第6話 ご褒美の食事と更なる調教
四つん這いのまま、カイルの掌の下で震える私。
そんな私を満足そうに眺めると、彼は一度牢の外へ出た。
戻ってきた彼の腕には、銀のトレイが載っていた。
ふわり、と鼻腔をくすぐったのは、ここ数日嗅ぐことのなかった、芳醇な肉の焼ける匂い。
(……っ! スープだけじゃない。お肉……本物のステーキだわ!)
私の胃が、はしたなくもギュルリと鳴った。
カイルはそんな私の反応を見透かしたように、口角をわずかに上げた。
「約束通り、ご褒美だ。……食え」
彼はトレイを、埃っぽい石の床に直に置いた。
私が慌てて手を伸ばそうとした、その時だ。
「誰が手を使っていいと言った?」
「……えっ?」
伸ばしかけた指先が止まる。
カイルは冷ややかに言い放った。
「犬が手を使ってナイフとフォークを操るか? ……お前は『わん』と鳴いたはずだ。なら、最後まで犬らしく、その口だけで平らげてみせろ」
血の気が引く。
……信じられない。
いくらなんでも、そんな……床に顔を押し付けて、犬のように這いつくばって食べろというの?
(知ってるわよ! 禁断の恋を描いたあのアダルト小説に、傲慢な公爵令嬢が愛奴に堕とされるシーンでそんな描写があったわ! でもあれは、あくまで事のあとの甘い戯れでしょう!? こんな、本当にただの泥だらけの床でなんて……!)
「嫌、嫌よ! そんなの、あまりに……っ」
「食わないなら、このまま片付けるが」
カイルがトレイに手をかける。
その瞬間、極限まで空いた胃袋が悲鳴を上げた。
……お腹が、空いて死にそうなの。
泥のついた硬いパンじゃない。
温かくて、柔らかくて、脂の乗ったお肉。
(……いいわよ。食べてあげるわよ! 食べるわよ! 屈したわけじゃない、これは単なる栄養補給なんだから! 見てなさいよ、この屈辱、一兆倍にして返してやるんだから……!)
私は心の中でカイルに呪いの言葉を吐きかけながら、ゆっくりと、さらに深く身を屈めた。
プライドが、バキバキと音を立てて砕けていくのが分かる。
顔を皿に近づけると、さらに肉の匂いが強くなった。
私は目を固く閉じ、思い切って肉に食らいついた。
「…………っ、ぅ……」
手を使わず、口だけで肉を噛み切り、飲み込む。
顔の横を流れるプラチナブロンドが皿に浸かり、ソースで汚れていく。
王太子妃候補として、世界で一番美しく洗練された食事作法を身につけてきた私が、今、男の足元で、皿を舐めとるように食事をしている。
「……フン。意外と素直じゃないか」
頭上から、カイルの低い声が降ってきた。
見上げなくても分かる。彼は今、無様に這いつくばる私を、冷徹で愉悦に満ちた目で見下ろしているのだ。
(悔しい……死にたい……! でも、美味しい……っ)
屈辱で涙が溢れるのに、舌が感じる幸福感に抗えない。
皿を空にした頃には、私の口の周りはソースで汚れ、乱れた髪が顔に張り付いていた。
カイルが再び私の頭に手を置き、今度は耳の裏をくすぐるように、指先で優しくなぞった。
「完食したな。いい子だ、雌犬」
「――っ……あ」
その瞬間。
耳元で囁かれたその言葉が、雷のように私の背筋を突き抜けた。
(なによ……今の。なんなの……!?)
「雌犬」と呼ばれたはずなのに。
一番ひどい蔑みを受けたはずなのに。
それまで感じていた激しい屈辱が、彼の低い声によって、ドロリとした甘い痺れに書き換えられていく。
彼の掌の重み。
自分を支配する圧倒的な「強者」からの、短い称賛。
それだけで、身体の奥底がズキンと熱く疼き、自分でも信じられないような情けない声が漏れそうになる。
「くぅ……ん」
(嫌よ……私は、ルチア・ベルローズなのよ……! こんな、不潔な番犬に褒められて……喜ぶなんて、あっていいはずが……)
「また明日、マシな芸を考えておけ」
カイルはそれだけ言い残すと、トレイを持って立ち去った。
一人残された牢屋で、私は自分の肩を抱いて震えていた。
顔は真っ赤に火照り、心臓がうるさいほど脈打っている。
あいつを殺したい。
あいつを八つ裂きにしたい。
そう思う心とは裏腹に、私の身体は、次に彼に頭を撫でられる瞬間を、心のどこかで渇望し始めていた。




