第9話 首輪のない飼い犬
朝の冷え切った牢獄。
私の目の前には、昨日セドリックが床に投げ捨てていった、ゴワゴワとした平民用の麻の服が転がっていた。
(あんな男の情けで生き長らえるくらいなら、凍え死んだ方がマシよ……っ)
私は泥とソースで汚れたドレスを掻き抱き、意地でもその服には触れまいと身を縮めていた。
けれど、現実は残酷だ。丸一日まともな食事をとっていない胃袋は痙攣するように痛みを訴え、石の床から這い上がってくる冷気が容赦なく体力を奪っていく。
孤独と飢え。
そして、完全に捨てられたという絶望。
それらが私の心をすり潰していく中、ふと脳裏を過ったのは――あの冷酷な番犬、カイルの顔だった。
(……あいつに、媚びてでも……)
そんな屈辱的な考えが浮かんだ自分にゾッとした瞬間、カツーン、と聞き慣れた重い足音が響いた。
「随分と意地を張っているようだな。だが、限界だろう?」
鉄格子の向こうに現れたカイルの手には、湯気を立てる温かい肉と野菜のスープが握られていた。
暴力的なまでの芳醇な匂いが鼻腔を突き抜け、私の理性は一瞬で吹き飛びそうになる。
「あ……」
「欲しいか? ならば、扉を開けてやる」
ガチャン、と鍵が開く。
私は涎を飲み込み、這うようにして彼にすがりつこうとした。しかし、カイルはスープの器を高く持ち上げ、冷酷な条件を突きつけた。
「タダで食わせるほど、俺は甘くないぞ。……この前ここで見せた脚の続きを見せろ。それも、ただ脱ぐだけじゃない。自分のどこがどう美しいのか、俺に聞こえるように説明しろ」
「――っ!?」
息が止まった。
ただ肌を晒すだけではない。自分の口で、自分の価値をプレゼンしろと言うのだ。この、身分の低い一介の兵士に向かって。
(じ、自分の美しさを自分で解説するなんて、どんな羞恥プレイよ!? でも、このスープを飲まないと死んじゃう……!)
空腹と寒さ、そして何より、彼に見下ろされているという圧倒的な力関係に、私のプライドは脆くも崩れ去った。
私は震える手で、泥だらけのドレスの肩紐を下ろした。
「わ、私の……プラチナブロンドの髪は……ど、どんな宝石よりも輝いていて……っ」
かつて夜会で、貴公子たちが私を褒め称えた甘い言葉。それを今、一欠片のパンとスープを得るための『芸』として自分の口から紡ぐ。
「白く滑らかな肌は……さ、最高級の絹よりも柔らかくて……っ。その、し、しなやかな脚は……どんな男も、魅了、して……」
顔から火が出そうだった。破れたドレスから露わになる太ももや肩を、カイルの暗い瞳がねっとりと舐め回す。
惨めで、情けなくて、涙がポロポロとこぼれ落ちる。
なのに――自分の口で自分を淫らに貶めるたび、下腹の奥がズキズキと熱を帯びて疼き出すのだ。
「……よく言えたな。いい子だ」
カイルは満足げに頷き、私にスープを与えた。
私は泣きながら、手づかみで肉を口に放り込み、貪るようにそれを平らげた。もはや「令嬢の食事」の欠片もない。
「食い終わったな。では、その汚いドレスは没収だ。これを着ろ」
カイルは有無を言わさず私からドレスを剥ぎ取り、あの惨めな麻の服を押し付けた。
素肌に擦れる粗末な布の感触に絶望している暇はなかった。彼がどこからか、信じられないものを取り出したからだ。
「そして、これも付けろ」
彼の手から垂れ下がっていたのは、革で作られた安っぽい『犬の耳』の付いたカチューシャと、腰に巻くための『犬の尻尾』のアクセサリーだった。
「な……っ!? い、嫌よ! なんで私がこんな――」
「付けるか、ここで完全に丸裸にされるか。選べ」
「ひっ……!」
丸裸を選べるわけがなかった。
私は泣く泣く麻の服の上に、その卑俗な装飾品を身につけた。
王太子妃候補だった高貴な美貌と、平民の囚人服。そして、いかがわしい娼婦が客を喜ばせるために付けるような犬の耳と尻尾。
その絶望的なまでのアンバランスさが、自分が今「男の歪な性癖に付き合わされている」という客観的な事実を突きつけてくる。
「四つん這いになれ。……次は、尻尾を振ってみせろ」
カイルの命令は、どこまでも非道だった。
(こ、こいつ~~~っ! 絶対に打ち首よ! 絶対に許さないんだから!!)
心の中でどれだけ呪詛を吐こうと、私の身体は彼の低い声に逆らえなかった。
冷たい石の床に手と膝をつき、私はカイルを見上げながら、お尻を振るようにして腰を揺らした。
パタ、パタ……。
麻の服の上で、作り物の尻尾が滑稽に揺れる。
「……っ、ぅ……あ……っ」
腰を振るたびに、自分の尻の肉が揺れるのがわかる。カイルの視線が、私の腰の動きに釘付けになっている。
恥ずかしさで狂いそうなのに、彼に「見られている」という事実が、私の内側から今まで感じたことのない激しい昂ぶりを引きずり出していく。
濡れた瞳で上目遣いに彼を見つめると、いつもの無機質で冷淡な彼の瞳の奥に、わずかな――けれど確かな『雄の熱』が灯ったのが見えた。
「……いい眺めだ。お前は本当に、犬がよく似合う」
その言葉はひどく屈辱的だったのに。
私の身体は、褒められた飼い犬のように、さらに甘い熱を帯びて無意識に腰を揺らし続けていた。




