ep.4 "造花"
「これは…」
あの後、直ぐに部屋へと運ばれた俺は、ラシエル家お抱えの医師に隅から隅まで診療されていた。
両親も同席しているのだが、かなり暗い表情をしている。
それもそのはずであろう。
衣服には間違いなく"死に至る程の大怪我"をしたであろう大量の血液が付着しているのに、体の方には傷など全くない。
正直いって、我ながら常軌を逸している。
「私としてもこのような事は初めてで…その…奇跡としか…」
医師は額に浮かぶ汗を拭い、震える手でカエルムの衣服を掴んだ。
「こ、こちらの血液、本物かどうか調べてみても…?」
「…いえ、許可しません。お下がりください。」
父エドリックが退出を促すと医師は一瞬、カエルムを一瞥した。
まるで何か見てはいけないものを見てしまったかのように。
医師は慌てて器具を片付けると、そそくさと退出した。
母は不安と恐怖に駆られた目でこちらを見つめていて、父は苦虫を潰したかのような酷い顔をしていた。
なぜ俺は生きているんだろう。
たしかに俺は死んだ。
あの痛みも感覚も、嘘なんかではなかったはずだ。
――そうか。生き続ける罰…か。
神でも、運命でもない。
これは俺が自分で選んだ報いなんだ。
両親には、伝えておいた方が良いかもしれないな…。
「父上、母上、実は…」
「ヒッ…!」
母イゾルデの呼吸を押し出すような短い悲鳴。
それで全てを悟った。悟ってしまった。
もう愛されることなどないのだろう。
既に両親には目の前にいるのは、可愛い息子ではなくなってしまったのだ。
「…申し訳ございません。今日は1人にさせて頂けないでしょうか」
ハッと表情が弾け、イゾルデはカエルムに手を伸ばした。
…そして、その手は途中で止まってしまった。
その手が止まった瞬間、胸の奥がひどく傷んだ。
触れられなかっただけなのに、何かを引き裂かれたような気がした。
エドリックはイゾルデの肩に手を触れ、短く息を吐く。
そしてその後、何も言わずに2人は退室した。
2人が居なくなった後、静寂が訪れた。
何も聞こえない。
自分の呼吸する音すら、はるか遠くに感じる。
――それでも、胸の奥だけが熱かった。
俺は……死にたくなった。
俺を育てた手は、間違いなくこの世界のものだ。
けれど、その奥の温もりに日本で過ごした家族の記憶がいつも影のように残っていた。
その影が、俺の中でずっと壁になっていたのかもしれない。
俺はこの人たちを、本当の意味で"父と母"だと思えていなかった。
だから――あの人たちの中で、俺も息子ではなくなってしまったのだろう。
「全部、俺の自業自得だな…」
こぼれ落ちた声は誰の耳に入る訳でもなく静かに部屋に散った。
――――――――――
――深夜。
嫌がらせかと思うほど綺麗な月が、静かな屋敷の中庭を照らしていた。
皆が寝静まり、虫の声すら遠のいた頃。
カエルムは今日の出来事を何度も思い返しては、眠れずにいた。
そんな時、部屋の扉がきしみを上げて、ゆっくりと開く。
「……誰ですか」
「……起きていたのか」
低く抑えた声。けれど震えている。
月明かりに照らされた顔を見て、カエルムは驚いた。
ルシエルだった。
「……なんの用でしょう」
「貴様に言いたいことがある」
ルシエルの右手が、わずかに光を反射する。
握られていたのは銀のナイフだった。
その刃先は、躊躇なくカエルムの胸元へと向けられる。
「……今すぐに、自害しろ」
その言葉は冷たく、しかし、どこか痛々しかった。
怒りでも憎しみでもない。
幼い心で絞り出した“正しさ”の声だった。
「……死ぬことは…出来ない…」
「……何?」
「…神からの祝福でね…」
一瞬、沈黙。
月光が二人の間に落ち、ルシエルの瞳がぎらりと揺らぐ。
「……忌々しい」
掠れた声が漏れた。
その小さな肩が、怒りと涙で震えていた。
「……お前のせいで、父さんも母さんも……。
お前が来てから、ずっとお前ばかり見ている」
ルシエルは息を荒げ、ナイフを握りしめる手に力を込める。
言葉の端々に、10歳の子どもらしい歪んだ寂しさが滲む。
「なぜだ……なぜ、父さんも母さんも……。
私がどれだけ努力しても、見てくれないのに……!」
カエルムは静かに目を伏せた。
何も言えなかった。
それは兄の怒りではなく――心の叫びだったから。
「……なぜ、何も言い返さない!」
「……お前が、そう言いたくなる気持ちは分かるからだよ」
「は……?」
ルシエルの顔が歪む。
理解できない。赦せない。
なのに、その言葉が胸を刺して痛かった。
「……やはり、お前は化け物だ。
人の気持ちなんて分かるはずがない……!」
そう吐き捨てて、ルシエルは背を向けた。
何かを言いかけて、結局、何も言わないまま扉を閉める。
カエルムの部屋に、静寂が戻る。
風がカーテンを揺らし、月光が床を淡く照らした。
「……そうか。俺は、化け物か」
呟いた声が、自分でも驚くほど静かだった。
――もういい。
ここは、俺の居場所じゃない。
窓を開ける。
夜気が肌を刺し、外の闇が吸い込むように広がっていた。
カエルムの部屋は二階。
地上は遠い。だが、怖くなかった。
どうせ、頭から落ちても死ねない。
「全部、俺の自業自得だな……」
微笑とも溜息ともつかぬ息を漏らし、
俺は、迷わず身を投げた。
屋敷の壁が上から下へと流れていく。
骨が軋む音と共に、月が視界の端で滲んだ。
そして、全てが静寂に沈んだ。
「案の定、死ぬことはない。か」
俺は何も無かったかのように立ち上がっていた。
意識を失っていたのは、ほんの瞬きほどの時間だろうか。
立ち上がった足元には濡れた土の感触が残っていた。
月明かりに照らされた屋敷の白い壁がやけに冷たく見える。
守衛の足音が近づく気配を感じて、俺は庭の木をよじ登った。
枝をつかみ、木をよじ登ると風が変わったことを感じる。
目の前に広がるのはまだ知らない街。
父上の――いや、エドリックさんの街だ。
北の方角には大きな建物が静かに整列している。
たしか、商人達が闊歩するメインストリートだったはずだ。
こんな夜でも守衛の見回りが絶えず行き交っている。
東の方角からは笑い声と笛の音。
酒と香の匂いが風に乗り流れてくる。
…なら、行けるのは1箇所しかない。
1番静かな方角。
誰にも見つからない場所。
俺は屋敷から見て裏手側、西門へと歩き出した。
あの先には、決して近づくなと言われた場所
――スラム街がある。
スラム街と言えば、1歩踏み込んだらスリや恐喝、拉致などが横行する犯罪者のたまり場だと教えられていたが、思ったよりも静かな場所だった。
音がない。人の声もしない。
壊れかけた建物の隙間から、冷たい風が吹き抜けていく。
生きているはずの街が、まるで死んだ街のように感じた。
まぁ、誰だって血だらけの貴族の子どもに関わりたくはない。そういうことだろう。
けれど、誰も居ないというのは、こんなにも寒いものなのか。
いくら不死身とはいえ壮絶な一日を過ごし、気力も体力もとうに限界を迎えていた。
まぶたの裏ではまだ屋敷の白い壁がちらつく。
あの冷たい月光の色が、どうしても頭から離れない。
「…このまま過労死でもしてくれればいいのに…」
意識が朦朧とし始めた頃、俺はその場でパタリと座り込んでしまった。
ふと横を見ると、名前も知らぬ野花が綺麗な花を咲かせていた。
「…お前はなぜこんな所で生きてるんだ」
誰かに向けた訳でもない言葉の返事は、夜風に揺れる揺らめきだった。
「…なんだよ。それ」
こんな所で生きていて価値はあるのか。
死んだ方がマシなんじゃないか。
そんな言葉を投げかけても、どこ吹く風とばかりに揺れ動くだけだった。
「………俺は、造花だな…」
作り物の命。
朽ちる事も、枯れることもない。
ただそこにあるだけの、生き損なった花。
――正しく俺の事だ。
感傷に浸りながら俺は眠りについた。
――――――――――――
「生きてますかー!!!!」
誰かの叫び声で目が覚めた。
夜はとうに明けており、陽光は天高く登っていた。
ボサボサとした手入れのされていない黒髪にすすけた顔の少女が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「…誰?」
「…わ、生きてた!!!良かった〜全身血だらけだったから死んじゃってるのかと思った…」
少女は俺の体をポフポフと叩く。
…傷の確認のつもりだろうか…?
少女は一通り俺の体を叩いた後、ハッとした表情を浮かべ言った。
「あ、私ね!ミリアって言うの!よろしくね!!!」
差し出された手は陽光に照らされキラキラと輝いて見える。
この底抜けな明るさは――
「………太陽…みたいだ」
少女の笑顔は、夜明けの光のようだった。
本物の花じゃない俺に、まるで"生きろ"と命じるように。
枯れることも咲くこともないはずの俺の中で、
かすかに――何かが息をした。




