第8話
言い訳を送らねばならないのだが、母も姉たちも、そして当のクララさえも――完全にネタ切れだった。
本来なら、昨日が王太子からの手紙への返答期日だった。けれど、何を書いても嘘くさくて、筆が進まない。
「……全部の指を突き指した、っていうのは?」
ルクレツィアが、まるで真面目な政治議題のような顔で提案する。
「それ、先々週に使いました」
即座にセレナが却下した。
「じゃあ、虫刺されはどうでしょう」
今度はメイドのひとりが提案する。
「さすがに無理があるわ……」
クララが呻いた。
虫刺されで手紙も書けないし、会えないなんて、さすがに王太子も察するだろう。
一同、沈黙。
小さく風の音だけが、窓辺のカーテンを揺らした。
「……仕方がないわ。風邪にしましょう」
ルクレツィアの一言で、部屋にざわめきが広がる。
「そんな! 普通すぎませんか?」
「それ、最初に使いましたよ……」
「仕方ありません。とりあえずの言い訳にはなります。他に、もっと説得力のある案はありますか?」
ルクレツィアの問いかけに、誰もが押し黙った。
「――異論は、ないようですね。では、風邪で決定です」
そう言ってルクレツィアは、さっさと筆を取って書斎へ向かった。
――
馬のいななきが聞こえたかと思うと、扉を叩く音が屋敷に響いた。
誰だろうと窓の外を覗いたクララは、世に二つとないだろう美しい顔――王太子フィリクスの姿を目撃してしまう。
慌ててカーテンの裏に飛び込んだ。
直後、廊下を駆ける足音が迫ってきた。やっぱりセレナだった。今回はヴィタも一緒だ。
「こっちよ!」
そう言うが早いか、姉たちに両脇を固められ、そのまま屋根裏部屋へと連行される。
二人がかりで中へ押し込まれ、バタン、と扉が閉じられた。
――なぜだろう。以前も同じことがあったような気がする。
いや、あった。
「お姉様!?」
「しっ、静かに!」
セレナが囁くように言う。
「でも、今回は私、出ていきます。きちんとお話しします!」
「駄目よ! 昨日“風邪”って言ったばかりじゃないの!」
ガチャリ――
無情にも、外から鍵をかける音が響いた。
「どちら様でしょうか?」
居留守作戦があえなく失敗に終わったあと、執事は前回と同じように、ゆっくりと扉を開けた。
「無礼ではないか! こちらは王太子フィリクス殿下にあらせられるぞ! なぜすぐに出ない!」
アーベルの怒声が、屋敷の中まで響き渡る。
「……申し訳ございません。ただいま非常に悪質な風邪が流行っておりまして……。私以外の使用人は、全員寝込んでおります」
「そんな馬鹿な言い訳があるか! どけ! 中を確認させてもらう!」
屋敷に踏み込もうとするアーベルを、穏やかに制したのはフィリクスだった。
「侍従の無礼をお詫びする。申し訳ない。こちらが予告なく訪れた身だ、咎めるつもりはない」
「しかし殿下!」
「よせ、アーベル」
フィリクスは静かに制し、執事へと向き直る。
「申し訳ありませんが、侯爵夫人にお目にかかれますでしょうか。お取次ぎをお願いできますか?」
「……少々お待ちくださいませ」