十二話 つまり、ただ二人が喧嘩したというだけの話
それは、上空を飛ぶドラゴンからの報告だった。
『村がある』
それは、荒野のど真ん中にある村。そして、数日ぶりに目にする人の気配であった。だがしかし、アルヴたち一行はその村で休もうなどとは思っていない。なぜなら、ここにくるまでの道中で殆どの村が魔物の巣窟になっていたからだ。
ドラゴンからの『村がある』発言は、ユナにしてみれば『戦いに備えよ』と同義であり、アルヴからしてみれば暇潰しの宣告でもあった。ちなみにディエルは全くの無反応だ。彼女はその頭に耳が生えてきてからというもの、極力人から避けて生きてきたからである。
だからこそ、彼らがこれまで村に対して何か思うことは無いに等しかったのだ。
だが、今回は違った。
「珍しいな……魔物の気配がねぇ」
村が視界に見えてきた所でアルヴが意外そうに呟く。それに、いち早く反応したのはユナ。
「本当ですか?」
「あぁ、間違いない」
「ーーーっ! やったぁ! 久々にベッドで寝れます!」
はしゃぐユナ。首を傾げるアルヴ。そして、腰から剣を抜くディエル。
「人・即・斬! 皆殺しじゃあぁぁぁ!」
そして、ディエルは鬼の形相で走り出した。
「いや、なんでだよ」
「ーーーーあっふーん!!」
が、すぐにアルヴによって足を掛けられて転んでしまう。
「なっ、何をする! アルヴ様!」
「お前こそ何しようとしてんだ、あぁ?」
「私にとって人は敵! 殺られる前に殺らないと!」
「別に、こっちから仕掛けなきゃ何もないだろ」
「私には魔物の耳が生えているのだぞ? 何もせずとも、殺しに来るに決まっている」
「決めつけてんじゃねーよ。人が皆、そうだとは限らねぇだろ。殺そうとするな、これは命令だ」
「……だがっ!」
その時、ここ数日中では珍しくディエルが食い下がった。
「アルヴ様は何故、人に加担する? まさか、十年前のことを忘れたわけではあるまい」
「忘れるわけねぇだろ。今でもはっきりと覚えてるよ」
それからアルヴは何かを躊躇い、息を吐いてから答えた。
「……十年って月日は、ただ一つの感情だけで生きていくには、少しばかり難しいのかもしれねぇな」
それにディエルは眉をひそめた。
「どういうことだ? まさか……たった十年ぽっちで、あの時の事を許せるとでも言うのか?」
「そうじゃねぇよ……ただ、人の中には馬鹿がつくほどに良い奴もいるってことだ」
もちろん、その言葉にディエルが納得した様子はない。アルヴはもう一度ため息を吐いた。
「まぁ、こればっかりは納得出来なくて当然だよな。……でもよ、ディエル。お前には確かに魔物の血が流れているが、同じように人の血だって流れてんだ。人がいるから襲っていたら、その辺の魔物と大差ないぞ?」
「フッ、何を今さら。私もアルヴ様も魔物だぞ? 人の血? まだそんなことを言っているのか?」
睨み付けるディエルに、アルヴは不敵に笑った。
「まだそんなことを言っているのかだと? ハッ! それは俺のセリフだ。まだ、そんな考えしか持ってねぇのかよ。お前はこの十年間何してたんだ、あぁ?」
挑発的なアルヴの物言い。それに、ディエルの眉間がさらにけわしくなる。
「っつ! この十年間に何をしていたか? そんなの人を殺すために――」
「出来てねぇじゃねぇか」
ディエルの言い分を、アルヴはあっさりと切り捨てる。それに、ディエルは唇を噛んだ。
「何も出来てねぇじゃねぇか。……そういやお前、魔物を集めるとか何とか言ってたな? 出来てねぇじゃねぇか。……あぁ、冒険者として潜入もしていたとか言ってたな? それすらも出来てねぇよ。この十年、お前は何にも出来てねぇ。そんな奴が、目先の感情だけで物言ってんじゃねぇよ。お前と俺が魔物だと? そんなの誰が決めた? ただ単に決めつけられただけだろ? お前はそれに便乗しただけだ。自分の考えなんてなにもない。なんもないから、何一つ出来ちゃいない」
「そんなことは――」
「ない? 本当にそう言いきれるのか?」
「……あぁ、言いきれる」
視線をアルヴから外すことなく、ディエルは慎重に言う。そして、それにアルヴは再び息を吐く。何かを諦めるかのような、そんな息だった。
「なら、やっぱお前に足りてないのは経験だ。この十年、お前は無駄に生きていたんだ」
「……」
もう、ディエルが何かを言おうとすることはなかった。何を言っても無駄だと理解したからだろう。そして、ゆっくりと立ち上がり脱兎の如く駆け出した。その方向は村ではなく、全く違った方向だった。
二人の会話を見ていたユナは、遅れてアルヴに詰め寄る。
「アルヴさん! 追いかけないと!」
「今はほっとけ。大丈夫だ。アイツがいないと、ユナの母ちゃんの故郷探しに手間取るからな? あとで連れ戻すさ」
「ちがっ、そういうことじゃなくて……」
「そういうことだろ」
「――っ!」
有無を言わせないアルヴの強い口調に、ユナは声にならない悲鳴をあげた。それに気づいて、彼は少しだけ困ったような表情をする。
「……そういうことだろ」
もう一度そう言い、ユナから顔を伏せ村へと歩き出す。その背中に、ユナは何か言おうとしたが、言葉は出ず、やがて黙ってついていくしかなかった。
――ユナは思う。『なぜ、アルヴはこんなにも自分に協力してくれるのだろうか?』と。
ディエルの言い分は、それなりに正しくあるように思えた。確かに、彼女が生きてきた過程をアルヴが知ることはないだろうが、それでも、それら全てを否定するのは間違っている気もする。だからこそ、ユナは疑問に思うのだ。アルヴが、こうして自分に協力する理由について。
ドラゴンから聞いた彼の過去は壮絶と呼んでもなんらおかしくない。ディエルの考えを一番に理解できるのは、紛れもなく彼だろう。なのに、何故彼はあんな言い方をしたのだろう。なぜ、彼女のように人を憎んではいないのだろうか?
それを、アルヴに聞く勇気がユナにはなかった。
――前を歩くアルヴは思う。『なぜ、ユナは喜んでいないのだろうか?』と。彼女は村があり魔物がいないと言った時、確かに喜んだ。その喜びかたは、彼の記憶しているここ数日の中では、一番と言えた。そんな村に攻め入ろうとしたディエルを止めたのに、ユナは浮かない顔をしてついてくる。その事が疑問だった。
別に、ディエルに対して言った言葉を間違っているとは思わなかった。彼は誰かを、『人』『魔物』で判断することはない。自分が何者であるかなど、自分でしか決められない。だから、アルヴにとっての自分とは、『自分』でしかなかったのだ。故に、彼にとっての敵は『魔物』であり『人』でもある。逆に言えば、仲間とは『魔物』であり『人』でもあった。
だが、この考えはアルヴがとある人物に影響されたからに他ならない。その人物は『人』でありながら、やはり『人』と闘っていた。だが、多くの人々をも仲間に持つ者であり、『魔物』さえも従えてみせる者だった。そしてその者は、『人』を助けるため、『人』に殺されたのだ。
……こうして『人』『魔物』に分けて考えを整理してみると、それは酷く稚拙なものに思えてならない。
当たり前だ。何かを、誰かを、人格を、『人』『魔物』で比べて判断すること自体が間違っているのだから。このことからも、アルヴは自分の考えが間違いではなく、むしろ正しいことのように思えてならなかった。
敵とは自分に仇なす者であり、味方とは自分を助けてくれる者。その中には、『人』や『魔物』の区別などないのだから。
だが、アルヴは少しだけ勘違いをしている。それは、そういった考えを誰しもが持っているのだと認識してしまっていることだ。彼は、その者に大きく影響を受けたが故に、彼の生き方を誰しもに重ねてしまっていた。
……まぁ、それは仕方のないことなのかもしれない。
何故なら、彼はその者に少なくない憧れを抱き、自分もそうでありたいと願っていたから。
『何かを成したい』そう言ったその者に、自分自身を重ねようとしていたから。
そして、それこそがユナに協力をしている原因でもあった。
しかし、それを彼は自覚していない。少なくとも『今は』。だから、ユナが勇気を出して聞いてみても、明確な答えなど出なかったはずだ。
もし仮に聞いていたなら、きっとこう答えただろう。
――頼まれたから、と。
それは、ディエルに言い放った言葉を、そのままアルヴに言い返すことが出来る言葉でもあった。
――自分の考えがない、と。
結局、アルヴ、ユナ、ディエルたち三人は、三人とも間違っているのだ。間違った方向に間違った思考で答えを求めようとしている。ただ、その言い分をアルヴだけが強く言えただけに他ならない。
ただ、それだけだった。