第三話 傷痕と邂逅
タバコに火を着ける際にわかったことだが、どうやら右腕に怪我をしているようだ。
着ている上着の右腕全体が赤黒く染まっている。痛みは無いし、血は既に固まっているようだ。
このブレザー気に入ってたんだけどな……。
1本目を吸い終わる頃には大分落ち着いていた。
殺人……意外と大したことはない。そう考えるのも仕方無いんじゃないか?
タバコの火を消して携帯灰皿に押しこみながら立ち上がる。
肉塊の片割れに近づと生臭い臭いが漂ってくる。ここまで強い血臭は嗅いだことがなかった。吐き気がする。
零れ落ちる内蔵、溢れる血潮。限りなくリアルだが、俺には夢幻にしか思えなかった。
蹴りで人体を引き千切るなんて有り得るはずがない。
いくら俺がケンカ限定の怪力だとしてもだ。
――可能性1。トラックに轢かれた後、一命を取り留めるが昏睡状態。つまり、此処は夢の中。
今の所はこれが最有力候補か。山賊風味のチンピラ(?)も納得が行く。全部虚構。
試しに頬を軽くつねってみる。痛い。……いや、痛みを感じる夢もあるかもしれん。はたまた現実で誰かに頬をつねられてたり? 起きろよ、俺。
――可能性2。トラックに轢かれた後、何者かが俺をここまで運んだ。この異常な力は――事故の際に目覚めた俺の超能力。……なんてSFチックなんだ。というかそうなると怪我が右腕だけってのが変だ。俺の目がおかしくなければ完璧に直撃するコースだった。十中八九死んでた。
――可能性3。ここは異世界で俺は巫女だか神様だかに召喚された……主人公? ありえん、論外だな。昨日読んだ漫画が確かそんな突拍子も無いやつだった。そもそも俺は主人公タイプじゃない。悪けりゃ主人公に絡む不良A、良くて極悪非道の限りを尽くす悪党。どっちも主人公に退治される役回りだ。
「うん、わからん」
解明不可。情報が足りなさすぎる。なので、とりあえず動くことにした。じっとしているのは性に合わない。
山賊風味はちりぢりに逃げて行ったが大体の方向は同じだった。単にバケモノちっくな俺から離れたかっただけかもしれんが。
薄暗い森の中。鬱蒼と茂る草木を蹴散らしながら歩く。
長ズボンを履いていてよかった。半ズボン、ましてやスカートなんて履いていたら通るのだけで精一杯だっただろう。
俺が着ているのは白いワイシャツに褐色のブレザー、灰色のズボンという学生服を着崩したような格好。気に入っている理由は単純に男子に見えるからだ。……見えているはず、うん。
そのお気に入りも酷い有様になっている。特に血の汚れが酷い。地元の暴走族とケンカした時でもこんなに汚れはしなかった。あの時は20くらい相手したっけか。
当てもなく歩いていると途端に目の前が拓けた。
川だ。水が流れている――のだが。
「…………綺麗だ」
流れている水が汚くない。そこそこの深さがありそうなのに底が見通せるほどだ。
東京……いや、日本にこんな綺麗な小川がまだあるのだろうか? あるとすれば相当の田舎だ。
飲めるか? ……いや、やめておこう。こんなところで腹壊したら酷い目にあう。……もうあってる気がしないでもないが。
しかし、ちょうど良い。ここで右腕の傷を確認しよう。今のところ痛みや麻痺は見られないがこのまま放置してると不味い事になるのは明白だ。せめて洗っておかないとね。
上着を全て脱ぎ去り手近な木の枝にかける。驚く事に右腕全体に血がこびりついていた。うぇ……どれだけ傷深いんだよ。しかし右腕意外に怪我は見られなかった。本当に不思議だが気にしない。どうせ考えても分かるものでもないだろう。
右腕にこびりつく血を洗い落とす。顕になったのはこれまた不思議な物だった。
「なんだこれ……」
白い肌に刻まれていたのは二重螺旋を描く真紅の鎖。
肩から手首までぐるりと走るそれは、今までの俺に無かったものだ。
「拉致られて刺青掘られました? ……アホか」
それに加えて、右腕に怪我はないということがわかった。カスリ傷一つ無い。骨折とかもしていないようだし……。
だけど、よくみると刺青らしき鎖は傷痕のようにも見える。本当になんだこれ。
いろいろな角度で眺めていると後ろから草木をかき分けるような音が響く。なんだ?
ゆっくり振り向くと、そこには長身の男が立っていた。
見事な銀髪に中性的な顔立ち。鎧を着て剣を佩くその姿はどう見ても騎士。
呆然とした表情でこちらを見つめる騎士に俺は第一声を投げた。
「……いつまで見てんだよ」
「――っ! す、すまない!」
顔を真っ赤にし慌てて明後日の方向を向いたその反応は、どこの純情少年だと突っ込みたくなるほど見事なものだった。