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  作者: 架空パンク
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第一章


僕は犬だ。名前はクロ。どこかの名作小説の主人公のように、名がないわけじゃない。どこで生まれたのかも検討がつく。


けど、そんなもの覚えていてもいなくてもおんなじことだ。


飼い主の家の縁側にうつぶせに寝転がりながら、僕は考える。


僕らに重要なのは、その人や場所の同一性じゃない。暖かい寝床、おいしいごはんをくれる人。その事物がもつイメージが大切なんだ。


別に飼い主が好きなわけじゃない、犬小屋が大切なわけじゃない。それが生きるのに都合がいいだけだ。


名前や場所にある程度は縛られたほうが生き易い。けど忘れちゃいけないのは、僕の魂は本来完全に自由だってことだ。


本来の自由な魂で、僕は縁側の木材の感触を感じ、日光の暖かさを楽しみ、半端な空腹をゆっくりと深めて次の食事を待つ。


「なあクロ」


ふっと現れた声にうたた寝を中断させられる。


「お前はいいよな、のんびり昼寝しちゃって」


頭の横に人間の男の子が座る。匂いに覚えがある。この家の人だ。


「俺らは大変なんだぜ?」


男の子はなにやら話始める。人間の言葉はわからないが、彼がどうやら少なくとも快くない類いの感情を抱いているのはよくわかった。


「上手に生きていくためにはさ、友達たくさんつくって、好きな子とうまくやって、お金をたくさん稼げるように勉強してキリキリ働かなくちゃいけない。」


人間は犬以上に生きるために悩まなくてはいけない。生きるということの基準が犬よりも難しいのだ。


難儀なことだ。


「正直めんどくさいんだよな。俺は自分の家で好きな本読んでればそれでいいのに。」


けれどこの男の子は話がわかるほうだと思う。


彼は人間が「がんばる」と呼ぶことをあまりしない。


僕は人間の言葉がわからないが、人間がよく使う言葉の発音は覚えている。


「がんばる」とは、おそらくだけどただ犬のように生きるのには関係のないなにかしらを自分に強いることだ。


人間は大多数が「がんばる」を好むが、この男の子のようにその言葉にしかめつらをする人間もいる。


「まったく、上手に生きるってだけでめんどくさいんだ」


僕は人間が「がんばる」を好んでするときの雰囲気が嫌いだ。


そのときの人間はまるで自由ではない。目を反らすことで見えなくなったものに縛られ、自分で勝手に作り出したルールに縛られる。


たまらなく憐れで見ていられない。


彼はため息をつく。彼自身が口の先から空気になってしまうような、深いため息だった。


「なあクロ、幸せってなんなんだよ。俺はさ、自分が楽しければそれでいいよ。」


僕は不機嫌な顔になる。「幸せ」、これも人間がよく使う言葉だ。


僕は鼻を男の子の膝にすりよせる。そんな小さいこと気にするなよ。


「幸せ」は人間にとっての生きることの価値基準であるらしい。


幸せであればあるほどいい命。幸せでない命は憐れな命。


よくもそんなくだらないことを思い付くものだ。


命なんてものは、ただそこにあるだけだ。価値なんてないし、より良くもならない。初めから最後まで0点だ。


「『誰かのために』も『未来のために』も俺にはいまいちピンとこない。けど、ピンときてるフリをしてないと上手に生きていけない」


男の子は再び溜め息をつく。けど今度は身体の中の不自由を吐き出すような短い溜め息だ。


「まあ、なんとなくやっていくさ。縛られなくっちゃ生きていけないめんどくさい身の上だ。」


男の子が立ち上がる。僕は彼の横顔を目で追い、少しばかり首をもたげる。


日光が眩しい。彼と一緒に目を細める。


「Cheap holiday in other people's misery…」


彼はいつも聴いている音楽の一節を口ずさむ。あの人間の声は、まるで犬のように自由だった。


「他人の不幸に付き合うつまらない休日…。人生なんてそんなもんだ。」


僕は鼻を鳴らして答える。今の彼の雰囲気には同意できる。悲観的でありながら、彼は生きることを志向している。


「俺たちはただ生きるんだ。No future だ。」


彼は思い切り伸びをして、僕の頭に確かめるようにポンと手を置く。


「お前と一緒さ。」


毛並みにならって彼は僕の頭を撫で、玄関の方へ歩き出した。


「またなクロ、昼寝を邪魔して悪かったな。」


彼は少し笑って言った。その背中をしばらく見つめてから、僕はあくびをし、いつもの命に戻っていく。


まあ、悪くないさ。

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