第36話、川辺の町シファード
バーリッシュ川は、リッケンシルト国の中西部から南へと流れる大きな川だ。その川幅は広く、向こう岸に渡るのは主に船を利用する。橋もあるが、その長大な川の長さに対して、わずか三本しかなかった。
その三本の橋の一つ、ゴルド橋を対岸までかける町が、シファードである。
雨が降り続く天候の中、首都に通じるズフィード街道に合流した慧太たちは、やがて川辺の町に到着した。
二階から三階建ての建物が立ち並ぶ。目の栄えるような赤い三角屋根。漆喰で壁を覆い、小洒落た配色や窓飾りなど、ずいぶんと都会的な町並みだ。街道に繋がる中央の道は石畳が敷かれていて整備されていた。
「まあ……生憎の雨ですけどね」
ユウラが皮肉げに口もとを歪めた。
街道から町へと到着し、本来は人の通行で賑わっているシファードのメインストリートも閑散としていた。フードや帽子で雨から顔を守りながら、急ぎ足で行きかう人々もまた自然と口数は少なく、そそくさと移動している。
「本当なら、この時間は市場で、人がごった返しているんですが」
ユウラは町に入ってすぐの休憩所へと誘う。酒や飲み物を提供するバーらしく、旅人や、この雨で仕事がなくなったと思しき男たちが飲んだり、談笑していた。屋根はあるが壁はカウンターがある一面のみ。そこで店主が注文に答えて酒などを用意していた。
ユウラに続き、セラが屋根の下にいくと、フードをとる。銀色の髪がこぼれ出て、周囲の野郎どもが物珍しそうな視線を寄越す。
――お前らの考えていることはわかっているぞ。
慧太は何故か面白くなかった。どうしてそう思うかはわからなかったが。慧太は振り返る。ずぶ濡れアルフォンソと、その傍らにフードを被ったリアナが立っている。
「入らないのか?」
慧太が問えば、リアナは柱の一点を指差した。そこには看板が貼り付けてあり、狼を模したマークにバツ印が刻まれていた。その下に短く書いてある文字は読めなかったが、見当はついた。
『動物、ならびに獣人お断り』
リアナは肩をすくめる。人間の町では、こういった標識があるのも珍しくない。
「待ってる」
慧太は頷くと、屋根の下に入り、フードを取った。セラがユウラと話していたのが耳に届く。
「リッケンシルトの王都に立ち寄る、ということで?」
「ええ、魔人の危機が迫っているのはこの国も同じです。現に――」
「魔人の尖兵がこの国に入り込んでいる」
ユウラはカウンターで、エールを注文した。腹の突き出た店主が背を向けている間に、セラは青髪の魔術師の隣に立つ。
「幸い、王都エアリアは、ライガネンへ行く道から外れていないはず」
「ええ……そうです」
ユウラはカウンター奥の壁に張られたリッケンシルト国の地図を指差した。セラも地図を見やり、慧太もセラの隣につきながら視線を向ける。
「ゴルド橋を渡った後は、街道に沿っていけば二日もあれば王都に着くでしょう」
カウンターにエールの入った木のコップが並ぶ。無愛想な店主に、ユウラは笑みを返したそこへ、隣に町の人間らしい小太りの中年男がやってきた。
「マスター、酒だ。強いやつをくれ!」
「まだ、昼前だ。仕事に差し支えるんじゃないか?」
「仕事も糞もあるかよ。ゴルド橋が落ちた」
「は?」
「え……!?」
店主の声と、セラのそれはほぼ同時だった。ゴルド橋が落ちたって……つまり、これから渡ろうとしたそれがなくなったことを意味する。
大変だ……!
・ ・ ・
バーリッシュ川は、昨日からの強雨で水かさが増し、土色に染まっていた。ユウラの話では、もともとこの川は川底の土の影響でこのような色をしているが、流れが速い分、見る者に畏怖の感情を与えた。
飛び石状に点在する小島――島と呼ぶには小さすぎるのだが――を土台に、ゴルド橋がかけられているが、そのほぼ中央にある二番島と三番島、その間で橋が分断されていた。
ゴルド橋から、慧太は眼下の濁流を眺める。雨脚は強く、また吹く風も冷たかった。
「あの! この橋はいつ渡れますか!?」
フードを被った外套姿のセラは、橋にいた人だかりの中にいる人に聞いていた。対岸に荷物を運ぶ途中だったという商人や地元の人間が、困り顔で橋の惨状を見やり、首を横に振っていた。
「この雨が止まんことにはなぁ……」
地元の大工が雨雲を仰いだ。
「ちょっと跳んだくらいで渡れる距離じゃないし。……材料集めなきゃだし、最低でも一、二週くらいはかかるぞ」
「そんな……」
「木の板通すとかで、人だけでも渡れないかね?」
商人風の男が言ったが、大工は首を振った。
「あの距離の板かけるはいいが、あんたの重みで途中で折れて、まっ逆さまだぞ?」
そのやりとりを聞いて、セラは絶句する。その青い瞳は、分断された橋を見て途方にくれていた。一刻も早く渡りたいのに、と表情を見れば、言わずともわかった。
やや離れたところで様子を見守っていた慧太の隣にユウラが立った。
「ねえ、慧太くん。僕は一つの解決策を提示できるのですが――」
「奇遇だな、オレもだ」
橋が駄目なら舟という手もある。この川幅だ。橋以外にも小船が行き来するだろう。だがこの大雨である。川は増水し、流れも早く舟は出せそうにない。
そうなると、あまり個人的には面白くはないが、あの手を使うしかあるまい。
セラが引き返してきた。
「ケイタ、ユウラさん……」
そんな今にも泣きそうな顔をむけないでくれ――慧太は思った。
「橋はしばらく使えそうにありません。このままではここで、かなりの足止めを強いられそうです」
「ええ、慧太くんと同じことを話していました」
ユウラが答える。慧太は首を振った。
「橋は問題ない。アルフォンソを橋代わりに使えば、あれくらいなら渡れる」
「! そんなことができるのですか!?」
セラが驚きの声を上げる。
シェイプシフターの変身能力は何も生き物だけではない。ゴルド橋全部がなくなっているならともかく、数メートル単位の裂け目なら充分に対応可能だ。
「渡るだけならな。だが今は人の目がある」
大勢のいる前で、シェイプシフターの橋渡しを見せるのはあまりよろしくない。人の認識からすれば、シェイプシフターは化物である。
仮にそれをスルーしてくれたとしても、橋が渡れるとなれば、足止めを受けている人間はそれを利用しようとして、アルフォンソが動けなくなってしまう。こっちが急いでいる身となれば、全員の面倒を見ている余裕もないし、まして置いていくわけにもいかない。
「ユウラ、いちおう確認するが、このシファード以外にも橋はあるよな?」
「ええ、二本あります。この町から東西にそれぞれ一本ずつ。ただ、距離があるので、数日時間を浪費することになります」
「それなら夜中だな。人がいなくなるのを待って、見られていないうちに橋を架けて川を渡る。……それでどうだろうか?」
慧太はセラに顔を向けると、銀髪のお姫様は頷いた。
「ええ、それで構いません。というよりそれが最善の方法だと思います」
セラの声は弾んでいた。一瞬閉ざされたと思われた扉が開き、その道筋が見えたからかもしれない。
ユウラが周囲を見ながら促した。
「では、夜までは近くの宿に退避しましょうか。この雨ですし」
外套が水を吸って重そうだった。
「そうしましょう」
セラは同意した。橋が渡れないと聞いたときの悲壮感はすでにない。
「シェイプシフターって凄いんですね」
「あ、あぁ。そうだろ」
慧太は思いがけない言葉に、目線が泳いだ。……わかってる。彼女はアルフォンソのことを言ったのだ。正体を隠している慧太にではないが、悪い気はしなかった。
慧太とセラが隣り合って歩く中、ユウラはシファードの町の宿へ案内を買って出た。何度かこの町を訪れているので、だいたいのことはわかると言う。
リアナとアルフォンソと合流。そのまま雨の中、町を行く。
すっと人とすれ違う。ふっと鼻に漂ってきたのは、花のような芳しい香り。
――香水。
慧太は振り返る。こんなに雨が降っているのに漂ってきた匂いの持ち主――
フード付きローブをまとった人物だ。体型からして女性だろう。飾り気のない真っ黒な身なりの女性は、背中を向け離れていく。
「……」
ケイタ――とリアナに声をかけられ、慧太は皆に追いつく。例によって雨は激しく振り続けていた。
「見ぃ~つけた!」
その女はその形のよい唇を笑みの形にゆがめた。




