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小悪魔令嬢の陥落~正体不明の第二王子に身も心も奪われ、裏切り者たちを奈落へ突き落とす~  作者: 猫野 にくきゅう


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第4話 牙を剥く番犬

 冷たく硬いベッドの上で目覚めた朝。

 私は昨日の出来事を反芻し、ふふん、と得意げに鼻を鳴らした。


(昨日は少し驚いただけよ。でも、最後に私がビシッと言い返してやったら、あの生意気な番犬、何も言い返せずに逃げていったじゃない! 『まだ吠える元気があるのか』なんて強がっていたけれど、絶対に顔を真っ赤にして焦っていたに決まってるわ。所詮は男、私の可愛さと色気には勝てないのよ!)


 そうよ、私は世界で一番可愛いルチア・ベルローズなのだ。


 少し環境が悪くなったくらいで、私の魅力が目減りするわけがない。

 次にあの男が来たら、今度こそ完全に私のペースに巻き込んで、温かい食事と毛布を貢がせてやるんだから。


 そう意気込んでいた私の耳に、カツーン、カツーンと重い足音が聞こえてきた。


 来たわね。

 私は居住まいを正し、鉄格子の前で待ち構えた。


 だが、足音は鉄格子の前で止まらなかった。


 ガチャンッ!

 鈍い金属音が響き、固く閉ざされていたはずの牢屋の鍵が開けられたのだ。


「え……?」


 キィィ……と重い扉が開く。

 そこには、兜を脱ぎ、見下ろすような巨躯を現したカイルが立っていた。


 鉄格子という絶対的な「安全圏」が崩壊した瞬間だった。


(ちょ、ちょっと待って!? なんで中に入ってくるのよ!?)


 カイルが一歩踏み出すごとに、牢屋の空気が極限まで圧縮されていくような錯覚に陥る。私は咄嗟に後ずさったが、数歩で冷たい石壁に背中がぶつかってしまった。


 逃げ場がない。


「な、何よ……! 近づかないで!」


 ドガンッ!


 私の顔のすぐ横、石壁にカイルの分厚い手が叩きつけられた。


 いわゆる「壁ドン」だ。

 だが、私の知っている甘いシチュエーションとは全く違う。


(ちょっと、本で読んだのと違うわ! 捕らわれの令嬢を助ける騎士は、もっと優しく跪いて手を包み込むものでしょう!? なんでこの男、こんなに怖いの!? 息が詰まりそう……!)


 至近距離に立つカイルからは、汗と鉄が混じったような、むせ返るような強烈な「雄」の匂いがした。


 見上げる彼の瞳は、暗い獣のように底知れない光を宿している。


「昨日は、随分と威勢が良かったな」


 地を這うような低い声が、頭上から降り注ぐ。


「あんたには見せてやらない、だったか?」


「っ……そ、そうよ! あ、貴方みたいな身分の低い男が、レディの部屋に無断で入るなんて許されないわ! 私はセドリック王子の婚約者なのよ。私に指一本でも触れてみなさい、不敬罪で即刻ギロチン送りよ!!」


 震える声で精一杯の虚勢を張る。この国で一番権力のある王子の名前を出せば、ただの兵士なんて震え上がるはずだ。


「……知っている」


 カイルは全く動じなかった。

 それどころか、彼の唇の端が歪に吊り上がる。


「だが、それがどうした?」


「え……ひゃっ!」


 息を呑んだ瞬間、私の顎が強引に掬い上げられた。


(この男、正気じゃないわ……! 王子の名前で脅したのに、なぜ――こんなに堂々としているの?)


 使い込まれて少しザラついた革手袋の感触。有無を言わさぬ強い力で固定され、私の生意気な口は物理的に封じられてしまう。


「あ……っ、放し……」


「威勢のいい口の割に、随分と震えているじゃないか。お嬢様」


 カイルのもう片方の手が、私の首筋から鎖骨へと滑り落ちる。

 分厚い革越しでも伝わってくる、火傷しそうなほどの男の体温。触れられた場所から、今まで感じたことのない熱と痺れが全身に広がっていく。


「や、やめ……」


「見せないと言われると、余計に中がどうなっているか確かめたくなるのが男だ」


 カイルの手は容赦なく、昨日私が自分で捲り上げたドレスの裂け目から、無防備な太ももへと侵入してきた。


「ひゃあっ!?」


 ビクンッと肩が跳ねる。彼の大きな手が私の柔らかな太ももをなぞるたび、頭の中が真っ白になり、足の力が抜けそうになる。


「……なるほど。知識ばかりは一人前だが、随分と初々しい反応をする。……そうだろ、経験豊富なお嬢様?」


 耳元で囁かれた皮肉に、私は顔から火が出るほど羞恥を感じた。


 バレている。

 私が男を手のひらで転がしているつもりで、実は何も知らないただの小娘だということを、この男は完全に見透かしているのだ。


「あ……うぅ……っ」


 恐怖と、触れられた場所の熱さ、そして圧倒的な力の差の前に――

 私は言葉を失った。


 目からはポロポロと無様な涙が溢れ落ちる。

 強気の言葉なんて、もう一文字も出てこない。


 それでも、私は最後の力を振り絞って彼を睨みつけた。


「あ、あんたなんかに……負けないんだから……っ」


 かすれ切った、惨めな強がり。

 カイルはそんな私をしばらく見下ろすと、ふっ、と短く笑った。


「いいだろう。その生意気な目がいつまで持つか、試してやる」


 彼は私の顎を解放すると、再び耳元に顔を寄せた。


「明日までに、もっと上手に鳴く準備をしておけ。……雌犬」


 背筋が凍るような、けれど下腹の奥が熱くなるような低い囁きを残し、カイルは身を翻した。


 重い扉が閉まり、再び鍵がかけられる音が響く。

 一人残された私は、冷たい床にへたり込み、ガタガタと震えながら自分を抱きしめることしかできなかった。


 私の武器は通用しない。

 私の知識は役に立たない。


 私はただ、あの恐ろしくも美しい猛獣の前に晒された、無力な獲物なのだと思い知らされたのだった。

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