めて海外での(無免許)操舵に味をしめた模様。
そんな彼女たちの気持ちを知ってか知らずか、由貴は黒いジャンプスーツを着た3人を引き連れて道路を歩き始めた。
「桜井先輩、私たちの格好だとタクシーは停まってくれないのではないですか?」
優衣が気を利かせて聞いてみる。
「そういう心配はしなくても大丈夫です」
桜井由貴は近くを走っていた、乗客が乗っていない観光バスに軽く手を挙げると、観光バスは4人の前で停止しドアが開いた。
由貴はステップに足を掛けバスに乗り込み、3人はそれを見ていた。
「ボーッ見ていないで早く乗って! 東京が『早く帰って来い』と言っていたでしょう?」
トレーニングで疲れている後輩を慰労しようと思い、ニューカレドニアでの一泊を提案したら、東京から帰国を急かされ、由貴はちょっとご機嫌斜め。
その様子を見て、亜香里たちは速やかに観光バスに乗り込んだ。
まもなく観光バスはエアクラフトが駐機されているアンリ・ミラール競馬場の前に到着する。
由貴は3人を先に下ろし、運転手に挨拶してバスを降りると観光バスは、向かいにあるヒルトン ヌメア ラ プロムナード レジデンシズへ向かって行った。
「桜井先輩、今の観光バスの手配は能力を使ったのですか?」
優衣が『走っているバスの運転手に精神感応を使うのって難しそう』と思いながら聞いてみた。
「ええ、あの観光バスは昨日泊まったホテルで見かけたから、この辺をグルグル回っているのかなと思い、使わせてもらいました。使わせてもらったけど通常の運行ルートと同じだと思います。ホテルに戻る予定だったみたいだから。そんなことよりも、ここからパーソナルシールドを光学迷彩にしてそのままエアクラフトに乗り込みます。皆さんは場所が分からないと思いますので、『世界の隙間』の入口を抜けた時と同様に私を先頭にして手を繋いで、ついて来てください」
由貴は昨日の夕方停めて光学迷彩が起動したままのエアクラフトまで、迷わずに歩いて辿り着き、3人には隣に駐機している自分たちが乗って来たエアクラフトに乗り込む様に指示をした。
亜香里たち3人がエアクラフトに乗り込みシートベルトを締めると、モニターに、桜井由貴が映し出される。
「みなさん、お疲れ様でした。そのエアクラフトは私が乗っているエアクラフトに、ついていく様に設定されています。おそらく東京には2時間ほどで着くと思います。みなさんが実施したトレーニングの内容については『組織』も把握していますが、イルデパン島に着いてからのことは不明なため、到着したらインタビューがあると思いますので、到着するまでに心の準備をしておいて下さい。以上です」
モニターから桜井由貴が消えると、エアクラフトはいつもの通り強烈な上昇を始めた。
エアクラフトの急激な上昇が終わり、水平方向への横Gが終わるとシートベルト着用のサインが消え、同時に光学迷彩も取れて久々に高高度の空の景色を眺めることができた。
亜香里は窓から景色を眺める前に座席を立ち、ストレージにあるギャレーに向かう。
「さっきクルーザーの中で、あれだけ食べたのに、もうお腹が空いたの?」
「お腹が空いたわけじゃないけど、とりあえず内容の確認です。桜井先輩が『インタビューの心の準備をしておくように』って言ってたから、まずその前にお腹の準備も必要だと思います。オッ? このエアクラフトって、ニュージーランドから乗って来たもののはずだけど、あの時は食事抜きだったからギャレーにあった食事を結構食べたと思うのに、ちゃんと全部補充されてますねぇ、誰がやったんだろう?」
「そうなんですか?『組織』の設備はそういうところが多いですね。なんだか知らない間にちゃんとなっているというか、準備されているというか… 小人さんでも居るのでしょうか?」
「僕妖精? それだとハリーポッターの世界になっちゃうよ。そうかー、そう言えば『組織』のトレーニングにはハリーポッターが出てきてないね。今度お願いしてみるかな」
「ほんと、亜香里の映画好きには感心するよ。それに合わせているわけではないと思うけど『組織』のトレーニングが毎回、ハリウッド映画の設定というのは、どうしてだろう?」
「そうしないと、亜香里さんがトレーニングに真剣に取り組まないからとか?」
「優衣も言ってくれるねぇ、そう言えば最近は優衣の肩を揉んでないなぁ。足首の骨折が治るまで、しばらく優衣に肩を貸してもらおうかな?」
「亜香里さんが歩くのに肩はいくらでもお貸ししますけど、掴まれるのは勘弁して下さい。あれをやられると頭痛がしてきます」
「優衣、心配いらないよ、亜香里はしばらくの間、片足が不自由だから、肩を掴まれたら直ぐに逃げ出せば大丈夫」
「2人とも怪我人には優しくして下さいよ。か弱気乙女が骨折してるのですから」
「はいはい、ショルダークローで同期を痛ぶる、か弱気乙女ね」
詩織は自分で言っておいてツボったのか笑い始め、2人もつられて笑いだし、日本に向けて超音速で飛行するエアクラフトの中は、久しぶりに和やかな雰囲気であった。