神の領域
巨大な噴水が空に向かって弧を描く広場でコカを見かけた。懐かしいしかめっ面を浮かべていた。いらいらした時やあんまり退屈な時コカはよく顔をしかめた。コカは野外カフェのパラソルの下でレモンティーを飲んでいる。BGMにはノブナガの新曲back to zeroが流れている。
耳の奥で音が消え、頭の中で違う風景が広がった。まぶしい緑と黒いくっきりとした影のある庭の画。いつも作曲に集中しきった時に見える庭だ。永遠に何も起きることのない退屈で平和な庭だ。
紫色の果実のなった房へオレは手を伸ばして指先で果実を潰す。何も起こらない世界のものを破壊することでオレは唄や曲を作る。
一度だけコカが庭へ来たことを思い出す。庭へやって来たのは彼女が初めてだった。中学校の学園祭のライブでオレは唄いながらコカを感じていた。
オレは大勢の前で膨張した庭に立って唄いながらオレンジ色の渦になって回転しているコカを感じていた。
あんたさあ。もっと見せて。もっと格好いいとこ見せてよ。オレンジ色の渦になってコカはそう言っていた。
「あんたさあ。なに見とれてるの?」
コカは、目の前に突っ立ってるノブナガに言った。
「お前こそオレの唄に聞き惚れていたろ?」
ノブナガはさっきまで流れていた自分の曲のBGMを指すように親指を立てた。
くふっ、とコカは笑った。あの頃と変わらない笑顔だ、とノブナガは思った。時間は時として何も出来ないんだ。
「てか、あんたの唄声変わんないね」
「お前のぺちゃパイも変わんないね」
「あ!?見たことあんのか、こら」
コカは友達と待ち合わせをしていると言った。ノブナガは次のライブの日にちと場所をコカに伝えた。
偶然じゃなかったら逢うこともなかったかもしれない、とコカと別れて歩きながらノブナガは思った。コカと再び出会ったあとではノブナガには世界の音が一段とくっきり聞こえた。あるいは世界が当たり前の音色を帯びたように。噴水の音を聴きながらノブナガは満ち足りた気分で歩いた。
ノブナガはバイトにやって来た。真鍮の鍵を取り出して青いペンキの扉を開き店内に入った。薄闇の鉄板の廊下を歩く。壁の向こうのくぐもった音と振動を感じる。階段を上りDjブースにたどり着き前のDjの肩を叩く、腕時計を指し交代だよ、と伝える。
ノブナガは炭酸の沢山詰まったジュースの蓋を開けるように摘みを回し、一気にノイズを溢れさせた。
アイハラは赤いソファに座ったままひっくり返りそうになるくらいのけぞった。
なにこれノブナガ。プロでやってるブルースよりバイトのDjの方がずば抜けてる。アイハラの瞳には重力に逆らって上昇していく無数の金属が見えた。
金属はやがてビッキューーーーイと音を立て
ながらむちゃくちゃな乱舞をした。アイハラは瞳が感知できないほどの無数の金属を観て愕然とした。
「神の領域」
アイハラは呟いた。あんまり凄いものみたのでこのまま死んでしまうんじゃないかと不安になった。月の階段をはるかにしのぐ衝撃だった。アイハラは赤ワインを一気に飲んで新しいグラスを注文した。
ファットヘッドを粉々にするまた新たな世界を観ること、とアイハラは思った。僕はいつも未知なるものに挑んでいるつもりだった。でもそんな姿勢すら破壊する出来事に出会った。アイハラは新たな気持ちで描けそうで嬉しくなった。