TS王女は元恋人との接し方がわからない
『珍しい精霊と契約することができたんだ。ちょっと見てくれないかい?』
『へぇ、どんな精霊なのかしら』
契約を結ぶことができたのは、花を司り春の訪れを知らせる精霊クロリス。
呼びかけに応じて、真っ赤なアネモネの花びらが舞い上がった。
『これは……』
『精霊クロリスだよ。……エリサ、今回の依頼が終わったらさ、僕と結婚してくれないか』
『それを言うために契約したの?』
くすくすと笑う彼女に顔が熱くなる。
『うっ……た、偶々だよ! ちょうど良かっただけだ!』
『いつもは頼りになるのに、偶に馬鹿よね。でも、ありがとう……嬉しいわ』
はにかむ彼女の顔が忘れられない。
過去に思いを馳せ、閉じていた瞳を静かに開いた。眼前には、痩せ細りかつての面影を僅かに残す男の姿があった。男の名は、ジェラルド=ジオノ=エレスト。エレスト王国の現国王。
「マリアンヌ、近くに来ておくれ」
「わかりました、お父様」
私は父の声に答え、側に寄る。この男は今、何を考えているのだろうか。満ち足りた表情に吐き気がする。私はこの男に愛する人を奪われ、自らも殺されたのだから。
「マリアンヌ、王位継承権を放棄させてすまない。こうするしかなかったのだ……」
「お父様……」
女癖の悪さから、大勢の側室と妾を囲う王様。王子の頃から悪名を轟かせていたが、いつの頃からか傍若無人な態度はなりを潜め、民を愛する賢王と呼ばれるようになる。しかし、多すぎた側室と妾の弊害により、数十人にも及ぶ息子と娘による世継ぎの問題が発生した。晩年になり迎えた妾との間に生まれた娘を最も愛していたが、それ故に魔窟と化した王宮から遠ざけようと画策した。
「君にも、申し訳ない事をした。恨んでくれて構わない。でも、どうか、この子だけは守ってくれないか。頼む……」
最期を迎える王の側には、もう一人の女がいた。きらきら輝く金髪に長い耳、整った美貌の持ち主は王族で唯一のエルフ。長い時を生きる彼女なら、愛する我が子を守り続けることができると信じられた。
「仰せのままに」
無表情で告げた彼女の言葉に王は安堵したのか、穏やかな表情で静かに息を引き取った。
バキン
エルフの女に嵌められていた隷属の腕輪が砕け散る。王の死により解放されたのか?いや……そんなはずはない。術者は街の奴隷商のはずだ。以前から効力を失っており、いま砕いただけ。
王の亡骸を見つめていた彼女の瞳に、憎悪と侮蔑の色が浮かんだ。顔を歪ませた彼女はこちらを一瞥し、立ち去った。
数奇な運命だなと思う。愛する彼女の側に居られるなら、全てを捨てても良いと思っていた。生まれ変わっても君を探し出して会いに行くと意気込んで、彼女に笑われたこともある。人間の僕とエルフの彼女ではどうしても寿命が違ったから。
先日亡くなった男の顔が脳裏によぎる。あの男の依頼を受けたことが間違いだった。王族からの指名依頼。断ればエレスト王国で冒険者を続けられないほど信頼を失うことになる。破格の報酬金にも目が眩んだ。
いざ依頼を受けると、王子が王都に帰還する際の護衛任務だった。道中、特に苦労することもなく依頼を完遂することができた。報酬とは別にお礼をしたいという王子の言葉を無下にできず、城下の酒場を貸し切った宴が催された。エリサに言い寄る王子の姿に釈然としないものを感じたが、護衛任務に参加していた騎士たちとの会話は弾んだ。飲み過ぎたのか、急激に眠気を感じ、そのまま机に突っ伏した。
微かに女の声が聞こえ、目を覚ますと、信じられない光景が繰り広げられていた。王子が、エリサを目の前で――頭に血が上り、咄嗟に精霊魔法を使おうとしたが発動しなかった。首に隷属の首輪が嵌っていたからだ。猿ぐつわを噛まされ、縄で椅子に固定された身体は思うように動かない。嗤う男と虚ろな目をした女の姿。響く嘲笑と喘ぎ声に耐え切れず暴れようとして、椅子ごと倒れ伏した。見続けることしかできなかった。
満足したのか、男は女を打ち捨て、床に転がる僕に詰め寄った。髪を掴み、顔を近づけた男は「エルフは始めてなんだが、良いな。俺にくれよ」下卑た笑みを浮かべ、僕の首を躊躇なくナイフで切り裂いた。真っ赤に染まる視界の中、絶望に染まる彼女の表情に心残りを感じた。
遠くに聞こえる幼子の鳴き声で意識が覚醒した。優しく微笑む女に抱かれた身体は小さく、酷く頼りない。満足に手も動かせなかった。泣き叫んでいたのは僕自身だった。どこからか伸ばされた手が、頬に触れた。女の視線を辿ると男がいた。あのときの、男が。
男は王となっていた。穏やかな表情からは、あのとき見た下卑た男の顔には重ならなかった。記憶が混乱する。夢を見ているのか。誰が望んだ夢なのか。夢なら醒めて欲しかった。
食事と睡眠を繰り返し、ようやく歩けるようになった頃、彼女と再会した。夢ではなかった。
エリサは王の側室になっていた。息子が一人おり、私の腹違いの兄を産んでいた。彼女の無機質な瞳は何を映しているのか分からなかった。
数日後、彼女の息子が亡くなった。
エリサの息子の死を皮切りに、跡目争いが表面化し始めた。派閥が入り乱れ、誰もが疑心暗鬼になっていた。そんな中、私の母親が亡くなる。王の寵愛を一心に受けた妾。誰もが疎ましく思っていたが、王の不興を買うことを恐れ、手を出さなかった存在。
私は母親が死ぬ瞬間まで抱きかかえられていた。だから、誰の仕業なのか気がついてしまった。母親を不可視の精霊が包み込んでいたから。精霊の名はバンシー。近しい者の死により契約の条件が揃う、死を告げる精霊。彼女の殺意を肌で感じた。
王の愛情は私だけに注がれるようになった。狂おしいほど憎んでいるのに、男の愛に守られ生きることを強いられた。いつか殺すことを胸に、身を寄せ続けた。そして、王が死んだ。あっけない終わりだった。
王と私にバンシーの魔の手がまとわりついていた。本当は私を先に殺したかったのだろう。愛する者を失う気持ちを死の間際に、もう一度与えたかったはずだ。
私は今世でも精霊に愛されていた。
王の遺言により王位継承権を失った私は、侍女を一人だけ残し、王宮で放置されていた。社交の場に出ることもなく、中庭の片隅でお茶をするのが日課となった。移り行く季節を花を見ながら感じていた。王宮に蔓延る死の気配には目を背けた。
そんなある日、お茶をしている私のもとにエリサが訪れた。
「どうして、あなたみたいな子が精霊に愛されているの……?」
彼女は愕然とした表情を浮かべ、静かに泣いていた。あの男、あんな奴の娘が精霊に愛されていることが赦せないのだろう。私も赦せない。あいつに呪いの言葉を吐きかけ、自害してしまおうとも考えた。でも、それはできなかった。王命で私には多くの護衛という名の監視が付いていたからだ。
目的を失い、荒れ狂う殺意も萎びた。自由になった無価値な命なら、せめて彼女に使いたい。風の精霊に呼びかけ、周囲に声が届かないように遮音する。
「私が憎いなら、殺して頂いて構いません。」
「今はまだ……あなたを殺さないわ。でも、必ず根絶やしにするから」
決意を秘めた鋭い眼差しに射貫かれる。ごめんね、エリサが殺してくれるまで待っているよ。
王と王妃は既に居らず、側室と妾、そして王子と王女が次々に病に倒れる王宮。当初は暗殺を疑っていたが、全く情報が得られないことに焦りを憶える。民衆の間からは呪われた王族とまことしやかに囁かれた。そして、側室と王子、王女が一人ずつ残ったときにやっと王宮の派閥は一つとなった。王女には王位継承権がない。残るは側室のエルフと王子だが、王国の未来を考えるならエルフを切り捨てることに躊躇いはなかった。それが例え、王国に数多く貢献した女傑であったとしてもだ。
王子はエルフが王族を惑わし、王国を貶めたと公表した。中庭で過ごす王女の耳にも届いた。
人々が寝静まる深夜。王宮の地下を息を潜めて歩く人影。居眠りをする看守を更に深い眠りに誘い、投獄されたエルフに歩み寄った。
「誰も信じてはいなかったけど、証拠も無しに捕まえられるなんて思わなかったわ。自業自得ではあるんだけど」
牢獄の中でエリサは力なく笑う。
「エリサ様……復讐は諦めるのですか?」
「もう私に打つ手は無いわね。でも、この魂を使ってでもこの国を呪い続けてやるわ」
「そうですか……」
暗い瞳に燃え盛るような執念を感じた。もう時間がない。日が昇れば処刑が行われるのだ。後ろ髪を引かれる思いで立ち去った。
春の陽気が気持ちの良い快晴だった。エルフは断頭台のある広場に騎士を伴い歩いていく。今から処刑される者とは思えないほどの威厳を携えて。
幸せな人生を壊され、復讐に邁進した日々。仇は討ったが、何の感慨も湧かなかった。男の忘れ形見を殺そうとも思ったが、どうしてか殺せなかった。精霊に愛されていたから――それもある。でも、それ以上に王宮で唯一、あの少女だけが私をずっと見つめていた。何かを秘めたような瞳で。
私は断頭台の前に跪いた。
「この者は王を惑わした悪女だ! 多くの王族にも手を掛けた所業は万死に値する! よって、王国の未来の為にこの魔女を処刑する!!」
広場に詰めかけた民衆から歓声とエルフに対する罵声があがる。処刑を執行する騎士が跪くエルフに「首を固定するから、上を向いてくれ。良い天気だぞ?」と囁いた。気丈なエルフが気に入らないのか、落ちる刃を見せたいようだ。エルフは素直に従った。人々の熱気に包まれ、空を見上げる。
ごめんなさい、マリユス。あなたの側には行けないわ。あなたを奪ったこの国は絶対に赦さない。
斧が唸りをあげ振り下ろされ、刃を支える縄が切断された。重力に従い、刃が落ち――
《愚かなる人の子よ》
色とりどりのアネモネの花びらが広場全体を覆った。今にも落ちそうな刃は見えない壁に支えられ止まっている。
《恩を仇で返すのが習わしなのか?》
幻想的な光景と頭に響く声に広場は静まり返った。
《貴様らが捨てると言うのなら、我が貰い受ける》
エリサの眼前にマリアンヌが覆いかぶさるように現れた。吹き荒れる花びらの勢いは、もう目を開けていられないほどだ。
《この国は枯れ堕ちてしまえ》
舞っていた花びらが全て枯れ、茶色に変色し広場にいた者たちに降り注いだ。腐ったような異臭と阿鼻叫喚の惨状に民衆が恐慌する中、断頭台にいたエルフは消えていた。
「どうですか!? やってやりました!!」
ぼさぼさになった長い黒髪をはためかせ、満面の笑みを浮かべはしゃぐ少女にエリサは呆然とする。辺りを見回すと、王都の近くにある森の中のようだ。微かに残る花の香りと精霊の気配に気がつき、少女に問いかける。
「この精霊は……」
「精霊クロリスです。気難しい精霊なので、あまり契約している人いないですよね!」
「人間で、この精霊と契約を結んだのはあなたで二人目ね。もう一人のことも良く知っているのだけれど」
「す、すごい偶然ですね……」
少女の目が泳いでいる。
「ほんと馬鹿ね……」
少女の身体を強く抱きしめた。
「もっと早く助けてよっ!!」
「ひぃぃぃぃ!?」
「会いたかった……」
「……ごめん、エリサ。どんな顔をして君に会えば良いのかわからなかった。今の僕はあの男の娘なんだよ?」
「それでも教えて欲しかったわ。あなただけ知っているの不公平じゃない……」
ぶつけられた殺意と復讐に明け暮れるエリサが怖すぎて最後まで及び腰であったことは、そっと胸に秘めることにした。
マリユス/マリアンヌ(冒険者/TS王女):元A級冒険者。精霊に愛され、エルフ並みの精霊魔法が扱えた。王族を護衛する依頼を受けたことが不幸のはじまり。護衛対象の王子に恋人を寝取られ、失意の中、殺される。混濁する意識の中、目の前に映ったのは見覚えのある男の姿だった。それから更に十年が経ち、病に伏した男の最期を見届けた。男は護衛対象の元王子であり、主人公は娘として生まれ変わっていた。復讐心を胸に秘め、殺意の高すぎるヒロインに命を狙われ怯えつつも、心の中で応援していた。エリサになら殺されても仕方ないと思っているが、もしものために精霊魔法はこっそり練習していた。チキン。エリサを攫ったときに響いた神の声(?)を含めた演出は精霊クロリスに手伝ってもらった。
エリサ(冒険者/側室):元A級冒険者であり、主人公の恋人だったエルフ。嫉妬するほど精霊に愛されていた主人公に興味を持ったことがきっかけでパーティを組み、一緒にA級まで駆け上った過去を持つ。王族からの指名依頼には言い知れぬ不安を感じていた。純潔を散らされ、愛する男を目の前で殺されたことで復讐を目論む。側室となり王国における地位を確保し、精力的に王国に尽くして準備を整えた。マリアンヌが精霊に害されない体質であることを知った際には、自らの手で殺す為に後回しにした。王族を根絶やしにする最期の〆に自害をすることで国ごと呪う腹積もりであるため、処刑も想定の内だった。
ジェラルド(王子/王):大好きだった母親に毒を盛られたことで歪み、女にという生き物に憎悪を募らせていた。愛情に対しても懐疑的であり、"奪う"ことで欲求を満す倒錯した趣向の持ち主。異種族間の恋人として噂になっていた冒険者に目を付け、仲を引き裂いたのは面白そうだったから。大勢の妻を抱え、多くの子が生まれたが、愛は無かった。晩年になり迎えた妾に、はじめて愛情を向け、そして、愛された。愛した妾が亡くなり失意に堕ちるが、彼女の分まで娘を幸せにすることを胸に再起した。そんな彼が病に倒れ伏し、最期に側にいたのは病の元凶であるエルフと死んだ魚のような目をした愛娘だけだった。