第五話 勧誘≠脅迫
「さて、改めて名乗ろう。グルニケ帝国軍第二騎士団銀鷲隊隊長グラン・ジュスティだ。こっちは副隊長のリーゼ・ヴォーレイン」
目の前に姿勢良く座る青年が口を開く。邂逅した際に垣間見た純情そうな青年は鳴りを潜め、その瞳に鋭い光を秘めた冷たい印象の男になっている。なるほど……軍人さんね。しかし、そのグルニケ帝国という名には聞き覚えは無かった。日本やアメリカやらがある世界とは違うかもしれない。
その隣に座っているリーゼという女の事はよく分からなかった。
何だそりゃと言いたくなる蒼い髪に翠緑のような色彩の瞳。日焼けとは無縁そうな白い肌はその美貌を十二分に彩っている。
だが、いかんせんよく分からない存在だ。グランの紹介でも軽くお辞儀をするだけで声を出さないし、物事を淡々と処理しているような雰囲気。クールビューティといえば聞こえはいいが、どっちかといえばマシンのほうが近い気がする。
「天掴凛……いや、ここの呼び方だとリン・アマツカになるのかな。気軽にリンと呼び捨ててくれ」
俺は、グランとリーゼに連れられて帝都ベシュランテとやらにある酒場まで来ていた。
何故こんなことになっているのか? それは小川で出会ったあの時まで遡る。
***************************************************
「山賊の一人を殺したのは君だな?」
「……あぁ。俺が殺った」
否定しなかったのはグランが既に俺の仕業だと確信していたからだ。
この世界が夢か現実か異世界か。それはひとまず置いておき、とりあえず生きる事に決めた。
剣を向けるなら殺すことも辞さない。密かに殺る気十分だった俺はグランの次の一言で気が削がれた。
「討伐の協力に感謝する。礼をさせてはくれないだろうか?」
「え、あ、うん。どういたしまして。……礼?」
「この時間なら……確かスォーネ亭は開いていたかな。そこで話そう」
街が在る場所が分かるだけでも俺にとっては十分に礼に足りる。
とにかく情報が欲しい。俺は素直にこの二人の軍人について行くことにした。
***************************************************
「そうか。俺のこともグランと呼び捨てて構わない。それで、礼についてだが――」
「あら! グラン坊がリーゼ以外の女の子を連れ込むなんて珍しいわねぇ。こんな別嬪さん、何処で拾ってきたんだい?」
グランの言葉を遮るようにして響いたのは豪快な声だ。
笑みを浮かべながら料理を持ってくる恰幅の良い中年の女性。知り合いの給仕だろうか。
「か、からかわないでくださいよ。あー、リン。こちらはアルビナ・スォーネ。この店の主人だ」
「どうも、リン・アマツカです」
主人だったのか。俺は笑みを浮かべて会釈する。
料理を運び終えたアルビナは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにニッと笑みを浮かべ直して手を差し伸べてくる。
……あ、握手か。
「ご丁寧にどうも。ウチは酒も料理も帝都一だからね! 今後も贔屓しておくれよ、可愛らしい傭兵さん!」
「えぇ、そうさせてもらいます」
……ん? 今なんて言ってた? 聞き間違いでなければ傭兵と聞こえたんだが。何かの間違いだろうか。問いただそうにも彼女は既に奥へと引っ込んでいた。……まぁいいか。
「先に食べてしまおうか。帝都一かは知らないが、ここの料理は俺の知る中では一番うまいぞ」
「あぁ。――いただきます」
手を合わせてから食べ始める。行儀が良すぎるとからかわれたこともあったが、染み付いた習慣というのはなかなか変えることが出来ない。仕方が無いのだ。
俺が頼んだ料理はチーズドリアだった。実はメニューに書いてある文字が読めず、適当にコレと指を差して頼んだ。
……もしもこの世界が、俺が見ている夢ならば知らない文字が出て来るだろうか。実際は夢では無く現実で俺は本当に人殺しをしたのだとすれば――やめよう。飯が不味くなる。
スプーンを使って一口食べてみると、たしかにチーズドリアだった。素直に美味しいと思える。あんな事があったにも関わらず俺の食欲は普段通りどころか調子が良すぎるほどだった。俺は珍しそうに見つめるグランとリーゼの視線に気付くこと無く、料理を食べ続けた。
「リン。君は本当に丁寧に食べるな」
「あー、意識してるつもりはないんだけどね……」
「そういった教育を受けたことが?」
「骨身に……いや、魂に染みるくらいやらされたね」
華燐――。はい、お祖母さ――シャットアウトオオオオオオ!!!!
黒歴史は封印するに限る。俺の精神安定上、思い出したくない過去だ。はぁ……18年の歴史殆どが真っ黒……いや、もう考えまい。
俺の表情から何かを察したのかそれ以上は突っ込んで来なかった。かなり助かる。
「さて、今度こそ礼について話そうか。リン……行く宛はあるのか?」
「行く宛……?」
何の事だろうか。いや、行くところも帰るところも無い。見たところ文明的には中世といったところだ。例え日本があったとしても帰る家が無いのは明白。
しかし、何故それをグランが言及するのか?
「その格好から大方察しはつく。他国の軍で使われていたが、耐えることが出来ずに逃げてきた。そんなところだろう?」
「いや、全然違うけど」
「……なんだと? しかし、君が着ている服は軍服だろう。それにあの聖痕――」
グランは途中で言葉を切ると小さくブツブツとつぶやき始める。
軍服……これが? たしかに規律の象徴的な制服ではあるけど……。ていうかスティグマって何。
スティグマ――聖痕、か? そんなのあったか……あ、右腕の不思議傷痕?
思わずブレザーの上から右腕をさする。別に痛くもなければ違和感も無い。ただなんとなくの行動。
ふむ、とグランは唸った後再び口を開いた。
「……君は聖痕が何かを知っているか?」
知らないと分かった上で聞いているような雰囲気。
ここは素直になるに限る。とりあえず知識を吸収するのは必須事項だ。
「…………知らない。出来れば教えて欲しい」
「いいだろう。聖痕とは――」
聖痕――スティグマとは、先天的に宿る超常的な力の証らしい。魔法ですら不可能なことをいともたやすく実現することも可能らしい。魔法が在るのかと聞きたかったが後で聞くことにした。
一定の年齢に達すると体の何処かに浮かび上がるようだ。
聖痕を持つ人間は一般に聖人と呼ばれる存在となる。
発現する力は個々で違うらしい。いかなる刃でも傷つかない鋼鉄の体。腕を振るうだけで100人の首を斬り飛ばす。エトセトラ、エトセトラ……。
と、いうことは俺に発現したのは常識外の怪力? それならあの事態も頷ける――本当にあの傷痕が聖痕なら、だけど。
聖痕の力は基本的にノーリスク・ハイリターンのものが殆どらしい。それ故に――
「戦争の兵器として使われることが多くなってきた。いまや聖人と崇められるのは本当に一部の国だけ。それ以外の国ではほぼ兵器としか見られない」
兵器。人間ですら無い。大砲や銃器と同じ扱い。
正直、そんな生き方はごめんこうむりたい。
「だが、グルニケ帝国では聖痕所持者を聖人とも兵器とも見ないシステムがある」
「……それって?」
「傭兵だ。軍関係者の専属傭兵となれば……人としての権利と戦果に応じた莫大な報酬を受取ることが出来る。――君を俺の専属傭兵として推薦したい」
「へぇ……ってちょっと待てよ。まだ俺が聖人だって決まったわけじゃないだろ」
権利と報酬。それに加えて傭兵という言葉に心が揺れ即答しそうになる。
だが、本当に俺の右腕にあるのは聖痕なのか? それがはっきりしなければどうしようも無い。
「俺は幾つかの聖痕を見てきている。君のそれは間違いなく聖痕だ」
「……ほんとかよ」
むぅ……いまいち信じきれん。右手が疼くこともなければ、勝手に動くこともない。
本当にそんな力あんのか? 試しに……あ、やべ。スプーンがくにゃって粘土みたいに曲げれちまった……どうしよ。
遊んでいると思ったのかグランにリーゼまでもが呆れたような目で見てくる。視線が痛い。
や、違うんですよ? こう、人間は新しいことにチャレンジすることで日々進歩するわけで…………ごめんなさい、もうしません。
「……なんだ、力を使えるじゃないか」
「そう、なんだよねぇ。あーやっぱり、これが力なのか」
リーゼは何か言いたそうにしていたが結局口を開かない。
この人はコミュニケーション能力とか大丈夫なのだろうか。無口な冷徹マシンを背に戦いたくねぇな……後ろから無慈悲に撃たれそうだ。銃とかこの世界にあれば、だが。
「失礼な事を考えている気配がします」
「き、気のせい気のせい」
「ふぅ……それで、どうなんだ? 詳しい力はまだ分からないが、聖人であることは確実だ。人間兵器か、専属傭兵かどちらかを選んでくれ」
どちらか? その選択肢だと結局答えは一つ――いや、最初から決まっていたことか。
人間兵器は絶対になりたくない。傭兵になるのはいいが誰かに馬車馬の如く使われるのが気に食わない。かと言って逃げたりすれば追ってくるだろう。その際に捕まれば確実に人間兵器だ。言う事をきかせるためにあらゆる手段を使ってくるだろう。拷問、薬、洗脳……そういえば魔法とかもあるようだ。ファンタジーなもので責められれば為す術は無いだろう。それ以外の手法でも対抗することなんて出来なさそうだけども。
「……分かった。傭兵になる。だけど一つ聞かせてくれ」
「なんだ?」
「グラン・ジュスティ、アンタはなんで俺を手に入れたがる? 出会ってまだ数時間。力といえば人間を軽々と引き裂けるぐらいの怪力だ。もっと強い奴なんてごまんといるだろうよ……それでもなお、俺を選んだ理由を教えてもらいたい」
グランは礼と言った。それは建前でもあるが本心でもあっただろう。本来兵器として扱われる存在に権利を与えるというのは相当の魅力を持っている。
兵器として扱われるはずだった俺を助ける。その意味合いも僅かだが含まれていたはずだ。そうでなければ『礼』などとは言わないだろう。
かくして、グランの口から発せられたのはとても短い答えだった。
「……勘だ」
……そいつは、まぁ……アリだな。
「くっ……あはは! そう、勘か。うん……オーケー! やってやるよ、傭兵ってヤツを」
傭兵ってあれだ。有名なのはやっぱあの蛇だろうな。しかし、中世の……というか魔法が存在する異世界の傭兵って何やればいいんだ? やっぱ戦争とか? また人を殺す……今度はちゃんと殺意を持って……出来るか?
「まぁ、専属傭兵になるには面倒な手順を踏まなきゃいけないんだがな」
グランの水をさす一言に、俺は残念なような、ほっとしたような、複雑な気分に陥った。