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第6話

 話し合いが終わり、クララは母ルクレツィアをそっと呼び止めた。


「お母様は……私が修道女になること、反対しておられるとばかり思っていました」


 その言葉に、ルクレツィアはゆるやかに微笑み、やがて穏やかな声で応じた。


「そう思わせてしまったなら、それはわたくしの未熟さね。でも、クララ……あなたがどれほど真剣に自分の道を見つめていたか、わたくしはちゃんと見ていたのよ」


「……私のこと、気づいておられたのですか?」


「もちろんよ。でもわたくしだけではないわ。夜更けに灯るランプの明かり、観測ノートに書き込む小さな文字。毎晩疲れた顔で目をこすりながらも、星を見上げていたでしょう。隠しているつもりだったかもしれないけれど、あなたの努力は……皆が知っているわ」


 クララは息を呑んだ。母には決して悟られまいとしていた自分の姿が、こんなにも鮮やかに見られていたことに、気恥ずかしさと喜びが去来する。


「お父様とも話し合っていたのよ。もう少し状況が落ち着いたら、正式に修道院へ願い出ようって。半年後には、あなたを送り出す予定だった」


「そんな……私、何も知らなくて……」


「あなたには、余計な心配をさせたくなかったの。でも……そうね、王宮にあなたを行かせたのは、あれはわたくしの甘さだった」


 ルクレツィアの声が少しだけ掠れる。


「どこかで、まだ迷っていたの。母として、あなたを遠くにやる覚悟ができていなかったのね。あなたの夢を応援しているふりをして、まだ……手放したくなかった。あなたが、あまりにも愛しいから」


 その静かな告白に、クララの胸にじわりと温かな痛みが広がる。

 修道女になれば家族には滅多なことでは会えなくなる。自分の夢ばかり追って母の気持ちに気づかなかった自分をクララは恥じた。


「でも、もう決めたの。あなたの夢は、あなた自身が選び取ったもの。母として、それを支えられなければ意味がないわ」


 ルクレツィアはクララの手を取ると、優しく握りしめた。


「だから――任せておきなさい。あなたの夢のためなら、わたくしは何だってしてみせます。修道院に送り出すと決めたからには、王家がどう出ようと、必ず守ってみせます。信じなさい、クララ。わたくしは、あなたの母です」


「……お母様……」


 クララは思わず、その手をぎゅっと握り返した。母のぬくもりは、言葉以上にまっすぐで力強く、心を包み込んでくれた。


 だが、母はその手を包んだまま、ふっと息をついて続けた。


「ですが――あなたがそれでも王太子殿下を選ぶと判断したのなら、それはそれで構いません。修道女でも、王太子妃でも。あなた自身が望んだ道なら、わたくしは反対しません」


 その言葉に、クララは一瞬だけ目を見張った。


 それは、ただ娘を遠くへやりたくないという母なりの本音だったのだろう。どこにいても幸せでいてくれるのなら、それでいい――そんな静かな願いが、母の瞳に込められていた。



 ――


 翌日から、クララは盛大に「寝込んで」みせた。

 部屋に本を山のように積み上げ、熱心に読み耽る。外に出ることはないが、体調不良というより、静かな籠城戦のようだった。


 セレナやヴィタが時折顔を出し、おしゃべりをしたり、メイドとカードゲームに興じたりする時間もあった。カードゲームにはヴィタもたまに加わったが、彼女はすぐに表情に出るため手札が読みやすい。セレナはその点を自覚しているのか、最初から参加せず、紅茶を片手に微笑みながら観戦していた。


 そんな穏やかで静かな日々が四日ほど続いた。


 だが五日目の朝、クララのもとに一通の手紙が届けられた。


 ――王太子からだった。


「……わたくしの想定では、王家が真実にたどり着くまで少なくとも一週間はかかると思っていたのですが……」


 ルクレツィアが苦々しくため息をつきながら、手紙をクララに差し出す。


「さすがにこれは、読まないわけには参りませんね」


 封筒は上質な白紙に金の縁取りが施され、品のある整った筆跡で「クララ様」と宛名が書かれていた。裏面には、小さく「フィリクス」とサインのように記されている。


 クララは静かにペーパーナイフを取り、封を切った。緊張で指先が少し震えていた。


 手紙の文面は短く、だが丁寧で、過不足ない誠実さがそこにあった。

 最初に驚かせた謝罪から始まり、次にクララの体調を心配する旨、そして解呪の感謝が綴られていた。


 文字は静かで、押しつけがましさがまるでない。それどころか、彼の感情が慎重に、だが確かに抑え込まれているのが伝わってくる。


 王太子は人柄も良いと聞いていたが、手紙からはそれがひしひしと伝わってくる。それが、彼が嫌いなわけでもないのに逃げ回っているという事実に、クララは申し訳なさを覚えた。


(話せばもしかしたらわかってくれるかもしれない)


 あちらも未来の王妃にすると誓約し、女性たちを集めた手前、引っ込みがつかないのだろう。


(辞退する旨を伝えれば、あちらも安心するのではないか)


 そう考えた。


「お母様、王太子殿下にお話して、辞退の旨を伝えたほうがよろしいでしょうか」


「……王太子殿下は良い方よ。ええ、間違いなく。でも……少しだけ、様子を見てからにしましょうか」


 その言葉には、言葉にできない何かを含んでいるようだった。


「わたくしが代筆して返事を出しましょう。クララは“病気”ですからね」


 ため息をひとつ吐いたルクレツィアは、クララから手紙を受け取り、そのまま書斎へと向かった。

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