第021話 予言の断片
ナオミは治療院の隣にある建物へ向かった。研究室だ。
ユイは何も言わず、その背中についていく。
扉を開けた瞬間、紙と羊皮紙の匂いが鼻を突いた。
部屋の中には古い書物が積み上げられている。机の上、床、棚。そのすべてが本で埋め尽くされていた。
ナオミは椅子に腰を下ろし、向かいの椅子を指し示す。
「座って」
ユイは従った。
しばらくの沈黙の後、ナオミが口を開く。
「封印陣について、少し調べた」
ユイの心臓が強く脈打った。
北の森で見た、あの魔法陣。
「どんなことが分かったんですか?」
ナオミは机の上の古い本を開いた。
そこには複雑な文様が描かれている。形状は、北の森で見たものとよく似ていた。
「古代エルフの記録には、複数の封印陣が記されている」
指先で文様をなぞる。
「北の森の封印は、その一つかもしれない」
複数。
ユイの胸に、嫌な予感が広がる。
ナオミはさらに別の紙を広げた。古い大陸地図だ。
いくつかの地点に、赤い印がつけられている。
「他にも、封印の場所が示されている」
ユイは地図を覗き込んだ。
北の森の他に、東の山脈、南の湿地、西の砂漠、そして中央の廃都。
「これらの封印がすべて解かれたら、何が起こるか分からない」
声に、はっきりとした重みがあった。
「誰が、封印を解いているんですか?」
ナオミは首を横に振る。
「それは分からない。だが、意図的だ」
地図の北の森を指で叩く。
「この封印が解かれたのは、最近のはず。古代エルフの記録では、封印陣は数百年は持つ。自然に壊れることはない」
「誰かが……壊した」
「そういうことになる」
ナオミは地図を畳み、静かに息を吐いた。
「だが、目的が分からない。そもそも、封印陣が何を封じていたのかも、完全には解明されていない」
ユイは前世の記憶を探った。
だが、封印陣についての知識は何も出てこない。前世では、こんな異変は起きていなかった。
ナオミがユイを見る。
「あなたが戻ってきたことと、無関係ではないかもしれない」
ユイは息を呑んだ。
「……私が戻ったから、世界が変わったんですか?」
「断言はできない。でも、可能性はある」
ナオミは立ち上がり、窓の外を見た。
夜の闇が、王都を静かに包んでいる。
「世界には法則がある。時は一方向にしか流れない」
振り返り、ユイを見つめる。
「あなたは、それに逆らった。理の外に踏み込んだ存在だ」
胸が締めつけられる。
「それは、世界にとって異質。世界が反応しても、不思議ではない」
ユイは拳を握り締めた。
前世になかった異変。未知の魔物。壊れた封印陣。
それらがすべて、自分のせいだとしたら。
ナオミが一歩近づき、ユイの肩に手を置いた。
「責めているわけじゃない。ただ、事実として伝えているだけ」
優しい声音だった。
「あなたは、生きようとしている。それ自体は、間違っていない」
ユイは顔を上げる。
ナオミは微笑んでいた。
だが、その表情がすぐに引き締まる。
「ただし、覚えておきなさい」
再び本を開く。別のページだ。古代文字がびっしりと並んでいる。
「古代エルフの予言書には、こう書かれている」
ナオミは読み上げた。
「二度目を生きる者。理の外より還りし者。世界は彼らを拒む」
背筋が冷たくなる。
二度目を生きる者。それは、他ならぬ自分だ。
「そして、世界の歪みを正そうとする者たちがいる」
ナオミは本を閉じた。
「観測者よ」
その言葉に、ユイの呼吸が一瞬止まる。
襲撃者が残した紙片にあった名前。
「観測者とは……」
「世界の異変を監視する者たち。古代から存在すると記録にはあるけれど、詳細は分からない」
ナオミは椅子に腰を下ろす。
「彼らは世界の流れを守る存在。流れを乱す者を観察し、必要とあらば排除する」
喉が渇いた。
「……排除される可能性もある?」
「否定はできない。ただ、あなたはまだ排除されていない」
ナオミは少し考え込むように視線を落とした。
「理由があるはずよ。観測者は、あなたを見ている。あなたが何を選び、世界に何をもたらすのかを」
ユイは立ち上がった。
「ありがとうございます。知らないままでいるより、ずっといい」
ナオミは静かに頷いた。
「他にも分かったことがあれば、必ず伝える」
研究室を出ると、外は完全に夜だった。
冷たい風が頬を撫でる。
封印陣。
観測者。
世界の歪み。
ナオミの言葉が、頭の中を巡る。
ユイは宿へ向かって歩き出した。通りに人影は少ない。街灯の明かりが、石畳を照らしている。
前世では知らなかったことばかりだ。
起きなかったはずの異変が、次々と現れている。
ユイは足を止め、空を見上げた。
星が静かに瞬いている。
自分が戻ったことで、世界が変わったのかもしれない。
そうだとしたら、責任はある。
それでも、後悔はなかった。
前世では、一人で戦い、孤独のまま終わった。
今は違う。
カイルがいる。リリアがいる。ナオミがいる。
一人ではない。
ユイは再び歩き出した。
宿の灯りが、視界に入る。
ナオミの言葉が、胸に残る。
世界は、見ている。
観測者は、すでにこちらを見ている。
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