第17話 愚者の甘い夢
(ベリル・サベージ視点)
(……くそっ、あの淫乱女め! そしてあの下賤な兵士め!)
椅子に座りながら、俺、ベリル・サベージはギリッと奥歯を噛み鳴らした。
昨夜、あの忌まわしい塔の牢獄で味わわされた屈辱。
そして、縄で簀巻きにされ、猿轡を噛まされたまま城門の前に朝まで放り出されていた時の、あの凍えるような寒さと全身の痛み。
(しかも、全裸でだ)
思い出すだけで、埒のあかない怒りで血が沸騰しそうだった。
だが、最後に笑うのはこの俺だ。
俺は城門での屈辱から解放された後、すぐにセドリック殿下に謁見し、あのルチアという小娘が卑しい番犬と密通している現場を目撃したと告げ口してやったのだ。
殿下は顔を真っ赤にして激怒し、すぐに塔へと向かっていった。
(ふひっ、今頃あの淫乱女も番犬も、殿下の逆鱗に触れて八つ裂きにされている頃だろう。俺は殿下に真実を教えた忠臣だ。極上のご褒美がもらえるに違いない!)
そうワクワクしながら、城の控え室で吉報を待っていたのだが――。
いくら待っても、セドリック殿下は帰ってこなかった。
昼を過ぎた頃、ついに側近たちが慌てふためき始め、俺のもとへ血相を変えて事情を聴きにやってきた。
「ベリル殿! 殿下はどこへ行かれたのだ! 朝からお姿が見えない!」
(……どこまで喋っていいものか)
少し迷ったが、ここで隠し立てして俺が疑われてはたまらない。
俺は正直に話すことにした。
「殿下は、婚約者であるルチア様が塔の兵士と不貞を働いているとお知りになり、それを咎めに行かれたのです!」
俺の証言を聞き、城の騎士たちが一斉に塔へと様子を見に向かった。
……しかし、戻ってきた騎士たちの報告は、俺の耳を疑うものだった。
「塔には誰も来なかったそうだ。見張りも『殿下のお姿は見ていない』と証言している」
「なっ……!? そ、そんなはずは!」
騎士たちの冷たく、刺すような疑いの目が一斉に俺に向けられる。
(なんだ、どうしてこんなことになっているんだ!? 殿下は確かに激怒して塔に向かったはずなのに、行っていないだと!?)
「塔に行くまでの間に、事故に遭ったのでは?」
誰かがそう言い出し、城内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなり、大規模な捜索が再開された。
俺も詰問され、何度も同じ証言を繰り返させられた。
結局、その日――セドリック殿下は見つからなかった。
「こいつが殿下を罠にはめたのでは」という周囲の冷ややかな視線に耐えきれず、俺は逃げるように自分の家へと帰ってきたのだった。
それから数日。
疑いの目が向けられたまま、肩身の狭い生活を送っていたある日のこと。
俺の家の玄関の隙間に、一通の『差出人不明の手紙』が挟まっていた。
宛先には、確かに俺の名前が書かれている。誰がどうやって届けたのか、全く気配もなかった。
『内密で頼みがある。西の森の中で身を隠している。救助してくれ』
震える手で封を開け、たったそれだけが書かれた短い文面を読んだ瞬間、俺の頭の中に電撃が走った。
(き、きっと、セドリック殿下からだ!)
一瞬、「俺を陥れる誰かの罠ではないか?」という疑念が頭をよぎった。
だが、俺の優秀な頭脳はすぐにそれを打ち消し、完璧な推理を導き出した。
王都の郊外にある西の森。
そこには、王家が所有する古い別荘がある。
(間違いない! 殿下は何らかの陰謀――おそらくはあの番犬たちか、対立派閥の暗殺者に命を狙われ、身を隠しているんだ! 側近や騎士たちの中に裏切り者がいるかもしれないから、あえて俺のような外部の『忠臣』を頼ったに違いない!)
俺の口元が、だらしなく歪んでいく。
(ふははははっ、やはり俺には運が味方している! ここで他の誰よりも早く殿下を助け出せば、俺は救国の英雄だ。金も地位も思いのまま……。それに、あの不潔な牢屋にいたルチアも、殿下を救った見返りに『俺の慰み者として下賜してくれ』と頼めば、きっと好きにできるはずだ!)
俺はセドリック殿下の安否などどうでもよかった。彼が無事かどうかよりも、彼を助け出すことで得られる「莫大な利権」のことで頭がいっぱいだった。
善は急げだ。
他の誰かに手柄を取られる前に、俺一人で助けに行かなければ。
俺は外套を羽織ると、期待に胸を大きく膨らませ、足早に西の森へと向かった。
……王都を抜け、西の森へと足を踏み入れると、そこは奇妙なほど静まり返っていた。鳥の鳴き声一つせず、風に揺れる木々の葉擦れの音だけが、まるで俺を嘲笑うかのようにヒソヒソと囁き合っている。
背筋を撫でるような薄気味悪い冷気。まるで、見えない巨大な獣の口の中に、自分から歩いて入っていくかのような、不自然な誘導感。
だが、救国の英雄となり、莫大な富と極上の女を手に入れるという『甘い夢』に完全に溺れきっている俺は、その致命的な違和感に気づくことはなかった。
「待っていてくださいよ、セドリック殿下。このベリルめが、今すぐお助けに参りますからねぇ……っ!」
誰もいない暗い森の奥へ向かって――
俺の下卑た笑い声だけが、虚しく吸い込まれていった。




