第37話、雨の日
その女は振り返った。
フードの奥に、ふわりとボリュームのある赤い髪を隠し、女――レリエンディールの魔人アスモディアは目を細めた。
「あの小僧とお姫様」
聖アルゲナムの姫であるセラフィナを追撃する魔人軍を率いる将であるアスモディアは、距離をとって慧太、セラたちを尾行する。
「生きていた……やはり!」
地震に巻き込まれ地下へと落ちたと聞いた時は、一瞬死んだかもと考えたアスモディアだが、きちんと死体を確認せずに引き返すなどという愚かな真似はしない。
だが、グルント台地地下へ派遣した部隊は消息を断った。――これは後から地下へ降りたリアナの仕業だが、当然ながらアスモディアの知るところではない。
お姫様は生きている。
そう仮定し、地下から出たらどこに現れる可能性が高いか、アスモディアはその頭脳を働かせ推測を重ねた。現在位置からライガネンを目指すとして、バーリッシュ川を渡らなくてはならない。その上で高い確率で通過する点は、橋のあるシファードの町だ。それならば、橋のところで見張っていれば、いずれお姫様らは現れる――念のため、橋を落としてみれば、その日のうちにセラフィナ姫一行はシファードに姿を見せた。
アスモディアの推測どおりに。
――まあ、賭けではあったのだけれど。
橋を使わず、舟で川を渡る場合もある。もちろんシファード以外の川辺の集落では橋はないが舟はあるのだ。念のため保有する軍勢から、そうした集落に小部隊を派遣したが、自ら赴いたシファードで遭遇できたのは、彼女自身の賭けの強さも無関係ではないだろう。
セラフィナらの行き先を確認した後、アスモディアは建物の影で、自らの使い魔を召喚した。羽の生えた小鬼型の使い魔を、シファード近くで待機している部隊へ伝令を派遣する。
今度こそ、逃がさない――
「ここがあなたの終焉の地となるのよ、お姫様」
・ ・ ・
ユウラが手配した宿は、表通りから一つ路地を入ったところにある道に面していた。主に旅の商人らが用いるホテルで、レベルで見れば『高級』に属しているらしい。
「個室があって、ベッドがある!」
わざとらしくユウラは言うのである。宿泊に当たって、部屋を二つとった。一つはユウラと慧太。残る一つはセラとリアナだ。アルフォンソは、宿の周りに影に溶け込み警戒している。……決して宿代をケチったわけではない。
「きちんとベッドがあるだけで高級ホテルとはねえ」
慧太は首を小さく振る。その部屋は一人部屋であり、小さな机と椅子が一つと、服をかけるラック、ベッドが一つだけだった。
「ベッドが一つしかないんだが?」
「二人部屋は高いんですよ」
ユウラは窓際まで移動する。
「セラ姫とリアナの分は出せても、あなたの分まで出す気はないです」
訂正、アルフォンソは宿代の犠牲になったかもしれない。
宿代は傭兵団から預かっているお金とユウラのポケットマネーから出ている。セラには無報酬で護衛を、などと言ったが、道中お金はかかるのである。お金のことを言い出せば、護衛以外で稼がないと明らかにマイナスなのだ。
「野郎だから扱いが酷いのか?」
皮肉れば、ユウラは首を横に振った。
「僕はできればシェイプシフターベッドに寝たいんですよ。あれ寝心地がとてもよくてね」
「……ああ」
慧太は思い当たり、相槌を打った。傭兵団のアジトに居た頃、慧太の分身体から作った家具があり、特にベッドは一部の団員から好評だったのだ。
「そんなわけなので、この部屋のベッドはあなたにお譲りします」
「じゃあ、いまベッドを出すか?」
慧太は自身の影に溜め込んでいる身体の一部を分割させようとする。だがユウラは左手の指を立て横に振った。
「後でいいですよ。この部屋は狭いので」
ああ、と慧太は頷く。ユウラは窓の外を見ていた。いまだ雨が降り続いているが、何を見ているのか。
「どうかしたか?」
「……慧太くん、魔力残滓という言葉を知っていますか?」
唐突だった。魔力残滓――
「いや、聞いたことがないな」
「魔法を使うと目には見えませんが、集まった魔力がそこに残ります。より正確に言えば、発動する前に吸い寄せられたものが、魔法に変換されずに残ったもの、でしょうか」
魔法については専門外である慧太である。
「魔法というのは、大気中の魔力――マナだとかエナジーとか呼び方は様々ですが、それらを集めて発動させます。呪文は集めた魔力を魔法に変換するための補完でしかなく、魔力がなければ、魔法は発動しません」
「……あー、うん。魔法学の講義をどうも」
長くなりそうな雰囲気を察し、慧太は間を切る。
「で、魔力残滓がどうかしたのか?」
「……ふむ」
ユウラは顎に手を当てて考え込んでいる。視線はやはり窓の外を見たままだ。
「慧太くん、悪いですが、しばらく部屋を出ていてもらえませんか?」
「は?」
慧太は目を丸くする。まだ昼前だし寝るのは早いが……。
「町をぐるっと回ってきてはどうでしょう? シファードは色々なものが通る町ですから、珍しいものを見つけられるかも。あと、景色が綺麗だったりしますよ」
青髪の魔術師はにこやかに言うのである。慧太は、ちらと窓の外へと視線を向ける。
「大変面白そうな提案ではあるがな、ユウラ。外は雨なんだが?」
・ ・ ・
要するに部屋を追い出されたわけだが、慧太はその足でセラたちの泊まっている部屋へと向かった。
コンコンとドアをノックすれば「開いてる」と淡白なリアナの返事。
ドアを開ければ、部屋の奥にベッドが二つ並んでいて、片方のベッドで銀髪のお姫様が毛布かぶってお休みになられていた。……もう寝ているんだ。
リアナはと視線を走らせれば――
「……おおっと」
とっさに目元を手で覆う。リアナは椅子に座り、机に置いた武具の手入れをしていた。 素っ裸かで。
発展途上の胸、すらりとした腰まわりを惜しげもなくさらす少女は、特に慌てる様子もなく慧太を一瞥すると、作業に戻った。
「何か用?」
「ああ、いや……別に」
慧太は覆った手の指を動かして、ちらり。透き通るような白い肌、ふさふさの尻尾。
「ユウラに部屋を追い出されたんだ。町を見て回れってさ」
「この雨の中?」
リアナは腕防具の手入れの手を止めて慧太を見た。慧太はドア横にもたれ、彼女の裸を見ないよう視線をずらしながら苦笑した。
「そう、いってらっしゃい」
「……うん」
さすがにこの雨の中、一緒に「出かけないか?」と言うのは憚れる。
「ところで、セラはいつ寝た?」
わかれてからさほど時間が経っていないはずだが。
「ついさっき。……いつから旅をしているか知らないけど、ベッドで休める機会なんてそうない」
リアナは小手を磨く。慧太は頷いた。
「それもそうだな……」
お姫様は何も言わないが、長旅で疲労が溜まっているはずだ。昨日は雨が降っている中での野宿だった。シェイプシフターの身体だとさほど疲れを感じないので、時々生身の人間のことを忘れてしまう。
「ちなみに」とリアナは立ち上がり、セラの寝ているベッド横へ移動する。
「彼女もいま裸だけど……見ていく?」
「はっ?」
慧太は思わず視線を向け、リアナの全裸を直視し、慌てて背中を向けた。瞬時に顔が沸騰するような熱を感じる。
セラの裸――銀髪美少女が一糸纏わぬ姿で寝ている――それが脳裏によぎり、どうしようもなく慧太の心はかき乱される。
「遠慮しておく。邪魔したな」
慧太はドアを閉める。もちろんセラを起こさないように静かにだ。
仲間内でお喋りでもしようかと思えば、リアナが全裸だったり、セラがやはり全裸で寝ていたりと、タイミングがよろしくない。
出かけようにも、外は雨で。
――下で何かつまんでくるか。
宿一階へ降りる階段に差し掛かる。それなりに手入れの行き届いたホテル内。綺麗に磨きぬかれた木の手すりを撫でつつ、慧太は一人歩くのだった。




