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第五話 デミアン・スキュアート伯爵 このお話はお断りしよう

 ハーシェルとの縁談は“保留”という曖昧な形で置き去りにされた。従順な娘が逆らった――それだけで父の機嫌はすこぶる悪い。


「婚約を解かれた娘に、これ以上の好縁はない!」


 吐き捨てるような一言。わかっていた。わかってはいても、無神経な言葉に深く傷つく。おそらく騎士団でも父は、部下に恐れられる横暴な上官なのだろう。


 今回、私が頑として首を縦に振らなかったのには、もう一つ理由があった。


 隣国に嫁いだ長姉レイチルから届いた手紙である。彼女の夫――コールマン侯爵の友人を、私の婚約候補として紹介したいというのだ。


 名はデミアン・スキュアート伯爵。私より四歳年上の未婚の嫡男。義兄のお墨付きとなれば、身許は固い。いっそ長姉と同じく他国に嫁ぎ、今の家族と距離を置くのも悪くない――そう考えてもいた。


 何より、姉自身が乗り気だった。近日中に伯爵を連れて帰省すると父へも連絡が入ったのだ。


「普段は音沙汰もないくせに、面倒を持ち込むとは」と父は舌打ちしたが、コールマン侯爵の名を前に強くは出られない。結局、私は二人の求婚者の間で選択を迫られる形となった。


 十九歳で“売れ残り”扱い――この世界はなんともせわしない。前世の二十四歳を「まだ結婚は早い」と笑っていた友人達の顔が脳裏に揺れた。


 * * *


 伯爵が訪れる数日前、手紙が届く。端正な筆跡で綴られた挨拶文。その末尾に、気になる一文があった。


「コールマン侯爵夫人は実に素晴らしい方です。妹君である貴女もきっと同じく――お目にかかれる日を心待ちにしております」


 胸の奥に小さな鈴が鳴った。賛辞の裏に姉への憧憬が読み取れる。それは姉のようであって欲しいという願望か。考えすぎだと自分に言い聞かせても、警告音は止まらない。



 * * *


 一週間後。レイチルは伯爵を伴い帰省した。


 玄関ホールに現れた彼――赤味を帯びた癖のある髪、黒縁の眼鏡の奥で萎縮する茶色の瞳。


 想像していた人物とは程遠い、野暮ったい青年だった。二十三歳というが、控えめな姿勢と茶色で統一した服装が年齢より老けて見える。


 義兄の友人であるならばと、私は義兄のような美丈夫を期待していたので軽い失望に包まれた。



 父が不在で母が丁寧に迎える横で、伯爵は「は……はじめまして」と硬い声を震わせる。だがその紹介を、姉が遮った。


「こちらがデミアン・スキュアート伯爵。ご覧のとおり、誠実な方よ」


 レイチルは機関銃のように賛辞を連ね、伯爵に言葉を挟ませず笑みを撒き散らす。伯爵はただ、頷き、人形のように口を閉ざしていた。父がこの光景を見れば、眉間の皺がさらに深くなるだろうと、私は早くも頭痛を覚えた。


 妹のミゼットは私の耳元で「ハーシェル坊やに決定ね」と囁き、にやりと笑うと廊下へ消えた。その背中に、苛立ちが募る。


 * * *


 伯爵を客間へ案内すると、レイチルがソファに身を投げ出した。


「今日はどうしたの? お姉様らしくないわ」と問いただせば、姉は唇を尖らせる。


「ごめんね。デミアンはね――緊張すると言葉が詰まる吃音があるのよ。だから私が助け舟を出しただけ」


 そこへ伯爵が身じろぎし、低い声でつぶやく。


「あ……あの、わ……私は……その――」


 震える語尾。私は頷いた。「気にしませんわ。どうぞ」


 伯爵の瞳がふっと和らいだ。よく見ると両の虹彩はわずかに色が違う――淡いヘーゼルと、深いアンバー。オッドアイだ。


「ロ……ローゼリア嬢と、お……お呼びしても?」

「ええ。リアと呼んでください」


「お……思ったとおり……す……素敵な、……方だ……」


 その視線は終始、私を正面から捉えて離さない。姉に懸想する気配は今のところ感じられなかった。


「私は姉とは似ていませんよ?」

「そ……それがいい……や……優しそうで」


 姉が「失礼ね!」と笑いながら彼の背を軽く叩く。伯爵は肩をすくめ、照れたように笑った。怒りもしない。その穏やかな反応に、私は戸惑いを覚える。



 香帆としての記憶が静かに囁く。


 ――彼は悪い人ではない。でも、本当に私のような女性を求めているのだろうか。真の理想は()()ではないのか。


 慎重に――慎重に見極めなければ。


 薄く湿った春の風がカーテンを揺らし雨の匂いを運んでくる。心のどこかで、このお話はお断りしようとしている自分がいた。



読んで頂いて有難うございました。

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