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ep.11 "野花"

世界に目覚めをもたらす陽の光は、暖かく祝福しているようだった。

霧の帳が薄れていく街道の先、ひときわ濃い白の中に、あの男の姿があった。

御者の男だ。昨日と同じ煙草を咥え、馬のたてがみを撫でていた。


「……おい坊主。

お前……本当に生きて帰ってきやがったのか」


呆れと安堵が入り混じった声だった。

俺は小さく頷くと、泥にまみれた服の裾を握りしめた。


「……今すぐ服を燃やせ」


御者の声が低く響く。

火打石を投げられ、反射的に受け取った。


「白い粉が大量についてんだろ。

服ごと燃やせ。昔それで何人も死んでんだ」


「……そう、ですか」


言われるままに、俺は服を脱いだ。

火がつくと、布は思ったよりも早く燃え上がった。

ぱちぱちと音を立てて燃えるその炎は、白く、儚く、まるであの夜の霧みたいだった。

燃え落ちていく煙が空に消えるたび、胸の奥が少しずつ軽くなる。

けれど、同時に何かが消えていくような気もした。


「……これでいい」


御者は俺に替えの服を投げ寄越した。

見栄えは悪いが、仕立ての良いものだった。

御者は俺が服を着ることを確認すると馬車を叩いた。

蹄の音が、静寂の街道にこだました。


馬車に乗ると安堵したのか急に睡魔が襲ってくる。

そういえば、ここ2日まともに寝ていなかったと思い出す。


「少し…休もう」


俺は希望の欠片を握りしめ、意識を手放した。



――――――――――



目を覚ますと馬車は既に街の門をくぐっていた。

御者は気を使って、俺を起こさなかったらしい。

少し硬くなった身体を無理やりに起こすと、石畳の上には朝靄がまだ残っていた。

目覚めた街のざわつきが、どこか遠くに感じられた。


ライアスの店の前に差し掛かると、見慣れた二つの影があった。

父と母だ。


「ライアス!貴様、息子に何をそそのかした!!!」


「おいおい、落ち着けよ。坊主が選んだことで――」


その時、扉が軋んだ。

俺が現れると、三人の視線が一斉に向いた。


「……カエルム?」


イゾルデの声が震えていた。

エドリックは言葉を失い、ライアスは目を丸くして

――すぐに破顔した。


「はっはっはっ! やりやがったな坊主!! まさか本当に取ってきやがるとは!」


嬉しそうに笑うライアスの声に、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。

俺は胸元から包んだ葉を取り出し、そっと差し出した。


「これが……白葬花の葉です。これで、金が作れるはずです」


言い終わる前に、ライアスの大きな手がそれを受け取った。

彼の表情が一瞬だけ引き締まる。

商人の顔ではなく、一人の男の顔だった。


「……確かに、本物だ」


短く呟き、ゆっくりと笑う。


「お前はもう立派な“取引人”だ。命を賭けた代価に、嘘はねぇ」


そう言って、俺の肩を軽く叩いた。

その言葉が、どこか遠くで響いているように感じた。


「カエルム!」


父の怒号が飛ぶ。

息を荒くし、苦しそうに声を張り上げていた。


「相談もせずに……なぜ一人で行った!」


「……相談はしました。領主として、断られました」


静かに返す。

その言葉に、父の顔が揺れた。

イゾルデが何か言いかけて、口を噤む。


沈黙。

冷たい空気が流れる。


父の手が震えていた。

怒っているのか、悲しんでいるのか――わからない。

ただ、何も言えなくなった父の姿を見て、

俺もまた、胸の奥が熱くなった。


何か言いたい言葉があった。

でも、喉の奥で溶けて消えた。

口を開きかけて、結局、閉じた。


重たい“間”が落ちた。

店の外で風が鳴る。

その音だけが、妙に耳に残った。


ライアスが大きく息を吐き、

ゆるく手を叩いた。


「まあまあ。親子喧嘩は後にしな。

坊主、スラムの女のところへ行け。薬じゃねぇが、金ができるって言ってやれ。少しは安心するだろ」


「……はい」


俺は頷いた。

希望を――届けに行くために。



――――――――――



スラム街に着くころには、太陽がすっかり昇っていた。

あの時と同じ道。

同じ匂い。

だけど、何かが違っていた。


空気が、どこか沈んでいた。


息を切らせる。

ここ数日、ずっと走り続けていた。

だからこそ――そろそろ休みたかった。


「…アマリアさん、起きているだろうか。ミリアも寝られていたら良いな」


今はただ、あの二人の顔が見たかった。

それだけで、それだけで十分だった。


「アマリアさん! ミリア!」


声が裏返る。

息を切らして天幕の前に立つと、中から嗚咽が聞こえた。

胸の鼓動が跳ねる。

幕を掴み、勢いよく開いた。

薄暗い室内に、陽光が刃のように差した。


「金が……できそうなんだ! もう少しで助かるんだ!」




その瞬間。

世界から、音が失われた。


ミリアが、泣いていた。

小さな肩を震わせ、アマリアの胸に顔を埋めて。

アマリアは、穏やかな顔で目を閉じていた。

まるで眠っているように。


言葉が出なかった。

頭の中で何かが音を立てて崩れていく。

喉が焼けるように熱くなり、声が、出なかった。


ミリアがこちらを見上げた。

涙を透かして射す光が、その頬を淡く照らしていた。

真っ赤に充血した瞳で、まっすぐ俺を見ていた。

ミリアが震えた手で俺の手を握ると、静かに告げた。


「……お母さんが、ごめんね…って……」


ミリアは言葉を吐き出すと、俺に抱きつき静かに泣いた。

僅かに漏れる悲しみを帯びた声が、俺の中のすべてを終わらせた。




膝が勝手に折れた。

地面に手をつくと、乾いた音がした。

陽の光が天幕の布を透かして差し込み、

アマリアの頬を、柔らかく照らしていた。


その光は、まるで春のように暖かかった。

だけど、彼女はもうそれを感じていなかった。


なにか言葉を探そうとしても、喉の奥で砂のように崩れていった。


壁際に飾られていた野花は、完全に枯れていた。


触れた瞬間、茎は力なく折れた。

あまりに軽くて、まるで誰かの最後の息を手のひらで受け止めたようだった。




――例え劣悪な環境であろうとも、

名も知らぬ"野花"は強く気高く生き、そして死んでいた。

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