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ep.12 共依存の息

アマリアの亡骸から視線を逸らした瞬間、世界の輪郭がぼやけた。

涙は出なかった。ただ胸の内側だけが静かにひび割れていく。


何時間、そうしていたのか分からない。

ミリアは、さっきまで俺にしがみついて泣いていたのに、今は天幕の隅で膝を抱えて座っている。

顔は上げていない。

指先だけが、小刻みに震えていた。


何か、言わなきゃいけない気がした。

けれど、何を言えばいいのか、まるで分からなかった。


「……ごめん」


ようやく絞り出した言葉は、それだけだった。

自分でも情けないと思うほど、薄っぺらい音だった。


ミリアは顔を上げない。

代わりに、膝に埋めていた指先に力がこもる。


「カエルムくんの……せいじゃ、ないよ……」


かすれた声。

その声が、逆に俺の胸をえぐった。


そうだ。

俺のせいじゃない。

エドリックが助けてくれなかったから。

ライアスが薬を用意しなかったから。

この国が、貧しさを放置したから。

神様が。――あいつが。


喉の奥まで、そんな言葉がせり上がってきた。


――違う。


心のどこかで、別の声が囁く。


違う。違うだろう。

罪を並べて責任をばら撒いたところで、アマリアは帰ってこない。

あの霧の中で立っていたのは、誰だった?


俺だ。


あの時、御者に頼めばもっと急いでくれたかもしれない。

あの時、屋敷を出るのがあと一日、早ければ間に合ったのかもしれない。

あの時、前世で飛び降りなければ

――そもそも、こんな体でここにいることも、なかった。


全部、繋がっている。


屋上から飛び降りた自分。

この世界で死ねない自分。

自分のために人を巻き込んだ自分。

その結果として、人が死んだ。


「……なんだよ、それ」


自分の唇から漏れた声が、他人のものみたいだった。


「全部……自業自得じゃないか」


「カエルムくん……?」


ミリアが顔を上げる。

その瞳には、まだ涙が残っていた。


視界の端に、先ほどまで野花が挿してあった花瓶が映った。

水は濁り、花はもう折れている。

ただの、空っぽの器だ。


気づいた時には、その花瓶を掴んでいた。


「カエルム……くん?」


ミリアの声が震える。

俺は、よろよろと立ち上がり、花瓶を見つめた。


ひびの入った縁が、ぼんやりと光を反射している。

美しいとも、汚いとも思わなかった。

ただ、これなら――と、直感した。


「どうし――?」


「だってさ!」


ミリアの声に覆い被さるように言葉を吐く。

口の中で、言葉が勝手に転がる。


「俺が、死ねばよかったんだよな」


次の瞬間、腕が勝手に動いた。

花瓶を床に叩きつける。


割れる音が、やけに鮮明に響いた。

散った破片が、陽光を弾いてきらりと輝く。


「カエルムくん!! 危ないよ!!」


ミリアの叫びが聞こえる。

聞こえるが、届かない。


足元の破片をひとつ拾い上げる。

尖った、それなりに長さのある破片。

喉元に当てると、ひやりとした感触が走った。


「やめて!!」


ミリアの手が伸びる。

それよりも早く、俺は力を込めた。


何かが裂かれるような、破裂するような音がした。

視界が揺れる。

これでやっと、――楽になれる。


けれど次の瞬間、そのすべては押し流されるように引いていった。


喉を押さえる。

何もない。

滑らかな皮膚の感触だけが指先に返ってくる。


一滴の血も、残っていなかった。


「……あ、は」


笑いが漏れた。

おかしくもないのに笑いが出る。


「そうだよな。そうだよ。死ねないんだ、俺は」


衝動のまま、胸を抉るように力を込めた。

心臓が跳ね、視界が暗転しかけて――すぐ元に戻った。


割れた器の破片が、何度も床を跳ねる。

血の気が引いているはずなのに、指先は妙に冴えていた。


「やめて!! お願い、やめて!!」


ミリアが叫ぶ。

泣きながら、こちらに駆け寄ろうとする。

しかし足が縺れ、膝から崩れ落ちる。


「どいて」


自分でも驚くほど、冷たい声が出た。

ミリアがびくりと肩を震わせる。


「……どいてよ。これは、俺の罰だ」


俺は破片を握ったまま、床に膝をついた。

ひたすらに、同じ場所を。

何度も何度も、なぞるように。


痛みだけは確かに存在した。

けれど、その先に続くものが決定的に欠けていた。


死がない。

終わりがない。


何故だ。何故だ。何故だ。何故だ。何故だ。


――どうして、俺だけ。


「ねぇ、ミリア」


自分でも何を言おうとしているのか分からないまま、口が動く。


「俺さ、前の世界で一回死んだんだ」


ミリアの呼吸が一瞬止まるのが分かった。


「屋上から飛び降りたんだよ。勝手に。誰にも相談しないでさ。

……あの時、死んだと思った。全部終わったと思った。楽になれると思った」


破片を握る手に、力がこもる。


「でも、終わってなかった。転生したら死ねない体になって、人を巻き込んで

……それで、今、この体はのうのうと生きている」


言葉が途切れる。

喉の奥が焼ける。


「……なあ、ミリア。これ、なんて言えばいいんだと思う?」


返事はない。

代わりに、小さなすすり泣きが聞こえる。


「――"化け物"だよ。完全に」


自嘲が滲む。


「呪われた化け物。自分勝手に死んだ罪で、生きることも死ぬことも許されない人間の皮を被った化け物なんだよ!!!」


破片を握り直す。

それでもやっぱり、何も変わらない。


「……だからさ」


気づけば、涙が視界を歪めていた。

嗚咽は出ない。

ただ、目の奥がひりひりと痛い。


「頼むから、殺してくれよ」


「っ……!」


ミリアが顔を上げる。

真っ赤に泣き腫らした目が、俺を見ていた。


「頼むからさ。もう、やだよ。息するたびに、後悔だけ増えていくの。

あの時こうしてれば、あの時ああ言ってれば、ってさ。

勝手に死んで、勝手に生きて、勝手に人を巻き込んで……その結果がこれって、……悪趣味すぎるだろ」


声が震える。

破片がカチリと床を叩いた。


「死にたいんだよ。ちゃんと。今度こそ。誰も巻き込まないでさ。静かに、終わりたいんだよ」


ひどく穏やかな気持ちだった。

それが余計に、自分が壊れている証拠のように思えた。


「お願いだよ、ミリア」


頭を垂れる。

額が床につく。

土のにおいと、乾いた血のにおいが、鼻を刺した。


「ねぇ……」


小さな影が、そっと近づいてくる気配がした。

ミリアは立ち上がる。

震える足で、一歩一歩、こちらへと歩み寄ってくる。


その姿は、まるで産まれたての子鹿のように心許なかった。

それでも、ミリアは止まらなかった。


目の前で足音が止まる。

ミリアは俺目掛けて手を伸ばした。


「そう、それでいいんだ…やっと…終われる」




次の瞬間、温かい何かが俺の体を包んだ。


抱きしめられているのだと気づいたのは、少し後だった。


「……は?」


「お願い……」


耳元で、ミリアの声が震える。


「お願いだから……これ以上、私から何も取らないで……!」


腕に力がこもる。

細い腕なのに、驚くほど強かった。


「お母さんも!明日も!

……いっぱい、いっぱい、なくなっちゃったの……。

これ以上、なくなったら、私、どうしたらいいのか分かんなくなっちゃう……!」


言葉が途切れ途切れにこぼれる。

涙の熱が、首筋に落ちた。


「カエルムくんまで…いなくなったら私

……本当に、ひとりになっちゃう……!」


「……ミリア」


名前を呼んだ瞬間、ミリアの体がびくりと震えた。

それでも、腕の力は緩まない。


「カエルムくんは、行っちゃダメ!!」


天幕の薄い布さえ震わせるくらいの声で、ミリアが叫んだ。


「カエルムくんは、いい人だよ!!」


「……俺が?」


「そうだよ!!」


迷いのない声だった。


「わたしと、お母さんを心配してくれたのは、カエルムくんだけだったよ!

お母さんを助けようとしてくれたのも、カエルムくんだけだった!!

それが、悪い人なわけないじゃん!!」


喉の奥が熱くなる。

何かを言おうとしても、声にならなかった。


「カエルムくんは、"化け物"なんかじゃない!!」


ミリアは一度腕を離し、俺の頬を両手で挟んだ。

強引に顔を上げさせる。


涙で濡れた瞳が、真正面から俺を射抜いた。


「カエルムくんは――」


一拍置いて、彼女は大きく息を吸い込んだ。


「ただの、バカだよ!!」


「……は?」


あまりにも予想外の言葉に、間抜けな声が漏れた。


「自分のこと、そんなに嫌いになるなんて、バカじゃん!!

自分なんか死んだ方がいいって、本気で思ってるなんて、すっごいバカだよ!!」


「いや、でも俺は――」


「頭の悪いこと考えちゃう人は、バカなの!!」


ミリアは俺の額を、ぺしん、と叩いた。

痛くはない。

けれど、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。


「バカで、弱くて、すぐ自分を責めて、すぐ全部自分のせいだって思う……そんなの"普通の人"だよ……!」


最後の一言だけが、やけに静かだった。


「……普通の…人…?」


「そうだよ」


ミリアは、かすかに笑った。

泣き顔のまま、でも確かに笑っていた。


「カエルムくんは、人だよ。ちゃんと、ここで生きてる人。……だからね」


言葉を区切り、ミリアはそっと額を俺の肩に預けた。


「カエルムくんが、自分を大事にできないなら――」


小さな手が、俺の服の裾をきゅっと掴む。


「代わりに、わたしを守って?」


耳元で、か細い声が震えた。


「わたしが、カエルムくんを大事にするから。だから、カエルムくんは……わたしのために、生きてよ」


理屈になっていない。

子どもの我儘だ。

でも、その我儘は、誰よりも真っ直ぐだった。


「……なんで」


かろうじて、それだけを絞り出す。


「なんで、そんなこと言えるんだよ。俺は、お前のお母さんを助けられなかったのに」


「ちがうよ」


ミリアは首を振る。

涙が零れ落ち、膝の上に小さな染みを作った。


「お母さんはね、カエルムくんにありがとうって言ってたんだよ……」


「……え?」


「私を心配してくれる人がいるなら、カエルムくんがいるなら安心だって……。だから、お母さんは、ごめんねって言ったの」


胸の奥で、何かが崩れた。


「ミリアのこと、お願いねって。……きっと、そういう意味だよ」


ミリアは泣き笑いの顔で、俺を見た。


「だから、カエルムくん」


震える手が、そっと俺の頬に触れる。


「わたしのために、死なないで」


その言葉は、呪いのようで。

それでいて、祈りのようでもあった。


死ねない体にかかった、もうひとつの枷。

それは、誰かの小さな願いという形で、静かに降りてきた。


息を吸う。

肺が痛い。

でも、その痛みはさっきまでとは違っていた。


俺は、ミリアの肩に額を預けた。

抱きしめ返す。

細い体は折れそうで、それでも不思議なくらい温かかった。


「……分かった」


ようやく、その一言が出てきた。


「俺はもう、自分のためには生きられない」


それは、とうの昔に捨ててきたものだ。


「だったら――」


腕に、少しだけ力を込める。


「お前のために、生きてみるよ」


ミリアの肩が震えた。

次の瞬間、彼女は子どものように声を上げて泣いた。


狭い天幕の中で、二人分の泣き声だけが響く。

春のような陽光が布を透かし、静かに俺たちを照らしていた。


もう戻らない人のために。

まだ生きている人のために。

そして何より、自分の罪から目を逸らさないために。


俺はミリアのために息をした。

それが、生きることの全部だった。

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