125.『世界の隙間』の負傷? その4
「優衣がおうちに帰ってから、今日で何日目だっけ?」
「えっとー、先週の月曜日に実家へ移送されたから、今日で8日目かな?」
2人とも本当は分かっているのだが、あえて日数を確認することが毎日の日課になっていた。
「そっかー、長いなぁー、ちっちゃいエルフがいないと通勤に張り合いが出ないよ」
月曜日の朝、最寄り駅から会社への道を歩く亜香里と詩織。
いつもだと、この辺で亜香里と優衣のくちバトルが始まるタイミングなのだが、相手がいないため休戦状態が続いていた。
「亜香里は今日も行くの?」
「当然です、優衣が目を覚ますまで、続けます」
亜香里は優衣が倒れた次の日から『神社で倒れたから神社で、お百度参りをすれば、必ず回復するはず』という思いにもとづき毎日、都内の神社巡りをしながら、お百度参りを続けていた。
お百度参りは本来、同じ社寺に百日間毎日通って参拝するもので、毎日参拝先を変えると意味がないのだが。
詩織も出来るだけ、亜香里に付き合って神社巡りをする一方、競泳界の知り合いを通じて、昏睡状態ないしそれに似た状態に陥った選手が、意識を回復させる方法の手掛かりを探るべく、時間の合間を見つけてナショナルトレーニングセンターに勤めるスタッフから専門家の紹介を受け、治療方法などを聞きに行ったりしていた。
肝心の優衣の回復状況は、容体を実家に聞きに行く訳にもいかず、2人は悶々とする日々を送っていた。
勤務時間以外を、お百度参りと詩織はトレセンへの問い合わせに使っていたため、寮に帰ってジムやプールでトレーニングをする暇もなく、今まで週ごとに誰かが行っていた『組織』のミッションも、先週は(当然だが)『組織』から何の連絡もなかった。
亜香里と詩織の『組織』の世話人でもあり、職場の先輩社員でもある、本居里穂と香取早苗とは、今まで通り職場で一緒に仕事はするものの『組織』絡みの話をすることはなく(そもそも会社で『組織』の話をすることは禁止だが)寮でも顔を合わせることもなかった。
お昼休み、用事がなければ社食で一緒に食事をする亜香里と詩織の習慣は相変わらずだが、そこに優衣の姿はなかった。
「うーん、やっぱり調子が出ないよ。優衣がいなくなってから一週間以上経つけど、ココに(と言って、斜め向かいの空席を指し示す)チビッ子エルフが居ないと食事をしていても、ピリッとしないのよね」
「亜香里のその言い方だと、優衣は食事の香辛料みたいじゃない?」
「詩織は上手いことを言うね。そうだよ、そうそう。『山椒は小粒でもぴりりと辛い』って言うじゃない? 優衣って、研修が始まった頃は直ぐにビービー泣くし(亜香里の頭の中では、新入社員研修と『組織』のトレーニングが一緒になっている)、『淑女です』とか言いながら、無駄に女子力が高かったりして、最初は『変な子だな』と思っていたけど、トレーニングでは必ず『組織』のお迎え方法を見つけるし、『世界の隙間』に入ると妙に冴えた進め方を提案してくれるし、料理のスパイスみたいに欠かせない存在ですよ」
言っている亜香里本人が、褒めているのか、貶しているのか分からないまま話をするが、話し終わると薄らと目が潤んでいた。
詩織はそれに気がつき、話題を変える。
「亜香里さぁ、今日のお百度参りは気分を変えて、ウチラに因縁のあるところへ行かない?」
「私たちに因縁のある神社とかあるの?」
「前に皇居へ走りに行ったとき、大手町で変なのに追いかけられたじゃない?」
「あっ! 将門首! でもあそこに神社は無かったよ?」
「そう、今はないけど、昔はあそこに神田明神があったみたい。あのあと調べてみたのだけど、七三〇年に大国様を祀って、今の千代田区大手町、この前火の玉が出てきたところに神社が建てられて、一三〇九年に平将門を祀ったらしいの。今の場所の外神田には千六百十六年に移ったそうよ」
「へぇー、神社も移動するのね。それなら今の神田明神には『世界の隙間』の入口がある可能性は少ないのね。勉強になりました。では気を取り直して今日のお百度参りは、二度と将門首に追いかけられないお祓いも含めて、神田明神へ出掛けましょう。詩織は今日、定時退社出来そう? 私は大丈夫だけど」
「たぶん大丈夫、定時十分後ぐらいにロビーで待ち合わせましょう」
「詩織、お待たせ! 行こうか? どこの駅から行く?」
「あのあと行き方を考えたんだけど、とりあえずいつものターミナル駅からが早そうだから、いつもの道を歩こうよ」
梅雨の晴れ間の夕方、蒸し暑い7月の初旬、亜香里と詩織は会社を出て駅に向かって歩き始めた。
すると駅方向から見たことのある大型バイクが、聞いたことのある吸排気音を響かせながら2人の近くまで迫って来る。目の前で急停止をして足つきの覚束ないライダーがバイクを飛び降りる様に降りてきて、2人の前に現れた。
ヘルメットを取ると、篠原優衣が目の前に立っている。
突然の優衣の登場に、亜香里と詩織はその場に固まったまま、目を見開きフリーズしている。
ニコニコしながら、優衣が話し掛ける。
「亜香里さん、詩織さん、大変ご心配をおかけしました。無事回復しましたので、明日からいつものとおり出社します」
「エェーッ! 優衣!? ホントに優衣なの? 足はあるの? 本物なの?」
亜香里の言葉は途中から訳が分からなくなり、最後にはライダーズスーツを着ている優衣を抱きしめて大声で泣き始め、詩織も震えを押さえながら2人を抱きしめた。
威圧感のあるスーパーバイクの横で、ライダーズスーツとオフィススーツを着た女性3人が立ったまま抱き合い、涙を流している。
帰宅を始めた周りを通り過ぎる社員からは『何ごと? 何かの撮影?』とジロジロ見られ、歩道側を向いて立っている優衣は少し恥ずかしかった。
しばらくして突然の再会ショックがようやく収まり、どこかのお店に入って話をしようかとなったが、優衣は親に内緒で家から出てきたので直ぐに戻らなくてはならないことと『組織』の話をお店の中では出来ないため、近くのベンチに座って話をすることにした。
優衣の話によれば、優衣は土曜日に意識が戻り、篠原家秘伝(?)の漢方薬や鍼灸治療と篠原家独自のトレーニングで短期間のうちに心身ともに元に戻ったとのことだった。
優衣の話を聞いて(やっぱり、優衣ん家は特殊だったんだ)と、最初の自分の見立てが正しかったことを確信した詩織だったが、肝心の特殊性の中身までは、未だに謎である。
「優衣の説明で今の状況は分かったけど、優衣はこれからも今まで通りに会社に来て仕事をして『組織』からお呼びがあれば、ミッションに参加出来るの?」
亜香里は『組織』の医務室で、江島氏と優衣の父親から説明があった篠原家の特殊性を思い出すと、優衣とは今まで通りの関わり方が出来なくなると思っている。
「亜香里さん、何を言っているのですか? 未だリハビリが残っていますけど、今まで通り会社に出社して『組織』からお呼びがあれば、喜んでミッションに参加しますよ。『世界の隙間』ミッションだけは、チョット考えさせてもらいたいですが…」
「そうなの? じゃあ今まで通りね。嬉しい! 数少ないエルフの友人だもの」
「私はエルフでは、ありません、淑女です!」
久々に優衣の『淑女』発言を聞いて、笑みがこぼれる亜香里と詩織だった。
『組織』の日本本部ミーティングルームに、江島氏と高橋氏が集まり、江島氏が話し始めた。
「先ほど、篠原昭人氏から連絡があり、篠原優衣が無事回復したそうです。明日から通常の出社をされるとのことです。自宅でしばらくリハビリを続けるようですが、普通の生活をする上で支障は無いそうです」
「それを聞いてホッとしました。今回の『組織』のレポートを読みましたが、小林さんたち3人が行ってしまった『世界の隙間』には考えさせられました」
「言われるとおりです。私はココで捜索本部のようなことをやっていたのですが、当初の想定をはるかに上回る事ばかりが起き、あの一日は一週間ぐらいに感じられました」
「今回の件があっても『組織』は『世界の隙間』の探索を止めないのでしょうか?」
「それについては『組織』のパートナーである篠原家の方から『安全性が担保されるまで、篠原優衣を『世界の隙間』ミッションには参加させられない』と『組織』の上の方に申入があったそうです。しばらくの間『世界の隙間』ミッションは中断になると思います。小林亜香里、藤沢詩織、そして篠原優衣の3人だけが『世界の隙間』に対して特別の感度を持っていますので、この3人を抜きにしたミッションの継続は考えられません」
「そうですか、個人的にはそれが良かったと思います。それにしても篠原優衣さんが特殊な状況の中で、AIが分析判定した能力とは言え『death』を使ったのには驚きました。その様な特殊な能力があるというのは聞いたことはありますが、身近な能力者、いえ能力者補が一度に数十人を相手にそれを使ったというのは、驚きとしか言いようがありません」
「それについては父親の篠原昭人氏も心配しており、私との話の中で『能力者補になってまだ間もないので、ミッションでは無くもう少し一般的なトレーニングを行った方が良いのではないか?』との提案があり、確かにもっと普通の能力を伸ばすためのトレーニングを実施した方が良いと思っています」
「ということは、研修センターで行ったトレーニングの延長路線、ということですか?」
「その通りです、それで高橋さんをお呼びした次第です」
「分かりました、篠原優衣の体調の回復状況にもよると思いますが、3人を対象にしたトレーニングプランの作成と実施を検討します。規模と期間、予算は今まで通りですね」
「はい、『組織』にとって貴重な人材ですので、費用は惜しまずに投入して下さい。よろしくお願いします」
「承知しました、プランが出来次第『組織』の承認を取って実施します」
4月下旬から続いたエピソードに、ようやく区切りがつきました
途中1ヶ月間の休止がありましたが、そのあとも遅々として進まずで...
3人が再開するシーンは最初から思い浮かべていましたが、そこに至るまでが思うように行かず、途中で、このエピソードを最初から一括削除しようかな? とも思っていました
そんなとき『JINKE小説大賞』最終選考2作品に残るというWeb告知を見て(どうしよう?)、物語の進展がますます遅れましたが、最近改めて『自分が面白いと思うことを書き続ければいいんだよね ( このお話の主人公みたいです )』 と気がつき、投稿を再開しました。
この物語を書き始めたときのような、Monday to Friday の連載とはなりませんが、書き続けようと思います
よろしくお願いいたします
MOH