第二話 暴力の才能
痛い。とにかく痛い。
トラックと接触した瞬間、辺りが一瞬でブラックアウトした。
五感のほとんどが遮断される。あるのは痛覚だけ。
痛い。皮膚を割り裂く痛みが、肉を抉る痛みが、神経が引き裂かれる痛みが、俺を苛む。
不思議なことに痛いのは右腕だけだった。
もしかしたら、俺は右腕を犠牲にして何とか回避出来たのだろうか?
そんな希望的観測が頭をよぎる。
直後に考えを改め、そして後悔した。
痛い。痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い――――――!!
皮を無理やりに引き剥がされる痛み。
肉を金槌で乱暴に磨り潰される痛み。
神経を物理的に磨り減らしていく痛み。
痛みは俺を弄ぶように続く。
声を上げたい。だが、声が出ない。というより、俺の頭が口という存在を忘れたかのようだ。口の動かし方ってどうやるんだ?
意識は既に右腕に集中している。右腕意外、何も存在しないような異常な感覚。
事故ってのはこんなに痛い物なのか?
おかしい。何もかもがおかしい。
右腕から気が狂うほどの痛みが走る。
まるで1個1個、試していくかのように様々な痛みが俺を襲う。
じわじわと指先から凍てつかされる痛み。
赤熱した鉄串で細胞の一つ一つを貫かれる痛み。
高圧電流で肉の隅々まで焼け爛れさせる痛み。
ただ痛いだけなのに、それがどんな時の痛みなのかがリアルにイメージ出来る。異常だ。
死にたい。
死にたい。舌を噛み切って死にたい。自分の手で喉を絞め死にたい。口が何処か分かっていれば実行していた。手をどう動かすのか分かっていれば実行していた。
だが、そんな永遠にも思えた地獄は唐突に終わりを告げる。
ポツリと灯った1点の光。
それをきっかけに痛みから解放される。
徐々に五感が蘇る。最初に感じたのは触覚、腕を掴まれる感覚。次いで感じたのは聴覚、野太くて何処か小物臭のする声。
「お頭ー! この娘どうしやす?」
「ほぅ……上玉じゃねぇか。持って帰ってお楽しみだな」
「ぐへへ。おこぼれ、期待してますよ」
眩しさを堪えながら目を見開く。
至近距離にあったのは予想通りの小物顔。バンダナに上半身裸、現代日本に山賊が居るとは思わなかった。世間は広いな。
よくみると周囲には同じようなやつが4人、大将っぽいのが1人。怪我人をリンチでもする気かお前ら。
それにしても此処は何処だ。薄暗いし、木と草しか見えん。森? 東京に森ってあったか?
両腕を抑えつけていた小物は、ようやく俺が目を覚ましたことに気付く。
息が臭い。歯を磨け。そのままだと将来全入歯になるぞ。
「臭い。離れろ」
「えぇ? ぁんだって~? ひひっ」
俺が冷たく突き放すが、山賊(?)は下卑た笑いをやめない。
あまつさえ小物は俺に身を寄せてくる。おい、か弱い女子学生が強がってるようにしか見えねぇってか? ――思い知らせてやる。
腕は抑えつけられているが、幸い足はフリーだ。寝転ぶようにしている不安定な体勢から右足に力を篭める。狙うは胸部。とりあえずこの体勢を脱するために蹴り飛ばしてやる。俺はいつものように全力で前蹴りを繰り出した。
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――俺の体は少々、いやかなり異常だったりする。
ついこの間まで深窓の令嬢だった俺は武術おろか筋トレすらやったことが無かった。
非力。恐らく同年代の女子の平均を下回るのでは無いだろうか。
だが、それは平常時だけだった。
重さ10キロ前後のぬいぐるみに押しつぶされたことがある俺だったが、ケンカの時だけは違った。
蹴りでガードレールはひしゃげるし、裏拳でコンクリにヒビが入った。片腕で放った背負い投げもどきで100キロ超のデブを投げ飛ばしたことすらある。
トレセンに行って何キロまで持ち上げることが出来るか計ったことがあった。
何時もの4人が口々に俺を挑発する。わざとだと分かっていても流石に「カリンちゃん、今日は生理大丈夫?」の言葉に俺はキレた。
傍らにあったバーベルをどのくらいの重さか確認せずに片手で投げた。
5メートルほど飛んだそれは、後で聞いた話によると160キロだったらしい。
その後医者に診てもらったが、驚くことに体に異常は見られず健康そのものだった。事情を説明しても首を捻り、脳外科の紹介状を書いてくれた。勿論ぶん投げた。
俺はこれを、才能だと思っている。他者を傷つける暴力の才能。
何が言いたいかというと――俺は見た目以上の怪力だということだ。
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放った前蹴りは胸より僅か下に命中した。
このまま蹴り抜いて飛ばす。そうイメージしていた……なのに。
ぐちゃり、と生々しい音が響き俺の予想していた軌跡を描かずに吹き飛んだ。
描かれた軌跡は二つ(・・)。上半身は左前方に弧を描いて、下半身は右前方に錐揉みしながら、それぞれ吹き飛んでいった。
…………は?
「ひ、ひぃぃ! ば、バケモノだ!!」
え、あ、バケモノ……って俺?
「お、おい! お前ら――糞、覚えてろ!」
一人の声を皮切りに小物4人が一斉に逃げ出す。一番唖然としていた大将風の男はまるで悪党の手本のような捨て台詞を残して逃げ出した。
後に残されたのは血に濡れた俺と無造作に半分に割られた肉塊。
――殺した。ヤバい、こんなはずじゃなかった。いや、違う。勢いあまってつい? 違う!
殺人、警察、逮捕。……まずは本家のほうに連絡して、なんとかして揉み消すか?
ケータイ……無い。というか財布も無い。あるのはライターとタバコ。
………………。
「とりあえず、落ち着け……ってことか」
俺は手頃な木の幹に背を預け、一服して落ち着くことにした。