六話 魔物化と魔力量
――――憎い……憎い。復讐してやる。
それは、あまりにも強い渦だった。あらゆるものを飲み込まんとし、大きくなっていく渦。
だからユナは、最初自分が水の中にいるのだと思った。
溺れてしまうことを予期して足掻こうとする。しかし、そんなことはなく息もできる。
では、この渦は何なのだろう?
そう考えた不意を突き、渦が自分を飲み込もうとする。「あっ」と思った時には遅かった。体は抵抗すら許されない流れに挟まれ、あっという間に視界が揺れる。
その、揺れた視界は景色を移り変えていき、別の光景を映し出していった。まるで、映画のフィルムのように。
――――それは、押し潰されそうな不安に駈られ、うずくまる自身の姿。いつか消滅する自分の存在が、酷く無意味であるかのように感じられた。
何も残さず、誰にも記憶されず、ただ消えていく。
それは、消滅することよりも恐怖だった。自分はここにいるのに、誰もそれを知らない。
それは、死ぬことよりも死を感じさせた。
……場面が移り変わる。
――――それは、頑強に作られた牢屋。その中で自分は鎖によって縛られ、ただ生きていた。思うことはない。考えることすら出来ない。体を蝕む痛みに耐え、死ぬことすら出来ない暗闇の中をただ生きていた。
ふと、近くに数人の人がいるのに気づく。彼らはこちらを楽しげに見つめ、腕に持った板に何かを書き記していた。彼らは時おり自分の体ににナイフを差し込む。ゆっくりと、何かを確認するように。
全身を貫く痛みに暴れる。しかし、暴れても鎖が千切れることはない。
だから、耐えるしかなかった。ナイフが自分の中に入っていく光景を、痛みを。そして……差し込んでいる奴等の顔を頭に焼き付ける。いつか、同じ苦しみを味あわせられるように。
――――憎い……憎い。殺してやる……殺してやる。
そして、再び場面が移り変わった。
――――それは、とても古ぼけた光景。自分は強く、力に溢れていた。
そんな自分の中に目の前に、ちっぽけな存在が一人。彼は大きな剣を構え、何かを叫んでいた。しかし、それに自分は首を振る。それから、雄叫びを上げた。すると何処にいたのか魔物の軍勢が現れ彼に向かっていく。
その瞬間に理解した。自分は魔物の『王』なのだと。だから魔物たちを思い通りに動かせるのだと。
しかし、彼はあまりにも強く向かった魔物たちは片っ端から殺されていった。
目を覆いたくなるような光景に、再度雄叫びを上げる。それでも彼は止まらなかった。
魔物たちを殺しながら少しずつ近づいてくる男。それに、ユナは恐怖した。
……いや。
その光景を振り払うように抵抗を試みる。
……いや。
近づいてくる男。そして彼は、飛び上がって剣を振りかぶる。
殺される。そう思った。恐怖で精神が満たされ、わけもなく暴れようとする。
……いや……いや。
そして男の剣が自分に届くかという時、ユナは全身を荒立てて悲鳴を上げた。
「――――いやぁぁぁぁぁ!」
「うわぁぁぁぁぁ!」
それは驚いたディエルの顔だった。先程とは全く違う光景に、ユナは呆然とする。
それから、自分は夢を見ていたのだと気がついた。今しがた見ていたのは悪夢だったのだと。
「なっ……なんだ。大丈夫か?」
ディエルが驚いた表情のまま聞いてくる。それに、ユナは息を吐いた。
「何でも……ないです」
「本当か? 凄いうなされ方だったぞ?」
「いえ……本当に何も」
さっきの夢はなんだったのだろうか? 自分が見たこともない光景。しかし、それはあまりにもリアルだった。
「そういえば……私は」
気を失う前の事を思い出そうとし、額に手を添えるユナ。
『アルヴの魔力を吸いとったのだ』
それに答えたのはドラゴンだった。そんなドラゴンを見上げると、ドラゴンは首をユナの隣へと振るう。それに促されるままに視線を向けると、そこにアルヴが寝ていた。
『アルヴが魔力暴走を起こした。それを、お前が止めたのだ』
「そっか……私」
ようやく、気絶する前の記憶と繋がった。
「凄いなお前は! まさか魔力暴走を止めるなんて!」
そんなユナの肩を掴んで、ディエルが嬉しそうな声を上げた。
「私も数回、魔力暴走に襲われた事があるが、どうすることも出来なかった。しかし、お前はそれを止める術を持っているんだな」
「ディエルさんも、魔力暴走を?」
「あぁ、この耳は三回目の魔力暴走の時に生えてきたんだ。それ以来私は魔力暴走に襲われていないが、人の元で生活することが出来なくなった」
「人の元で……」
そんなユナの呟きに、ディエルは答える。
「私は冒険者をしていたんだ。あらゆる魔物を倒して、魔力量を増やすためにな」
その言葉で、ディエルが冒険者風の格好をしていることに納得する。しかし、一つ納得出来ない事があった。
「魔力量って、増やせるモノなんですか?」
「ん? ……あぁ、もちろんだ」
当然のように答えたディエルに、ユナは面妖な表情をした。なぜなら、人が持つ魔力量は増やすことが出来ないからだ。もしも増やせる事ができたなら、この世界に魔力を持たない人はいない。『万能型』と呼ばれる人がいるわけがない。人が持つ魔力量は決められている。それを増やすアイテムがあるのは聞いたことがあったが、その他で例外はなかった。
なのに、目の前の女性は増やせると言う。
「まぁ、増やせるのは私たちのように魔石を体に持つ者だけだがな」
「そういうことですか……」
「あぁ。魔物は他の魔物を倒すことによって魔力量を上げられるんだ。私は研究施設に捕らえられていた時にそれを知った」
「じゃあ、アルヴさんも魔力量を増やせるんですね」
そう言って、隣に寝ているアルヴを見やる。
「そうだ。しかし……この男の魔力量はとんでもないな」
「そうなんですか?」
「あぁ。私はそれなりの魔力量を誇っているつもりだったが、この男からすればカスみたいなものだろう。こんなにも強大な魔力を持っていて、未だに人の姿を留めているのは驚きだ」
「それじゃあ、魔力量が増えると魔物化が進むんですね?」
「そうだが……知らなかったのか?」
「はい」
「そうか。……魔力量が上がると、魔物化が進むんだ。だから、魔力量を増やした私の頭には耳が生えた」
そう言って、ディエルは耳をヒクヒクと動かして見せた。
「魔物化を止める方法ってないんですか?」
「ないな。いずれ私たちは魔物になる事が決まっている」
その言葉には、悲壮感など一切なかった。
「だから、私をこんな姿にした奴等に復讐をする」
そして、何の躊躇いもなくディエルはその言葉を口にする。
「復讐……」
「そうだ。私と同じように施設から逃げたした他の奴等も、それを誓った」
「他の人たち?」
「この男と同じように施設で実験体にされていた連中さ。私たちは再び捕らわれないよう散りじりになって、力をつけることにしたんだ。……しかし、それはしなくても良いかもしれないな」
ユナは、彼女の言った最後の言葉が気になった。
「何故……ですか?」
「この男がいれば、復讐が可能だからだ。彼は、おそらく人の世を滅ぼせる程の力を持っている」
ディエルは興奮ぎみにアルヴを見つめた。その耳が執拗に動いている。しかし、ユナはその言葉を見過ごす事が出来なかった。
「人の世を滅ぼす? 復讐って、その施設にいた人たちだけじゃないんですか?」
そんなユナを、ディエルは不思議そうに見つめた。
「何を言っている? 人は魔物を嫌っているんだぞ? つまり、いずれ魔物になる私たちにとって人は敵だ。だから、人は滅ばさなきゃならない。滅ぼせば、私たちの復讐も同時に遂行できる」
「……そんな」
「まさか、こんな所で念願叶うとは……早く皆にも知らせないと」
尚も興奮しながらディエルは嬉しそうに呟いた。そんな彼女に、ユナは何と言えば良いのか分からない。
ただ、目の前で寝ているアルヴが、それを否定してくれる事を願った。
研究施設にいたことがない自分がディエルに何を言っても、きっと分かってくれないであろうことは目に見えていたからである。