第29話、ツヴィクルークの腹の中
本当に丸呑みだった。胸糞悪い異臭を感じた時には、ツヴィクルークの口を通過し飲み込まれた。
真っ暗闇の中、ヌメヌメした液体もろともウォータースライダーよろしく滑る。これで視界がよければよかったのだが、唐突にドンと弾力のある壁のようなものにぶち当たり、水が張っていると思しき地面に落ちた。
常識的に考えて、おそらくここは胃などに相当する消化器官だろう――慧太は暗闇のなか考える。
何も見えないくせに、物凄く臭くて気分が悪くなる。深く考えなくてもこの中で触れる液体は消化液だろう。どれほど強いかは知らないが身体が溶けると思うと、あまり触りたくない。
くそ。気分は最悪だった。
ナイトアイ――暗闇の中でもみえる目に変える。……それでも暗い。さすがに身体の中では光も届かないか。
光源が欲しいところだ。
――オレは、あまりそういうの得意じゃないんだよな。
自身の身体を変化させ、八センチほどの虫を手のひらに浮かべる。
この世界ではグリュムと呼ばれているその虫は、次の瞬間、背中から淡い紫色の光を発した。蛍みたいなものである。本当にかすかな光であるが、ナイトアイで強化した暗視能力には充分だった。
グノームの戦士たちが折り重なるように積みあがっているのが見えた。どうやら落ちた時にぶつかった弾力は、彼らの肉壁だったのだろう。
――思ったより広いな。
もっとギュウギュウ詰めで手狭なものかと思っていたが、倒れているグノームたちの山から降りて数歩歩く距離がある。
ビチャリと液体、おそらく消化液のそれを踏んでしまった。瞬時に溶けるほどのヤバイものではないのは、先に飲まれたグノームたちが溶けていないところからして想像がついたが、おそらく酸性だろうからあまり長い時間触れていいものではないだろう。
「さっさと脱出する方法を見つけないとな……。臭いし」
この異様な化け物のことを考えるよりも、まずは現状から抜け出さなくては。
ちら、とグノームの山を見やる。生きているのか死んでいるのか、グレゴの姿もあるが、ピクリとも動かない。
手から斧を分離し、内部から叩きつける。グジュリ、と手ごたえと共に、わずかながら水分がはねて慧太の身体に返り血の如くかかった。胃液かそれとも体液か? とにかく臭かった。……頭にきた。
「目には目を、ってな……侵食」
左手をぬめる肉壁に当て、そこから自らの身体を分離、捕食を開始する。マクバフルドを喰らった影喰い、あれのバリエーションだ。
シェイプシフター体はツヴィクルークの胃壁に徐々に黒い円を描くように穴を開け、喰らい、広がっていく。すると壁が震動し、地面が揺れた。遠くから雄叫びのような声が聞こえたのは、ツヴィクルークが悶えているのだろうか。それならいい気味だ。
やがて、壁を突き破り、わずかながらの光源が差し込む。
「もう一息……!」
慧太はさらに左手の捕食を続ける。少しずつ外の景色が見えてくる。
高さは地面より二ミータほどの位置。外側では触手が数本蠢いているのが見えた。慧太はポーチから爆弾を取り出す。こじ開けた穴から手を外に出し、爆弾の下部の突起を叩きつけて設置――すべり落ちないように指先の分身体の欠片を接着剤がわりにする。突起叩きは数秒後に爆発の時限式。
慧太は奥へと戻り積み重なっているグノーム人たち、最後に飲み込まれたためか、一番上に横たわるグレゴを揺り動かした。
「旦那! グレゴの旦那、生きてるか!?」
「……」
「おい、死んでんじゃないないだろな! おっさん!」
外で爆弾が爆発した。ツヴィクルークの本体外側からの爆発で、ぬめり気を含んだ壁片が内側に飛び、慧太の背中に当たる。
「おおぅ!?」
突然、グレゴが飛び起きた。まるで爆発音が目覚ましだったかのような挙動である。
「起きたか旦那!」
「おお……っ! ……小僧、ここは――臭ぇ……!」
「そうだよグレゴの旦那。ここは臭いからさっさと逃げるんだよ!」
爆発で開いた穴は、グノーム人でも何とか一人が通れるほどの大きさがある。
「おら! お前ら、さっさと起きるンダ!」
グレゴが下に敷いてる仲間を蹴ったり叩いたりで覚醒させる。意識を取り戻したグノームたちは頭を振ったりして、状況を確かめ合う。
「さっさと外へ逃げろ!」
「でも外――」
触手が、と言いたげなグノーム人に慧太は吠えた。
「オレの仲間が援護する! 早く逃げろ!」
「ほら、さっさといかンカ!」
グレゴが躊躇う同胞を蹴りだした。ツヴィクルークの身体の外へ飛び出したグノームは地面に手を付き、周囲を見回すと走り出す。
中からグノーム人が出てきたのを外にいる者たちも見逃さなかった。
「リアナさん!」
かすかにセラの声が聞こえた。リアナ? 何故ここにいない者の名前が聞こえたのか。空耳か。
光弾の魔法で触手やツヴィクルーク本体を牽制するセラ。アルフォンソが思いのほか前に出ているらしく、グノーム人を改めて捕らえようとする触手を手にした斧で切り落とした。
その間にも飲み込まれていたグノーム人が次々と脱出を果たす。ツヴィクルークの体液を振り払いながら慧太は振り返った。
「グレゴの旦那!」
「……わかっとる! 急くナ!」
グレゴはベルトに引っ掛けていた爆弾をはずしていた。すでに十個の爆弾が無造作に積まれていた。
「こいつに爆弾を叩き付けるのはワシの仕事ダ」
最後の爆弾を手に、にかっと白い歯を覗かせるグレゴ。
「小僧、さっさと逃げるゾ!」
慧太は頷くと亀裂から外へ。グレゴは最後に爆弾の下部の突起を自らの兜に叩き、時限装置を起動させると、無造作に積み上げた爆弾の山に放った。
数秒で爆発――グレゴもツヴィクルークの胴体から脱出すると、その短めの足を総動員して走った。
触手がグレゴを追いかけ――ツヴィクルーク本体に残した爆弾が爆発した。
一つの爆発が、残る十個の爆弾に連鎖した結果、植物じみた化け物の胴体を一瞬膨らませ、次に爆発四散させた。
ツヴィクルークの身体を構成していた触手や胴体から千切れ飛んだ破片が周囲に飛びまわり、臭い体液をぶちまけた。
爆発の寸前、慧太は伏せた。背中から衝撃波を受けて倒れるなんて間の抜けたことはしない……しない。
「……」
グレゴがひっくり返っていた。思わずにやけてしまい、だがすっと顔を逸らした。オレは見なかった。
花付き頭のついた首が地面に横たわる。完全に動かなくなった化け物の残骸を見やり、皆呆然とした様子でそれを眺めた。
「おつかれ、ケイタ」
そっけない、しかし淡々したその声と共に目の前に手が差し出された。
立っていたのは、狐耳に、狐の尻尾を持つ獣人の少女。ここにいるはずのない相棒の姿に、慧太は目を丸くした。
「オレは夢でも見ているのかな?」
地上にいるはずのリアナがこの場に現れたのは驚きを隠せなかった慧太だが、同時にホッとした。
「よくここに来れたな。どうやってきたんだ?」
「ケイタが落ちた穴から」
落盤で開いた大穴を降りてきたというのだ。だがリアナは何事もなかったように言う。
「遅れてごめん。地下に入り込んだ魔人の追手を始末してから来たから、ちょっと時間がかかった」
追手がかかっていたか――慧太は小さく首肯した。
「いいや。よくやった」
基本無表情なリアナがわずかながら照れたようにはにかんだ。それは些細な変化だが、それがわかるくらいには付き合いはある。
「いつからいた?」
「セラとアルフォンソが戦っている時。たぶん、ケイタがあの化け物に飲み込まれた直後」
「そうか」
周囲ではとグノーム人たちが歓声をあげ、両手を突き上げていた。一度は飲み込まれたものの助かった彼らは、仲間たちと無事を確かめ合い、狂喜している。
慧太はそれらを見やり、髪をかこうとして兜に触れる。固定ベルトをはずし兜を脱ぐと、リアナが珍しく淡々とした顔に幾分か不機嫌な色が見えた。
「……臭い」
「同感」
慧太は遮断していた嗅覚を戻して、思わず咽そうになった。
「ああ、本当に……臭い」
こんなものを全身に浴びたのか――慧太は眉をひそめる。そこへ「ガッハッハ」と大きな笑い声と共にグレゴがやってきて、荒々しく慧太の肩を叩いた。
「小僧! よくやってくれタナ! おかげでワシも仲間たちも命拾いしタゾ!」
「旦那もな」
でも痛ぇよ――バンバン叩いてくるグノームに慧太は、うんざりする。
「ケイタ、グレゴさん――」と、セラがそばに来た。
「お二人とも無事でよかった」
「中々酷い目にあったがね」
冗談めかす慧太に、セラは何ともいえない表情のままうつむいた。小さく笑みを浮かべようとしたが、上手くいかなかった。
「ええ、本当に。……生きていてくれてよかった。私……」
セラの青い瞳が不安に揺れる。
そりゃそうだよな――慧太は胸を詰まらせる。あの得体の知れない化け物に喰われたら、ふつう助かるとは思わない。丸呑みにされてるからまだ助かるかも、という前提で動いていたとはいえ、外から見れば不安でたまらなかったに違いない。
なんて言えばいいか、慧太が逡巡していると、グレゴがその慧太の肩を掴んだ。
「ウム、無事でよかったわい。同胞のために化け物退治を手伝わせてしまってすまんかっタナ! 道案内を――と言いたいところダガ」
まずは――とグレゴは笑った。
「風呂ダ! この臭い化け物の体液を綺麗さっぱり流してしまおう!」
次話は、火曜日夜に更新予定(明日はお休みです)。
近々、シェイプシフター転生記(元版)のほうで、第三部の予告編を投稿しようかなー、と思っております。




